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アメリカーナ:アメリカの田舎道の音楽

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Americana

2013年のアメリカーナ・アワードで栄誉を受けたのは、エミルー・ハリス、ドワイト・ヨーカム、スティーヴン・スティルス、ドクター・ジョン、ハンク・ウィリアムズ、オールド・クロウ・メディスン・ショーだ。これを見れば、アメリカーナの定義が難しいことが分かるだろう――ジャズと同様、数多くのさまざまな枝を持ちながらも、根はひとつだ。(*アメリカーナは、カントリーやアメリカン・ルーツ音源を感じさせる音楽の総称とされている)

一聴すれば、アメリカーナであることが直感的に分かる音楽は、ひとつの都市やエリアにも限定されてはいない――ナッシュヴィルがアメリカーナの精神的故郷ではなく、アメリカーナの真の故郷は、ニューヨーク州北部のウッドストックからテキサス西部の丘陵地帯に至るアメリカの田園地方である――高速道路や都会の交通渋滞からは遠く離れた、アメリカの田舎道の音楽なのだ。

アメリカーナは、カントリー、フォーク、ブルース、さらにはロカビリーまでも加えて混合したルーツ・ミュージックだ。1990年代、アメリカのラジオはアメリカーナをプログラムに組み込みはじめた。するとすぐに、その人気は高まりつづけた。非現実性を増しつづけているかのような世界に生きる人々は、自然をはじめ、リアルなものとつながりたいという欲求を高めていたため、アメリカーナの成功は約束されていた。アメリカーナは、現実を把握するための音楽だったのだ。

2010年以来、グラミー賞にもアメリカーナ部門が設立され、エミルー・ハリス、ロドニー・クローウェル、ボニー・レイット、メイヴィス・ステイプルズが同賞を受賞した。そして、同賞を2回獲得した男が1人がいる。シンガー/ドラマー/マルチ・インストゥルメンタリストで、ザ・バンドのメンバーだったリヴォン・ヘルムだ。

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ニューヨーク・シティから北に数時間ドライヴすると、ウッドストックがある。同市は60年代とフェスティヴァルの代名詞ともいえるが、実際にフェスティヴァルが行われたのはウッドストックではない。1967年の暮れ、ザ・バンドはウッドストックから数マイル離れた家の地下(ベースメント)でレコーディングを行った。ボブ・ディランとレコーディングしたこれらが伝説的なベースメント・テープスで、この家はすぐさま“ビッグ・ピンク”として知られるようになると、ザ・バンドが1968年にリリースしたアルバム『Music From Big Pink』のタイトルにも使われた。

翌年、ザ・バンドはウッドストックで演奏したが、その数カ月前に批評家のラルフ・グリーソンは、5月にザ・バンドが行ったウィンターランドでの公演について、「これらの楽曲は、いまやアメリカの伝統の一部となった」と述べている。‘アメリカーナ’という言葉が一般的になるのはこれから何年も後だが同アルバムは、‘アメリカーナ’というフレーズが当てはまるごく初期のアルバムとされている。「The Weight」「Long Black Veil」「This Wheels On Fire」「I Shall Be Released」といった楽曲からは、アメリカーナのエッセンスが溢れ出している。後者2曲はボブ・ディランによる楽曲で、彼こそアメリカーナのスピリットに満ち溢れた人物だ。

その後数年にわたり、ザ・バンドは同様のアルバムをリリースした。ウッドストック出演から間もなくしてリリースされたセルフタイトルのアルバムには、アメリカーナとして影響力の大きな「The Night They Drove Old Dixie Down」が収録されている。そしてその後、『Stage Fright』(1970年)、『Cahoots』(1971年)、ライヴ・アルバムの『Rock Of Ages』、同名映画のサウンドトラック『The Last Waltz』をリリースした。

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『The Last Waltz』は、ニール・ヤングジョニ・ミッチェルドクター・ジョン、ポール・バターフィールド、ボブ・ディラン、マディ・ウォーターズ 等の楽曲が収録されている。幅広い音楽性を持つ同サウンドトラックは、包括的にアメリカーナを収録した初のレコードと言えるだろう。

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングは、一般的にはアメリカーナ・バンドとは考えられていないが、彼らはルーツをベースにしたモダン・ロックの人気を高めた功績を主張できるだろう。スティーヴン・スティルスはアルバム『Manassas』をレコーディングする頃までに(彼はマナサスというバンドで同アルバムをリリース)、メインストリームのアメリカーナのテーマや音楽を探求していた。スティルスのバンドとアルバム名が、南北戦争の伝説(マナサスは、1861年に第一次ブルランの戦いが行われた場所)に由来していることも偶然ではない。同アルバムの音楽は、アメリカーナのテーマの多くに訴えかけ、今日のアメリカーナ・アーティストのレコーディングに共通して見つかる音楽的な横流にも訴えかける。

カーリーン・カーターとロザンヌ・キャッシュは、カントリー・ミュージックの名家出身だ。カーリーンの母、ジューン・カーターは、メイベル・カーターの娘で、メイベル・カーターは初めてレコーディングをしたカントリー・アーティストの1人だ。1920年代後半のカーター・ファミリーによるレコードは、現在のカントリー・ミュージックよりも、現在のアメリカーナと親和性を持っている。アメリカーナはリアルな音楽だと言う人もいるだろう。カーリーン・カーターの最新アルバム『Carter Girl』はドン・ウォズによるプロデュースで、冒頭の「Little Black Train」(カーター・ファミリーの楽曲)は、我々を純粋なアメリカーナの旅路へと連れていく。アメリカーナというジャンルの人気に一役買ったウィリー・ネルソンやクリス・クリストファーソンとのデュエットも収録した同アルバムは、真の名盤である。

ロザンヌ・キャッシュは、ジューン・カーターとジョニー・キャッシュ の娘だ。つまり、カントリー界のサラブレッドと言えるだろう。カーリーン・カーターもロザンヌも、両親のバック・ヴォーカルを務めていた。ブルーノート・レコードからリリースされたロザンヌ・キャッシュのデビュー・アルバム『The River & The Thread』は素晴らしい楽曲、見事なプロダクション、一体感と、アメリカーナをリアルにする要素が詰まっている。これは来年、グラミー賞のアメリカーナ部門を獲得してもおかしくない――カーリーン・カーターもロザンヌ・キャッシュも、ノミネートは確実だろう。

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ジョニー・キャッシュはサム・フィリップス主宰のサン・レコードで最初のレコーディングを行った。当初はブルースとロックン・ロールに影響を受けていたジョニー・キャッシュだが、彼の音楽的ルーツは常にアメリカ南部にあった。1990年代初頭、ジョニー・キャッシュは流行のアーティストではなかったが、1994年にアメリカン・レコーディングスでレコーディングを始めると、同レーベルからリリースされたレコードでキャッシュはより幅広いリスナーを獲得して復活。作品の内容は、混じりけのない純粋なアメリカーナだった。

ジョニー・キャッシュは同レーベルで合計6枚のアルバムを制作し、どの作品でも自身とアメリカの音楽的伝統を探求した。ジョニー・キャッシュは、イーグルス 、トム・ペティ 、ナイン・インチ・ネイルズ 、フランキー・レイン、ルーヴィン・ブラザーズ、クリス・クリストファーソン等、多種多様なアーティストの楽曲をカヴァーしたほか、自身の過去の曲も数多く再レコーディングした。彼はカントリー、ゴスペル、ブルース、トラディショナル、モダン・ミュージックを融合し、唯一無二の音楽を経験できるレコードを作った。あえて言わせてもらうなら、アメリカーナ・レコーディングを作り上げた、と言えるだろう。

カントリーとアメリカーナの明確な境界線はあるだろうか? あまりに曖昧なので、そんな境界線は恐らく存在しないだろう。しかし、アメリカーナを愛するリスナーの大半は、アーティストを区分する術を知っている。テキサス州オースティン出身のナンシー・グリフィスは、間違いなくアメリカーナだ。インディ・レーベルから4枚のアルバムをリリースした後、ナンシーは1987年に『Lone Star State Of Mind』でMCAレコードからメジャー・デビューを飾った。それから数年にわたり、彼女はテキサス州ヒューストンのクラブ、アンダーソン・フェアでのコンサートをレコーディングした『One Fair Summer Evening』をはじめ数々の美しいアルバムをリリースした。同アルバムには、名曲「Trouble In The Field」が収録されており、これはナンシー・グリフィスのMCAデビュー・アルバムにも収録されている。ライヴ・ヴァージョンでは、彼女は曲を紹介し、曲を大局的な視点から眺めている。これを聴けば、アメリカーナがどれほど魅惑的であるかが分かるだろう。「Love At The Five And Dime」も素晴らしい。この曲もタイトルから、アメリカの田舎が舞台であることが分かる。そしてアルバムの白眉は「The Wing And The Wheel」だ。この曲を聴いて、広く開放的な空間や失われた愛を思い起こせなければ、どんな曲を聴いても無理だろう。

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アリソン・クラウスも、アメリカの田園地方の奥地へとリスナーを誘う女性パフォーマーだ。イリノイ州ディケーター出身のアリソン・クラウスは、ブルーグラスを取り入れている。音楽的には、ビル・モンロー、スタンレー・ブラザーズ、クーン・クリーク・ガールズ、グランパ・ジョーンズ(ボブ・ディランが敬愛するアーティストで、「Turn The Radio On」はボブ・ディランのお気に入り楽曲だ)、ルーヴィン・ブラザーズを継承している。

アリソン・クラウスは自身のバンド、ユニオン・ステーションと最初のレコードを制作した2年後、ラウンダー・レコードからのファースト・アルバム『Too Late To Cry』をリリース。その後も傑作アルバムを次々とリリースした。例えば、2001年の『New Favorite』も傑作で、「The Boy Who Wouldn’t Corn」が収録されている。ユニオン・ステーションがリメイクしたトラディショナルな同曲で、アリソン・クラウスは見事なバンジョーとハーモニー・ヴォーカルを加えている。2007年、アリソン・クラウスはロバート・プラントと『Raising Sand』をリリースすると、同アルバムは最優秀コンテンポラリー・フォーク/アメリカーナ・アルバムを含む5部門でグラミー賞を獲得した。プラントがグラミー賞を受賞したということからもはっきりと分かるが、アメリカーナを演るのがアメリカ人である必要はないのだ。

長い間、アメリカとの恋愛関係を続けてきたもう1人の英国人は、マーク・ノップラーだ。2006年、彼はエミルー・ハリスとの『All The Roadrunning』をリリース。同アルバムは、エミルー・ハリスの美しい歌声に乗せて、マーク・ノップラーがアメリカの田園地方に抱く共感が現れた純アメリカーナだ。エミルー・ハリスは1969年にデビューしたが、1973年にグラム・パーソンズのデビュー・ソロ・アルバム『GP』で歌ったことをきっかけに、幅広いリスナーを獲得した。翌1974年にリリースされたグラム・パーソンズのアルバム『Grievous Angel』で、エミルー・ハリスはグラム・パーソンズとブーデロー・ブライアントの「Love Hurts」をデュエット。切なくなるほど美しい見事な歌唱だった。

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グラム・パーソンズにエミルー・ハリスを推薦したのは、クリス・ヒルマンだ。クリス・ヒルマンは、グラム・パーソンズがフライング・ブリトー・ブラザーズを脱退した後、エミルー・ハリスをグラム・パーソンズの後釜に考えたこともあった。フライング・ブリトー・ブラザーズのデビュー・アルバム『The Gilded Palace Of Sin』は、カントリー・ロックの要とされており、アメリカーナに分類されてもおかしくないだろう。アルバムの大半が、バンド独自のオリジナル楽曲だが、ダン・ペンとチップス・モーマンによるクラシック2曲――「Do Right Woman」と「Dark End Of The Street」も収録されている。前者はアレサ・フランクリン、後者はジェイムズ・カーが最初にレコーディングしていた楽曲で、どちらもカントリーとブラック・サザン・ソウルの間の緊密なつながりを感じさせる。聴くと心が疼く楽曲。アメリカーナのバラードでは、よく湧きあがる感情だ。

夏には、アメリカーナをテーマとしたフェスティヴァルが数多く開催される――英国でそれにあたるのはマヴェリック・フェスティヴァルで、今年はハンク・ウィリアムズの孫娘ホリー・ウィリアムズとメアリー・ゴーサーが出演した。アメリカでは、ビル・モンロー・ビーン・ブラッサム・ブルーグラス・ミュージック・フェスティヴァルが特に大きなイヴェントだが、同様のフェスティヴァルは枚挙に暇がない。アメリカで開催されているブルーグラス・フェスティヴァルのリストは、ここをクリック 。こうしたフェスティヴァルの多くは拡張し、アメリカーナだけでなく、その他の伝統音楽を加えるようになっている。

下記プレイリストは、我々が編集した中でも特に楽曲数が多い――アメリカーナという広範なジャンルを反映するさまざまなアーティストの楽曲が、100曲以上並んでいる。本稿に登場したアーティストに加えて、エイモス・リー、アスリープ・アット・ザ・ホイール、デルバート・マクリン、グレッグ・オールマン、ジェイホークス、ジョン・フォガティ、ルシンダ・ウィリアムズ、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、ライアン・アダムス、スティーヴ・アール、そしてもちろんウィリー・ネルソンの楽曲も入っている。

Written By Richard Havers

♪ プレイリスト『Americana Highway

(*本記事は2014年の本国uDiscovermusicの翻訳記事です)


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