10ccのエリック・スチュワート、マスター・オブ・ソング&スタジオを称えて

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たしかに近年の彼の活動はどちらかと言えば地味かもしれない。しかしながら、それだけでエリック・スチュワートというアーティストを侮り、過小評価するのは安易にすぎるというものだ。エリック・スチュワートは人気バンド10ccのヴォーカリスト/ソングライターとして、模範的なポップスの名曲やアルバム志向のロックを残してきたが、その経歴は10ccよりもはるか前から始まっている。

1945年1月20日にランカシャー州はドロイルズデンで生まれたエリック・スチュワートは、10ccを結成する前から、既にかなりのキャリアを積んでいた。地元のバンドでしばらく活動したあと、彼はチャートで人気だったマインドベンダーズ(当時のグループのリーダーはウェイン・フォンタナだった)に加入。1968年には、ストックポートのレコーディング・スタジオ、ストロベリー・スタジオに出資するようになる。このスタジオは彼に自由な創作を試みる機会を与え、また、同じイギリス人のシンガー・ソングライター、グレアム・グールドマンと知り合うチャンスももたらしてくれた。

まもなくグレアム・グールドマンもこのスタジオへの出資を始めている。そしてプロデュース契約が交わされ、結果バブルガム・ポップ・グループ、ホットレッグスが結成される。短命に終わったこのプロジェクトには一時グレアム・グールドマンも加わっていたが、主要メンバーはエリック・スチュワートとロル・クレーム、ケヴィン・ゴドレイの3人だった。ホットレッグスは1970年に「Neanderthal Man」という唯一の、しかし大きなヒット曲を残している。

1972年、エリック・スチュワートとロル・クレーム、ケヴィン・ゴドレイはグレアム・グールドマンと共に再びグループを結成。今度は10ccと名乗っている。こうして状況は整った。そして、やがて1970年代のイギリス音楽界の中でも飛び抜けて独創的な作品が生み出され、まばゆいばかりのアルバムや大ヒット・シングルが次々にリリースされていったのだった。「Donna」「Rubber Bullets」「I’m Not In Love」「I’m Mandy Fly Me」「Art For Art’s Sake(邦題:芸術こそ我が命)」「Dreadlock Holiday(邦題:トロピカル・ラヴ)」……10ccはこれらを筆頭に多数のレコードをチャートに送り込み、70年代を通して快進撃を続けた。

その後エリック・スチュワートは、いくつものソロ・アルバムを発表(最新作は2009年にリリースされた『Vive La Difference』)。ポール・マッカートニーの作曲上のパートナーもたびたび務め、10ccのメンバーとしても1995年の『Mirror Mirror』までレコーディングを続けた。彼はまたプロデューサー/エンジニアとしても高い評価を得ており、ムーディー・ブルースのジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが連名で発表したアルバム『Blue Jays』、サッド・カフェの作品や、元アバのアグネッタ・フォルツコグのレコード、ニール・セダカのアルバム『Sedaka’s Back』等々にクレジットされている。ニール・セダカは1970年代にイギリスで人気を再燃させたが、このとき、ストロベリー・スタジオで10ccのメンバーの協力を得ている。

エリック・スチュワートの次なる冒険はいったいどんなものになるのだろう。今から楽しみで仕方がないが、待望の新作がリリースされるその時までは、彼が10cc等々で発表してきた作品を楽しんでいればいいだろう。ここではCD4枚から成る10ccのすばらしいアンソロジー・アルバム『Tenology』をお勧めしておこう。このボックス・セットには10ccという優れたグループのヒット曲やアルバム収録曲、レア・トラックが詰め込まれている。以前ガーディアン紙のインタビューで、エリック・スチュワートは10ccについて以下のように語っている。「僕たちはビートルズがやってきた仕事を引き継いだんだ。僕たちはどんな曲でも実験を試みずにはいられない。だからどの曲も、ほかの曲とは違って聴こえるんだろうね」。

Written by  Paul Sexton



10cc『Tenology』

  
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