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ダイアー・ストレイツのセカンド・アルバム『Communique』

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ダイアー・ストレイツはたゆみのないライヴ活動と力強いファースト・アルバムでファン層を開拓していった。そうした初期の下積み生活がようやく報われたのは、1979年のこと。7月に入ろうかというころ、彼らのセカンド・アルバム『Communique』は全英チャート入り2週目にして5位を記録。同じ週には、ビルボード誌のアルバム・チャートでも初登場アルバムの中で3番目に高い順位につけた。

Straits

前年に出たデビュー・アルバム『Dire Straits』は、「Sultans Of Swing」の再発シングルのヒットに後押しされ、この1979年の4月に全英チャートに返り咲き、新たに最高5位まで達していた。やがて『Communique』(マーク・ノップラーが全曲作詞・作曲)が発表されると、それと共にデビュー・アルバムも好調な売れ行きを示し、10月までチャートに居座ることになった。

『Communique』はダイアー・ストレイツが獲得した新たなファン層にたちまち受け入れられ、全英チャートでは初登場6位を記録。次の週にはひとつ順位を上げて5位に達した。同じ週には、デビュー・アルバム『Dire Straits』もまだチャートの21位に残っていた。『Communique』はさらに9週間トップ20圏内に留まっている。

この年の5月、ダイアー・ストレイツのメンバーのうち、ノップラーとフィル・ウィザースはマッスル・ショールズでボブ・ディランのアルバム『Slow Train Coming』のレコーディングに参加していた。その後はダイアー・ストレイツのイギリス・ツアーとなり、ツアーはロンドンのハマースミス・オデオンでの2夜連続公演で幕を閉じた。そして『Communique』がレコード店の店頭に並ぶころには、イギリスとヨーロッパ各国をまわるツアーが再開。こちらも全席完売となっていた。

Knopfler

アルバム『Communique』は、全米チャートでは6月30日に初登場53位を記録。この週に全米チャートに初登場したアルバムの中で、これは45位のウィングスの『Back To The Egg』、48位のカーズの『Candy-O』に次いで、3番目に高い順位だった。『Communique』は8月上旬に全米チャートで最高11位に到達。当時ダイアー・ストレイツは9月から二度目の全米ツアーを始めるところだった。

ノップラーは、アルバム発表時に『メロディ・メイカー』誌のインタビューに応えている。その中で彼は、ファースト・アルバムのヒットで自分やバンドのメンバーの人生が一変し、そのことが『Communique』に反映していると語っていた。

「ライフスタイルがあまりにも劇的に変わると、それが自分の活動に影響してくるものだよ。でも、ライフスタイルの変化は、今のところ自分自身の変化にはまるで影響してないね。ファースト・アルバムが出たときに、一部の人たちからいろいろ言われたことを覚えてるけど……あのときの評価に比べると、今回のアルバムは好意的な評価をされてるね。たぶん時間が経つと、自分が耳にしてるものについての考えが変わってくる人がいるんじゃないかと思う」

Written By Paul Sexton



ダイアー・ストレイツ『Communique』

  

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