UKチャートに初登場した、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ名義初の作品『Natty Dread』

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1974年10月25日、ボブ・マーリーは世界進出に向けての第一歩を踏み出そうとしていた。初めて自身の名前をウェイラーズの前に掲げての作品となったアルバム『Natty Dread』がその日にリリースされ、「レゲエ」という言葉を広げる大使としての役割を果たす作品となった。


バンドはアイランド・レコードの社長でジャマイカのキングストン出身のクリス・ブラックウェルと共にアルバムをプロデュース。本作には「Lively Up Yourself」とスタジオ収録されたオリジナルの「No Woman, No Cry」が含まれている。後者は周知のとおり、1975年にロンドンのライシアムで行われたライヴ音源がシングル化され、彼らの初めてとなるクロスオーヴァーでの成功を経験した曲になった。

『Natty Dread』は、脱退したばかりのピーター・トッシュとバニー・ウェイラー不在でも、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの未来は明るいものであることをはっきりと示していた。曲を書くプロセスにはバンド全員が貢献し、「So Jah Seh」とタイトル・トラックはボブ・マーリーの妻リタが共にクレジットがされ、カールトン・バレットは「Them Belly Full (But We Hungry)」を含む3曲を共作。「Lively Up Yourself」、「Bend Down Low」と2001年のリイシューにボーナス・トラックとして収録された「Am-A-Do」はボブ・マーリーが1人で書いた楽曲である。

翌1975年の5月に『Natty Dread』は全米チャート入りして92位を記録して、グループにとって初めて全米アルバム・チャートの100位圏内にランキングしたアルバムとなった。イギリスでは1975年の10月にバンド自身初のチャート入りした作品となり、アルバム『Live』がチャート入りする直前に43位を記録している。ラスタマンのヴァイブはどんどん大きくなっていたのだ。

uDiscoverの”Behind The Albums”シリーズでは『Natty Dread』をより深く掘り下げ、ボブ・マーリーのすべての作品とその裏話を取り上げている。

Written by Paul Sexton



ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ『Natty Dread』

   

ボブ・マーリー、ジミー・クリフなどのレゲエ・アーティストが収録されたアイランドのプレイリストをSpotifyで聴く

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