“世界一観客数が多いフェス”とギネス認定された73年の「サマー・ジャム」

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ロックの世界では、”ウッドストック”、”モントレー”、”ワイト島”といったフェスティヴァルが伝説のイベントとして語り継がれている。しかし、こうしたフェスを上回る規模のイベントがあったことはなぜか忘れられがちだ。

1973年7月28日、ニューヨーク州のレース・サーキット、ワトキンス・グレンで「サマー・ジャム」が開催された。これに参加した観客の人数は60万人という途方もない(そして記録破りの)人数にのぼった。出演したのはたったの3組。オールマン・ブラザーズ・バンド、グレイトフル・デッド、ザ・バンドという顔ぶれだった。観客は、何時間も何時間も続くこの3組の演奏を楽しむことになった。

この60万人という数字のおかげで、サマー・ジャムはギネス・ブックから「世界一観客数が多かったポップ・フェスティヴァル」として認定されることになった。フェスティヴァルの推定観客数というものはかなり誤差の多いものだが、それでも60万人という観客数を見ると、推定40万人を集めたウッドストックが小さく見えてくる。また、今から振り返ると、このフェスティヴァルは1970年代ロックのひとつの特徴となった長大なジャム・セッションの典型例だった。

サマー・ジャムの発端は、前の年にさかのぼる。1972年、プロモーターのシェリー・フィンケルとジム・コプリックは、コネチカット州ハートフォードでグレイトフル・デッドのコンサートを企画した。そのステージで行われた即興ジャム演奏に、オールマン・ブラザーズ・バンドのメンバー3人(ディッキー・ベッツ、ベリー・オークリー、ジェイモー)が参加したのである。

サマー・ジャムは無料コンサートとして企画されたわけではない。とはいえ、結局このコンサートを無料で体験した人は数十万人にも膨れあがった。プロモーターは1枚10ドルの前売りチケットを15万枚販売。しかしチケットを買っていなかった人も大勢に会場に押し寄せ、遠方から無料でコンサートを見ることになったのだ。

サマー・ジャムは、サウンドチェックですらケタ外れの内容だった。リハーサルのつもりで行われたグレイトフル・デッドの演奏は、一部が1999年のボックス・セット『So Many Roads (1965-1995)』で公式盤として発表されているほどだ。やがて正式にコンサートを始めたグレイトフル・デッドは長尺のステージを2セット行い、次に出演したザ・バンドのステージも2時間に渡って続いた。

やがてオールマン・ブラザーズ・バンドの出番となる。当時はアルバム『Brothers and Sisters』の発売直前。それゆえ、あのアルバムの曲をライヴで披露するには完璧なタイミングだった。このころ既に「Statesboro Blues」や「Whipping Post」は彼らの定番レパートリーとなっていたが、サマー・ジャムではそれらに交じって『Brothers and Sisters』の収録曲も演奏されている。

そうした新曲のひとつ、グレッグ・オールマンの「Come and Go Blues」もサマー・ジャムで演奏され、その音源はのちにライヴ・コンピレーション『Wipe The Windows, Check The Oil, Dollar Gas(熱風)』(1976年)に収録されている。オールマンズは、このころはもはや恒例となっていたが、3時間に渡って演奏。そのあとはフェスティヴァルの名前の通り、参加バンド3組のメンバーがステージに上がり、「Johnny B. Goode」や「Not Fade Away」といったスタンダード・ナンバーで即興演奏を繰り広げた。

このフェスティヴァルの模様を伝えるワシントン・ポスト紙の記事で、コプリックはこう語っている。「どうしてこうなったのか、誰にも説明できない。宣伝にかけた費用はたった3万ドル未満。しかし最終的には10ドルのチケットは15万枚も売れたんだ。観客がこんなに来るなんて誰も想像してなかった。たぶん、イベントのコンセプトが魅力的に感じられたんじゃないかな ―― 田舎で丸一日音楽を楽しもうっていうコンセプトがね」。

By Paul Sexton


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