オールマン・ブラザーズが初めて名声を確立したライブ盤『At Fillmore East』

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「1969年3月のバンド開始から、長期にわたるカリスマ的なコンサートを経て、オールマン・ブラザーズ・バンドは伝説に近い名声を急速に確立したんだ」、これはロックの歴史における素晴らしいライヴ・アルバムのうちの1枚ともいえる2014年の完全版(『THE 1971 FILLMORE EAST RECORDINGS』)のライナーノーツに、”オールマン分析者” ジョン・リンスキーが書いた言葉だ。その『At Fillmore East (邦題: フィルモア・イースト・ライブ)』は1971年7月24日、全米アルバム・チャート入りした。

「即興演奏となると、オールマン・ブラザーズ・バンドに勝てる他のグループはいなかった。彼らは彼ら自身の次元にいて、右に出るものが本当にいなかったんだ」とジョン・リンスキーは続ける。「デュアン・オールマンはキーボードとヴォーカル担当の弟グレッグ・オールマン、ジェイモーとブッチ・トラックスに2台のドラム・コンボ、ベースに並外れたスキルの持ち主ベリー・オークリーに加わってもらって、ギターをディッキー・ベッツとデュアン自身で担当した。それぞれの個性的な才能あるアーティストがひとつにまとまり、その集合が出す音は、個々の優れた部分の合計を上回るものだった」。

1971年の3月12〜13日の週末にかけて行われたライブを収録したアルバムは、オールマン・ブラザーズ・バンドが最初の2つのスタジオ・アルバムを作ったすぐ後にリリースされた。2枚のアルバム『The Allman Brothers Band』と『Idlewild South』は彼らを新しいサザン・ロックの革新者としたが、売り上げはそこそこで、彼らのステイタスを確実なのものとしたのは、このライブ盤のリリースだった。

7月24日付けのBillboard誌は『At Filmore East』をザ・バーズや国民的スターであったリン・アンダーソンとチャーリー・プライドとともに “全米的なヒット作” として掲載した。82位にチャート入りしたアルバムは、最高13位まで上昇し、雑誌のレヴューでは「ブラインド・ウィリー・マクテル、エルモア・ジェイムス、T・ボーン・ウォーカーといったブルースのカヴァーに加え、セカンド・リード・ギターのディッキー・ベッツとバンドの楽曲が収録された、夜通しメイコンでジョージア・スタイルのハードなブルースを生み出し続けたバンドの持ち札がすべて明らかにされている」と讃えた。

『Idlewild South』もプロデュースしたアトランティック・レコ−ドのエンジニア兼プロデューサー、トム・ダウドによって4つの公演がレコーディングされた。また、デレク・アンド・ザ・ドミノスのプロジェクトのためのデュアン・オールマンとエリック・クラプトンによるスリル満点なギターの相互効果によって生まれた素晴らしいセッションもトム・ダウドは目撃していた。

オールマン・ブラザーズ・バンドのドラマー、ブッチ・トラックスはこう語っている。「1971年の3月の週末、僕らが “At Fillmore East” のライブをやった時、ほとんどがしっくりきたんだ。僕らが聴いてきた音楽に、僕らはやっと追いつき始めてきていたんだ。僕らは一緒に生活をし、トラブルにも一緒に巻き込まれ、ひとつのユニットとして動いていた。そしてライヴのためにステージにあがった自分たちが、その時の僕らのすべてだった。たまたま偶然その週末に良い方向に進んだんだ」。

Written by Paul Sexton



オールマン・ブラザーズ・バンド『At Fillmore East』

     

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