テレビ番組『サタデー・ナイト・ライヴ』の最高かつ伝説的なパフォーマンス・ベスト15

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Photo: Darkroom/Interscope Records (Billie Eilish), Anthony 'Top Dawg' Tiffith (Kendrick Lamar)

 「Live from New York, it’s Saturday night…(土曜の夜は、ニューヨークから生放送!)」

ある一時期は、土曜日の夜に最もエキサイティングな音楽の場所といえばテレビ画面の前だった。なぜなら、『Saturday Night Live / サタデー・ナイト・ライヴ』(以下:SNL)でテレビ史上に残る最高の音楽パフォーマンスが繰り広げられていたからだ。

1975年に第1シーズンが始まった『SNL』は同時代の音楽シーンに抜け目なく目を配り、パンク、ヒップホップ、ニュー・ウェイヴ、グランジなどをメインストリームの電波に乗せ、何百万もの家庭に送り込んでいった。

音楽界の大物アーティストにとっても、ブレイク寸前のミュージシャンにとっても、『SNL』はゴールデンタイムのテレビの全国放送という栄えある舞台だ。その点については、今も変わりがない。今回の記事ではこれまでに行われた『SNL』での素晴らしい音楽パフォーマンスの中から、いくつかご紹介しよう。

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15位 R.E.M.「Shiny Happy People」「Losing My Religion」(1991年)

最初はR.E.M.のマイケル・スタイプと楽曲にゲスト参加していたB-52sのケイト・ピアソンのシンクロした振り付けが目当てでも、その後はヒット曲「Shiny Happy People」の楽しい演奏から目が離せなくなる。

このR.E.M.の初出演は、簡素な格好しているケイト・ピアソンを見ることができる唯一の機会となっている。R.E.M.はこうしたバカバカしいパフォーマンスと「Losing My Religion」の熱唱を同時に披露していた。

 

14位 トラジカリー・ヒップ「Nautical Disaster」「Grace Too」(1995年)

『SNL』に長年出演していたダン・エイクロイドは、カナダのオンタリオ州出身だった。彼は「友人であるトラジカリー・ヒップをアメリカに紹介できることを光栄に思います」と言って、『SNL』のステージでこのグループを紹介した。

この時、トラジカリー・ヒップは既に「カナダを代表するバンド」となっており、その次はアメリカでのブレイクを待ち望んでいた。とはいえ、「New Orleans Is Sinking」のようなヒット曲で安全策を取るのではなく、彼らは「Nautical Disaster」と「Grace Too」というより含蓄のある曲を選んだ。

この時ゴード・ダウニーは冒頭の歌詞を「He said I’m fabulously rich」から「They say we’re Tragically Hip」に変更していた。

 

13位 シニード・オコナー「War」(1992年)

現在では、カトリック教会の性的虐待スキャンダルを公に批判した人間がアカデミー賞を受賞できる時代になっている。しかしそれよりはるか以前、シニード・オコナーの同じような行動はアメリカの視聴者に大変なショックを与えた。

彼女はボブ・マーリーの「War」をアカペラでカヴァーし、「Fight racial injustice(人種差別と戦え)」の部分を「Fight sexual abuse(性的虐待と戦え)」に変え、さらにはカトリック教会の最高位にいるローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てたのである。

この時代の状況では予想できる結果だったが、『SNL』を放送していたNBCには4,000件以上の電話が殺到し、アイルランド出身のシンガー・ソングライター、シニード・オコナーはニュースで悪者扱いされてしまった。しかし、数十年後の現在、オコナーの出演は『SNL』の音楽パフォーマンスの中でも最高のものとして語り継がれている。

 

12位 ファンキー・4 + 1「That’s The Joint」(1981年)

『SNL』は、ファンキー・4 + 1を出演させることで歴史的快挙を成し遂げた。全国ネットのテレビ番組で初めてヒップホップのパフォーマンスを放送したのである。

ファンキー・4 + 1が全米のお茶の間に登場することになったのは、ヒップホップの熱烈な支持者であるデビー・ハリーが働きかけた結果だった (ちなみに彼女のグループ、ブロンディの「Rapture」はラップを使ってチャートの1位に到達した初の曲となった)。ブロンディのギタリストであるクリス・スタインは、『ローリング・ストーン』誌に次のように語っている。

「番組の関係者は本当に神経質になっていた。こちらから、スクラッチの仕組みを説明しようとしたこともあったよ。あれを何も知らない人に言葉で説明するのは、本当に難しかった」

 

11位 ビリー・アイリッシュ「bad guy」「i love you」(2019年)

第45シーズンの初回を飾ったのは、新進気鋭のポップ・アイコン、ビリー・アイリッシュの『SNL』初出演だった。彼女は大ヒット曲「bad guy」を披露し、ジャミロクワイにヒントを得たカメラワークでスタジオの壁を登っていた。

さらには兄のフィニアスと組んで、星空に囲まれた中で優しげなデュエット曲「i love you」を歌い、スタジオの観客やご家庭の視聴者を自らの世界に引き込んだ。

これは当時17歳のスター、アイリッシュにとって印象的な番組デビューとなり、彼女はライヴでもレコーディングでも実力を発揮できることを見事に証明した。

 

10位 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ「You Don’t Know How It Feels」「Honey Bee」(1994年)

トム・ペティは『SNL』に合計8回出演しているが、5回目の出演のときはドラマーのスタン・リンチがいなくなった直後で、ハートブレイカーズのドラムスが空席になっていた。トム・ペティはその代役としてデイヴ・グロールを起用した。当時のデイヴ・グロールは、カート・コバーンの死と自らのバンド、ニルヴァーナの解散によってまだ精神的に動揺していたころだ。彼は後にMTVに語っているが、この『SNL』への出演は再び楽しくドラムを叩けるようになってからの初めての演奏となった。

デイヴ・グロールは、ハートブレイカーズのヒット曲「You Don’t Know How It Feels」と「Honey Bee」にパンクのエネルギーを注入した。トム・ペティは明らかにその演奏を気に入り、デイヴ・グロールにハートブレイカーズに加入しないかと誘いをかけた。もしその話が実現していたら、フー・ファイターズは存在していなかったかもしれない。

 

9位 ケンドリック・ラマー「i」「Pay For It」(2014年)

『good kid, m.A.A.d city』で評論家から高く評価されたケンドリック・ラマーは、『SNL』に2回目の出演をしたときに「i」を披露した。これは『good kid, m.A.A.d city』の後にリリースした最初の作品であり、それからまもなくリリースされたアルバム『To Pimp A Butterfly』の予告編のような役割を果たしていた。

黒いコンタクト・レンズを装着し、バスタ・ライムスに影響を受けた振り付けで、ケンドリック・ラマーは自己愛のアンセムを見事に演じきった。このアイズレー・ブラザーズをサンプリングした楽曲は、フル編成のバック・バンドとシンガーが加わることで生命感あふれる演奏に変貌した。そしてこれは、『SNL』の歴史に残るすばらしい音楽パフォーマンスとなった。

 

8位 LL・クール・J「Go Cut Creator Go」(1987年)

『SNL』の場合、音楽アーティストのブッキングは番組出演陣のキャスティングよりもはるかに進歩的だった。RUN-DMCがラップとロックのクロスオーバー曲「Walk This Way」を演奏してから1年ほど過ぎた後、当時17歳の新進ラッパー、LL・クール・JがDJのカット・クリエイターとボブキャットの見事なスクラッチをバックに「Go Cut Creator Go」を披露し、ヒップホップの歴史に名を残した。

LLは『Radio』でデビューしてヒットしたが、彼をスターにしたのは2作目の『Bigger And Deffer』だった。それは『SNL』でのパフォーマンスを見れば一目瞭然だった。

 

7位 ザ・ローリング・ストーンズ「Beast Of Burden」「Shattered」「Respectable」(1978年)

1978年10月、ザ・ローリング・ストーンズはアルバム『Some Girls』を大ヒットさせた後、そのインスピレーションの源となったニューヨークを再び訪れ『SNL』に出演した。この夜、ストーンズはホストと音楽ゲストの両方を務め、13分間の1コーナーで3曲を連続して演奏している。

とはいえもっとも印象的だったのは、彼らのきわどいパフォーマンスだった。たとえばミック・ジャガーは「Shattered」の途中でロニー・ウッドのシャツを破り、さらに「Respectable」ではウッドの顔を舐めている。

 

6位 カニエ・ウェスト「Black Skinhead」「New Slaves」(2013年)

カニエ・ウェストと『SNL』の関係は波乱に満ちている。彼は『SNL』にこれまで合計7回出演しているが、そのたびに振る舞いや政治的な発言がニュースになってきた。とはいえ音楽的な面で言えば、彼が『SNL』で披露するパフォーマンスはどれも最高だった。

2010年には32人のバレリーナを引き連れて「Power」と「Runaway」を演奏。その3年後には「Black Skinhead」と「New Slaves」の爆発的なパフォーマンスでアルバム『Yeezus』での新たな個性を世界に知らしめた。スタッズ・レザー・ジャケットを着たウェストは、警察犬やKKKの黒頭巾の映像を背後にしながら、ボイス・モジュレーターを使ってラップを披露した。

 

5位 フィアー「Beef Baloney」「New York’s Alright If You Like Saxophones」(1981年)

ロサンゼルスで最も悪名高いハードコア・パンク・バンドのひとつが、なぜ『SNL』のステージに立つことになったのだろうか。それは、この番組のかつてのレギュラー出演者だったジョン・ベルーシがフィアーの大ファンで、彼らが出演するなら自分もゲスト出演すると番組の制作スタッフに約束していたからである。

観客席にマイナー・スレットのイアン・マッケイ、ミートメンのテスコ・ヴィー、クロマグスのジョン・ジョセフといったパンク界のレジェンドたちが集まる中、フィアーは番組を本格的なパンク・ショーに変えてしまった。そして観客を怖がらせるモッシュやクラウドサーフィンをスタジオでもご家庭でも巻き起こした (何しろ出演日はハロウィーンだったのだから)。

彼らは「Beef Boloney」と「New York’s Alright If You Like Sax」を演奏し、パンクの歴史に残るパフォーマンスを披露した。それと同時に番組からの永久出禁処分を受けた。

 

4位 ビースティ・ボーイズ&エルヴィス・コステロ「Sabotage」「Radio Radio」(1999年)

今の『SNL』は人や出来事を風刺して物議を醸すのを好む番組になっているが、1977年の段階ではそうした性格は薄かった。この年、エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズがシングル曲「Less Than Zero」の演奏を途中で止め、その代わりとして企業に支配された放送に対する抗議のメッセージを込めた「Radio Radio」を演奏した。その結果コステロはこの番組から出禁となったが、それから12年後の1989年に番組との関係が修復された。

そして1999年、『SNL』の25周年記念番組で、コステロは1977年に自らの歴史的なパフォーマンスのパロディを披露した。ビースティ・ボーイズの「Sabotage」の演奏を途中で止めさせ、一緒に「Radio Radio」を熱唱したのだ。

 

3位 ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」「Territorial Pissings」(1992年)

最盛期の『SNL』は、バンドを成功させる (あるいはブレイクさせる) だけでなく、音楽の世界で爆発しつつあったアンダーグラウンドなサウンドをアメリカの郊外で生活する人たちにちらりと紹介することがあった。その最たる例がニルヴァーナだ。

1992年1月11日に『SNL』に初めて出演した彼らは、アメリカ全土の視聴者にテレビを通じて初めてグランジを体験させた。その結果このバンドとカート・コバーンは、嫌々ながらスーパースターの座に就いてしまった。

「Smells Like Teen Spirit」が演奏された後は、誰もが次の曲として「Come As You Are To」を期待していた。しかしカート・コバーンたちは、予想外のB面曲「Territorial Pissings」を選択し、ステージと楽器を完全に破壊してしまった。とはいえ、本当に物議を醸すことになったのは、エンド・クレジットでのことだった。

ニルヴァーナのメンバー同士がお互いに「イチャイチャと」絡み合ったのである。この時のパフォーマンスは『SNL』の歴史に残る素晴らしい演奏のひとつだった。それに後押しされ、彼らのアルバム『Nevermind』は売れ行きが増し、マイケル・ジャクソンの『Dangerous』からチャートの首位の座を奪った。さらにシングル「Smells Like Teen Spirit」もチャートで最高6位に達した。

 

2位 デヴィッド・ボウイ「The Man Who Sold The World」「TVC15」「Boys Keep Swinging」(1979年)

レディー・ガガがどれほど生肉ドレスを着込んでも、1979年に『SNL』で放送されたデヴィッド・ボウイのダダイズム的なパフォーマンスを超えることはできないだろう。

当時のボウイは「ベルリン三部作」の時代であり、箱型のタキシードを身につけていた。そしてパフォーマンス・アーティストのジョーイ・アリアスとドイツ人歌手のクラウス・ノミと一緒にステージに上がり、「The Man Who Sold The World」を歌った。これはテレビで披露された最高の音楽パフォーマンスのひとつであり、この時ボードビルとニューヨークのダウンタウンが見事に融合していたのだ。

その後はさらに奇妙な展開になり、「TVC15」でボウイは女装した姿でピンクのプードルのぬいぐるみを連れ歩き、そして「Boys Keep Swinging」では頭のないマリオネットという姿でステージに戻ってきた。

 

1位 プリンス「Partyup」(1981年)

1980年代の『SNL』は好不調の差が激しかったが、もしこの時代の番組の評価を上げるものがあるとすれば、それは22歳のプリンスが披露した衝撃的なパフォーマンスになるだろう。

この時、彼はトレンチコートとゴーゴーブーツでステージを回りながら、1980年の『Dirty Mind』の収録曲「Partyup」を歌った。この夜、プリンスはメインの音楽ゲストではなかった(メインのゲストはトッド・ラングレンだった)。とはいえプロデューサーたちは注目の新人のために枠を空けていたが、彼らはその新人のパフォーマンスに対する心構えができていなかった。

残念なことに、出演陣のチャールズ・ロケットが放送中に放送禁止用語の爆弾を投下したため、プリンスのパフォーマンスとこのエピソード全体が番組の歴史から抹消されている。


Written By Laura Stavropoulos



 

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