スモーキー・ロビンソンのベスト・ソング20:米ポピュラー音楽界で最も知名度の高い歌手の名曲

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Photo: Wilson Lindsay/Michael Ochs Archives/Getty Images

スモーキー・ロビンソン(Smokey Robinson)は、アメリカのポピュラー音楽界で最もよく知られた歌手のひとりである。彼の澄んだ、雲をつかめるようなテナー・ヴォイスは、60年代から世界中のラジオの電波やテレビの画面上で絶え間なく流れ続けている。

スモーキーは60年代の10年間の間で、シュープリームス、スティーヴィー・ワンダー、テンプテーションズ、その他ソウルやR&Bの偉大なアーティストたちと共に、モータウン・レコードとその他の様々なレーベルを20世紀で最も尊敬され、名高いレーベルにした。

スモーキー・ロビンソンのミュージシャンとしての人生はデトロイトで始まり、若き頃はアレサ・フランクリンと同じストリートで育った。彼はドゥーワップを聴き始め、高校時代にグループを結成。1957年、運命的なオーディションでベリー・ゴーディー・Jr.の目に留まり、「the Five Chimes」と名付けられたグループが誕生した(後に「the Matadors」と変更)。

まもなくゴーディは、スモーキーのグループ(ザ・ミラクルズ)をプロデュースするようになった。そしてスモーキーの勧めで、ゴーディはモータウン設立の前身となるレーベル、タムラ・レコードも立ち上げることになった。ピート・ムーア、ロナルド・ホワイト、マーブ・タープリン、ボビー・ロジャース、クローデット・ロジャースからなるザ・ミラクルズは、スモーキーの歌声に導かれて、タムラ・レコードのロースターとして最初のヒットメーカーとなった。

彼らは、そのハーモニーと巧みでキャッチーなソングライティング能力で、全米に名を馳せるようになり、その躍進は1960年にゴーディが立ち上げたモータウンの躍進と時を同じくしていた。その10年間、スモーキーはザ・ミラクルズと共に、1つどころか2つ以上のコンピレーション・アルバムを埋め尽くすほどの、圧倒的な数のソウルフルな名曲を生み出し、1972年にはソロ活動に乗り出す。

「Shop Around」から「The Tears of a Clown」まで、何百万人ものリスナーがスモーキーの声に惚れ込み、それらの楽曲は私たちが知っているアメリカン・ソウルの基礎となる柱となった。スモーキー・ロビンソンのベストソングを聴くことは、これまで録音された中で最も愛されてきたポップミュージックとR&Bを再訪することでもある。それでは紹介しよう。

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そのキャリアの初期

モータウンの基礎となった3枚のシングル「Got A Job」「Bad Girl」「Shop Around」は、極めて重要な役割を果たした。

1. Got A Job

1958年の「Got A Job」は、シルエッツのシングル「Get A Job」に対抗してスモーキー・ロビンソンが書いたドゥーワップ・ジャムで、スモーキーはゴーディに自分のレーベル、タムラ・レコードを設立するように促した。

2. Bad Girl

「Bad Girl」は1959年に発売されたスモーキーとゴーディのコラボレーションによる楽曲。このシングルはBillboard Hot 100にランクインし、チャートでも認められるようになった。ゴーディはその直後にモータウンを立ち上げ、その勢いは60年代まで続いた。

3. Shop Around

陽気な「Shop Around」はビルボードのR&Bチャートでトップになり、スモーキーとザ・ミラクルズは全米のステージに躍り出た。この曲は、タムラ・レコードの曲として初めて100万枚を売り上げた。スモーキー・ロビンソンとザ・ミラクルズ、そしてモータウンの時代が到来したのだ。

4. You Really Got A Hold On Me

スターになるとともに、スモーキーはソングライターとしての幅も広げ続けた。1962年のヒット曲「You Really Got A Hold On Me」は、100万回ものスローダンスのきっかけとなっただけでなく、彼が当初からロマンティックなリフレインのコツを知っていたことを証明している(ザ・ビートルズはこの曲のファンでカバーもしているほどだ)。

5. Mickey’s Monkey

また、彼は熱狂的なシャウトでダンスフロアを埋め尽くすこともできる。「You Really Got A Hold On Me」と同じく「Mickey’s Monkey」はともに「Shop Around」を超えるヒットとなり、100万枚を売り上げた。

レガシーの誕生

6. Come On Do the Jerk

7. I Second That Emotion

ザ・ミラクルズは、1964年のコール&レスポンスで大ヒットした「Come On Do the Jerk」、1967年の爽やかな「I Second That Emotion」でダンスパーティのサウンドトラックを提供し続けている。

8. Ooo Baby Baby

しかし、ザ・ミラクルズをチャートに押し上げ続けたのは、よりソフトな側面だった。「Ooo Baby Baby」は、スモーキー・ロビンソンの傷つきやすい側面の楽曲である。1965年に発表されたこのバラード曲は、後悔の念に満ちており、浮気をした後、愛を取り戻そうと必死になっている男の最後の手段が歌われている。スローなビートと陰鬱な曲調にもかかわらず、このシングルはまたもやチャートにて上昇し、ビルボード・ホット100で16位、R&Bチャートで4位を記録した(スモーキーが1979年の『ソウル・トレイン』にアレサ・フランクリンと一緒に出演したとき、彼女はトリビュートとしてピアノで「Ooo Baby」を弾き始めている)。

9. The Tracks of My Tears

次のシングル「The Tracks of My Tears」も、同じように感情を揺さぶる。この曲は、1983年にリンダ・ロンシュタット、2009年にスティーヴィー・ワンダーとデュエットしたことが記憶に新しい、ロビンソンが長年ライブで演奏してきた曲である。

10. The Tears of a Clown

成功にもかかわらず、ロビンソンは60年代が終わろうとする頃、ミラクルズからの脱退を考えていた。1970年のシングル「The Tears of a Clown」(スモーキーがスティーヴィー・ワンダー、ハンク・コスビーと共作)のヒットは、彼の脱退を遅らせた。

この曲はスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのシングルとして初めてBillboard Hot 100チャートのトップに輝き、フルートのトリルとファゴットの咆哮をフィーチャーしたその広大な楽器編成は、スモーキーの楽曲で最も壮大な作品の1つとなっている。

 

ソロ・アーティストとして

60年代は、スモーキー・ロビンソンにとって、ステージの上でも下でも多作な10年間だった。1964年にモータウンの副社長に就任し、ミラクルズが有名になる前に結婚したクローデットと2人の子供を迎え、家族が増えた。

 

11. Just My Soul Responding

1972年、ミラクルズとの最後のアルバム『Flying High Together』を録音。同年、ソロ・デビュー作『Smokey』も発売した。ファンクや自由奔放なグルーヴに寄り道した作品だ。「Just My Soul Responding」は、ストリングスと先住民のチャントを使ったプロテスト・アンセムの旅である。この曲は、スタイルが変化し、歌詞も深みを増している。ロビンソンは政治的な領域に真っ向から飛び込み、「There are forces who do everything they can do/To hold me back because my skin is black(できることは何でもする勢力がいるんだ / 私の肌が黒いからという理由で、私を拘束するようなね)」といった歌詞をも残している。

12. The Agony and the Ecstasy

13. The Love Between Me and My Kids

14. It’s Her Turn to Live

1974年にはスモーキーの私生活にも大きな変化があり、彼は2枚目のソロ作品『Pure Smokey』と、それに続く1975年の『A Quiet Storm』で、クローデットとの別離を明らかにした。このアルバムで彼は離婚(「The Agony and the Ecstasy」)、共同親権(「The Love Between Me and My Kids」)、母親への感謝(「It’s Her Turn to Live」)など、最もパーソナルな場面からインスピレーションを得ている。

 

15. Baby That’s Backatcha

商業的な成功を収めたスモーキー・ロビンソンが、実験的な衝動に駆られるのも無理はない。『A Quiet Storm』では、初のディスコ作品である「Baby That’s Backatcha」がR&Bチャートのトップを飾った。

スモーキー・ロビンソンのベスト・ソロ・ヒッツ

16. Cruisin

1979年の『Where There’s Smoke…』は7曲しかないが、スモーキー・ロビンソンのベストソングの特徴をすべて備えたセレナーデである「Cruisin」を収録している。ベルベットのようなヴォーカルはもちろん、一緒に歌いたくなるようなコーラスや、ソウルフルなシンフォニーのような豊かなアレンジが施されている。

17. Let Me Be the Clock

そしてスモーキーは80年代にもソロで大活躍する。1980年の『Warm Thoughts』からの「Let Me Be the Clock」は、これまでで最も独創的な言葉遊び(「let me be the pendulum that strikes your chime/私はあなたのチャイムを鳴らす振り子になりましょう」)が収められている。

18. Being With You

1981年のアルバム『Being With You』のタイトル曲は、Billboard Hot 100で2位まで上昇し、ロビンソンのソロ曲としては最高位となった。

 

19. One Heartbeat

20. Just to See Her

1987年の『One Heartbeat』では、タイトル曲と「Just to See Her」の2曲をトップ10入りさせただけでなく、初のグラミー賞(最優秀男性R&Bパフォーマンス賞)を獲得した。

Written By Hilary Hughes



 

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