史上最高のジャズ・ギタリストBEST50

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どんなに優れたジャズ・ギタリストでも、同じジャンルの管楽器奏者(特にサキソフォニストとトランペッター)が浴びるものと同じレベルの注目や賞賛を得ることは稀だ。もともとジャズではリズム・セクションでバンジョーに取って代わったギターは、ソロを演奏する為の伝達手段ではなく、他の楽器をサポートし伴奏をする楽器として認識されていたからなのかも知れない。

ジャズというジャンルの形成期に、ジャズ・ギター・プレイヤーにスポットライトが当たらなかったもうひとつの理由として、彼等の楽器がアコースティックで、他の金管楽器や木管楽器のように、アンサンブルを突き抜けるような音量の面で他の楽器に劣っていた点が挙げられる。従って管楽器が脚光を浴びている間、ギタリストはコードを掻き鳴らしながら、伴奏者として背後で何とかやりくりしなければならなかったのだ。

しかし電気の発明によって、ジャズにおけるギターの役割は一変した。1931年に登場したホロウボディ・エレクトリック・ギターは、重厚な金管楽器を誇るビッグ・バンドの中で自分のプレイを何とか聴いて貰おうと四苦八苦していたギタリストの間で、すぐさま引っ張りだこになった。現在では、そのパーカッション的リズム・ワークは、アンサンブル中ではっきりと聴き取れるようになっただけでなく、ソロをプレイすることも確実に可能になった。とは言え、ビッグ・バンドのスウィングの推進力と、管楽器のインタープレイに重きが置かれていることにより、同時代のベスト・ジャズ・ギタリスト(例えばスウィング時代の卓越したギタリストのひとり、カウント・ベイシー・バンドのフレディ・グリーン)のソロが認められることも、それどころか望まれることさえも殆どなかった。

しかし例外もあった。革命的ベルギー人のジプシー・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトは、より小さなアンサンブルでのプレイで名を上げ、ジャズにおけるギタリストの役割を再定義した。彼の驚異的なフィンガーボードの技は、あらゆる方面のギタリストをインスパイアし、新しい世代のジャズ・ギター・スター達、名ソリストやソリッドなリズム・セクション・プレイヤーを生み出した。

次にジャズ界で重要なギタリストといったら、チャーリー・クリスチャンだ。ベニー・グッドマン・バンドの一員だった彼は、管楽器奏者のように流れるようなシングル・メロディ・ラインを使いながら、ソロをプレイするその能力で人々を圧倒した。チャーリー・クリスチャンの高度なハーモニック・コンセプションはビバップの発展を先取りしていた。それは管楽器主導だったジャズにおいての音の革命であり、40年代と50年代のベスト・ジャズ・ギタリストの一部にも幾分スポットライトが当たるようになった。

ジャズ・ギタリストは50年代に急増したが、中でもずば抜けていたのは、50年代から60年代に差し掛かろうとしていた頃に名声を上げた、インディアナポリス出身の謙虚な天才ウェス・モンゴメリーだった。ウェスは彼のアイドルのチャーリー・クリスチャン同様、管楽器奏者のようにシングル・ノート・ラインをプレイすることが出来たが、それと同時にそのソロにコードやオクターブを盛り込んだ。その惚れ惚れするような人間離れした凄腕で、地球上に存在した最強のジャズ・ギタリストのひとりとして、すぐさまもてはやされるようになった。

ウェス・モンゴメリーの影響力は深く広がっていったが、60年代には、ジャズの複雑なハーモニック・ランゲージと、ロック・ミュージックのハイデシベルのダイナミックスが融合された新しいタイプのジャズ・ギタリストの時代の到来を告げた(例えばラリー・コリエルとジョン・マクラフリン)。

それ以降、例えばパット・メセニーのようなジャズ・ギタリストは一般に、さまざまなタイプの音楽ソースから、数々の影響やサウンドや、スタイリスティックな要素などの異なるものが融合した品種となった。しかし彼等全員に共通するのは、「ジャズ・ギター」という存在を暗い陰から引っ張り出し、明かりの元へと誘った初期の開拓者から受けた恩義だ。

もっと知りたい? では、史上最高のジャズ・ギタリスト50人のランキングを。


 

50: ジョン・ピザレリ(1960年生まれ)
有名ギタリストの父親(スウィング・スペシャリストのバッキー・ピザレリ)が、このニュージャージーのギタリストの音楽的発展を早めたのは間違いない。ジョン・ピザレリはまだ十代だった頃から、ベニー・グッドマンやクラーク・テリー等とプレイ。その味わい深いギター・ワークは、ステファン・グラッペリ、ローズマリー・クルーニー、ポール・マッカートニーといった幅広いタイプのミュージシャンのレコーディングを美しく飾り、同世代を代表するベスト・ジャズ・ギタリストのひとりとして名を上げた。

49: ノーマン・ブラウン(1970年生まれ)
このカンザス・シティ生まれのグラミー賞受賞ギタリストが、初めて影響を受けたのはジミ・ヘンドリックスとアイズレー・ブラザーズだったが、ウェス・モンゴメリーを聴いた後に方向転換をした。90年代に、ノーマン・ブラウンはソロ・キャリアをスタートさせ、柔らかく官能的なスムーズ・ジャズ・グルーヴに、ジョージ・ベンソン調のメロディ・ラインが混ざり合った、味わい深いプレイを披露した。

48: メアリー・オズボーン(1921-1992)
女性ギタリストはジャズ界では珍しいが、ラグタイムとカントリー・ミュージックを音楽ルーツに取り込んだノースダコタ出身のメアリー・オズボーンは、男性ギター奏者にまるで引けを取らなかった。メアリーは40年代にニューヨークで旋風を巻き起こしたが、自分の名義で発表したレコードは数少なかった。

47: ラッセル・マローン(1963年生まれ)
ジョージア出身のラッセル・マローンは、サイドマンとして引っ張りだこだったが(ジミー・スミス、ダイアナ・クラール、ロイ・ハーグローヴ、ハリー・コニック・ジュニア、ソニー・ロリンズ等の作品にクレジットされている)、自分名義の素晴らしいソロ・アルバムも立て続けに発表している。ラッセル・マローンはリッチでメロウな音色を好み、グラント・グリーン風の管楽器っぽいメロディに巧妙なコード進行を組み合わせた、より伝統的で真っすぐで、ボップ色を帯びたアプローチのジャズ・ギターで知られる。

46: エミリー・レムラー(1957-1990)
10歳の頃からプレイし始めた、このマンハッタン生まれのギタリストの才能を世界から奪ったのは、悲劇的な心臓発作だった。ウェス・モンゴメリーやジョー・パスからインスピレーションを得たエミリー・レムラーだが、その技巧的なフレットボード・ワークと、物憂げな優美さと感情を理解する能力を兼ね備えたスタイルを開発したことにより、史上最高のジャズ・ギタリストのひとりとして認められた。

45: チャーリー・ハンター(1967年生まれ)
通常の6弦ギターでは満足出来なかったロードアイランド出身のチャーリー・ハンターは、ベースラインをプレイし、対位法的なパターンを生み出すことが出来るカスタムメイドの7弦と8弦楽器で演奏するのを好んでいる。90年代初期には、マイケル・フランティのザ・スポザブル・ヒーローズ・オブ・ヒプポリシーのメンバーだった彼は、その後すぐにソロ・キャリアを築き、ブルーノートに5年間在籍した。ジャズのDNAと、ファンクやR&B、ロックとポップの要素を結びつけたハンターは、分類出来ないようなサウンドとスタイルの立案者であり、この世界屈指のジャズ・ギタリストの中ではユニークな存在だ。

44: カート・ローゼンウィンケル(1970年生まれ)
正統派ジャズ・ギタリストが忌み嫌っていたエフェクト・ペダルとギター・シンセサイザーを数多く使用することを厭わない、このフィラデルフィア出身のギタリストは、創作過程でリスクを冒し、多様な楽曲で実験的試みをすることも好むタイプだ。彼はヒップホップ群団ア・トライブ・コールド・クエストとそのリーダーであるQティップとのコラボレーションでも良く知られ、常に人を驚かす予測不可能なプレイヤーでもある。

43: ジュリアン・ラージ(1987年生まれ)
新世代ジャズ・ギター・スターの陣頭に立つジュリアン・ラージは、カリフォルニア州サンタローザ出身の神童として知られ、10代の若さでヴィブラフォンの巨匠ゲイリー・バートンと仕事をした。自分名義のソロ・アルバムはまだ4枚しかリリースしていないが、その技術、創造力、そして独自のサウンドを生み出す力により、彼の評判は高まりつつある。まだ若いが、今後世界を代表するジャズ・ギタリストとしての出世街道を上り詰める可能性を秘めた才能の持ち主だ。

42: アール・クルー(1953年生まれ)
ナイロン・ストリングのスパニッシュ・ギターの信奉者である、デトロイト生まれのアール・クルーは、カントリー・スターのチェット・アトキンスをテレビで観てこの楽器を始める決意をする。早い内からその才能を開花させた彼は、偉大なジャズ・プレイヤーのユセフ・ラティーフに指導を受け、その後ジョージ・ベンソンとのプレイ期間を経て、70年代後半にソロ・アーティストとしての地位を確立した。その明晰なフィンガーボードの技巧で、簡素さと優雅さが入り混じった魅力的なサウンドを奏でる、上品で繊細なミュージシャンだ。

41: ジェームス“ブラッド”ウルマー(1940年生まれ)
オーソドックスなリズム&ブルース・ギターの名人としてスタートしたジェームス・ブラッド・ウルマーは、70年代初期にそのスタイルをがらりと変えた。フリー・ジャズの大御所オーネット・コールマンとその革命的なハーモロディック理論(コレクティヴ・インプロヴィゼーションの為のユニークなシステム)に魅せられたウルマーは、その結果スクラッチーなコードとゴツゴツしたメロディを掻き集めた、散漫な作風を生み出した。最近になってからは、自身のブルース・ルーツを探求しているが、そのジャズ・ギターへの独特の取り組み方は、今でも史上最高のジャズ・ギタリスト中で比類ない。

40: エリック・ゲイル(1938-1994)
絶対音感を持つ多作のセッション・ギタリストのエリック・ゲイルは、そのソロ・アルバムの幾つかが証明するようにR&Bとファンクを主な音楽分野としていたが、ボップに影響された粋で巧妙なジャズ・ギターをプレイすることも出来た。そのサウンドのルーツにあるのは、ディープでコアなブルースであり、それは物悲しいB.B.キング調の泣きのフレーズ中にはっきりと表れていた。

39: エディ・ラング(1902-1933)
30年代前半に、ポール・ホワイトマンとビング・クロスビーの大編成のアンサンブルでプレイし、ビッグ・バンド・スウィング・ギターの発展の重要な立役者であるエディ・ラングは、ギターが(伝統的なバンジョーに取って代わり)ジャズの楽器として受け入れられるようになるまでの過程で、極めて重要な役割を果たしたという理由から、世界屈指のジャズ・ギタリストのひとりとして認められた。ジャンゴ・ラインハルトに多大な影響を与えたラングは、ずばり“ジャズ・ギターの父”と言われている。

38: ラリー・カールトン(1948年生まれ)
同時代のスティーヴ・カーンやリー・リトナー同様、ラリー・カールトンは70年代には人気セッション・ギタリストだった。その特色のある、ジャズに満ちたブルース・ロック・サウンドは、スティーリー・ダンの『The Royal Scam』やジョニ・ミッチェルの『Hejira』といった独創性に富んだアルバムを特徴づけている。ラリー・カールトンの作品はよりフュージョン志向で、その初期のアルバムは現在スムース・ジャズと呼ばれるものの先駆けだった。

37: ローリンド・アルメイダ(1917-1995)
サンパウロ出身でギターを独学で学んだアルメイダは、高セールスを記録したヴォーカル・グループ、アンドリューズ・シスターズの大ヒット曲「Johnny Peddler」を作曲したことで、アメリカ行きのパスポートを手に入れた。彼はその後スタン・ケントンのバンドに加入し、多産のレコーディング・アーティストとしてだけではなく、ウエストコーストのセッション・ミュージシャンとして数多くの仕事に取り組んだ。アコースティックとエレキ・ギターの双方に精通したアルメイダは、ジャズとブラジルのサウンドとスタイルを融合させた先駆けだった。

36: ジョージ・ヴァン・エプス(1913-1998)
メロウで豊かな音色で知られる、このニュージャージー州生まれのギタリストはまず若い頃にバンジョーに魅かれたが、エディ・ラングがビッグ・バンドでプレイするのを耳にした後、ギターに切り替えた。彼は13歳の時にラジオ・デビューを果たし、30年代に評判が高まる中、ベニー・グッドマン等ビッグ・バンドでプレイ。ジョージ・ヴァン・エプスは、より低いベース・ノートを出し、独自のフィンガー・ピッキング・スタイルを追求することの出来る、7弦ギターを自らデザインした。

35: ソニー・シャーロック(1940-1994)
世界屈指のジャズ・ギタリストで、50年代にドゥーワップを歌うことから音楽を始めたと言う人はあまりいない。ニューヨーカーのウォーレン“ソニー”シャーロックは、そうやってキャリアをスタートさせ、その後60年代にアヴァンギャルド・ジャズ・ギタリストのリーダー格のひとりになった。彼の第一希望の楽器はサックスだったが(ジョン・コルトレーンのサウンドに惚れ込んだ)、ぜんそくの為に木管楽器を選択することは叶わなかった。代わりに、ギターに目を向け、ホルン調のリード・ライン及びロック・スタイルのアンプのフィードバックを用いながら、彼独自のラウドでファンキーなスタイルを生み出していった。

34: ハワード・ロバーツ(1929-1992)
アリゾナ州フェニックス出身のハワード・ロバーツは、8歳の時に初めてのギターを手にし、15歳でプロとして仕事をしていた。その後ロサンゼルスへ移住し、すぐに売れっ子セッション・ギタリストになり、やがてザ・レッキング・クルーとして知られるセッション・プレイヤーから成るエリート・グループで活動するようになる。ウエストコースト“クール・スクール”の追随者だったロバーツのスタイルは、超然とした抑えられた感情と速弾きの妙技を融合したものだった。彼は多数のレーベルから数多くのソロ・アルバムをレコーディングしただけでなく、レコード・プロデューサーとしても活動した。またジャズ以外では、ザ・モンキーズとザ・エレクトリック・プルーンズの曲に参加した。

33: ケヴィン・ユーバンクス(1957年生まれ)
ジャズ・ピアニストのレイ・ブライアントの従兄弟で、フィラデルフィア生まれのケヴィン・ユーバンクスは、ヴァイオリンとトランペットに挑んだ後にギターに辿り着いた。彼が大ブレイクを果たしたのは、1980年にニューヨークへ移住し、アート・ブレイキーとプレイしてからだった。1983年にデビュー・アルバムをリリースし、その後も定期的にレコーディングを行っている。ユーバンクスはエレキもアコースティックも見事にこなす器用なギタリストであり、流れるようなメロディ・ラインに、生き生きしたパーカッシヴ・エフェクトと豪華でハーモニックな内容を見事に融合させている。

32: ビル・コナーズ(1949年生まれ)
ビル・コナーズはリターン・トゥ・フォーエヴァーでの在籍期間は短く、1974年に後任として迎えられた華やかなアル・ディ・メオラの陰に隠れてしまったが、グループの重要なアルバム『Hymn Of The Seventh Galaxy』でプレイし、ジャズ・ロック・ギターの発展に貢献していることで世界屈指のジャズ・ギタリストとして名を連ねた。このロサンゼルス出身のギタリストは、ジャズ・クロマチックスと高度なコード・チェンジに、ブルースとロックの要素を融合させながら、すぐにそれと分かる独自のスタイルを生み出した。

31: スティーヴ・カーン(1947年生まれ)
著名ソングライターであるサミー・カーンの息子スティーヴ・カーンは、多彩なスタジオ・サイドマンとして活躍しながら(彼はスティーリー・ダンやボブ・ジェームスからビリー・ジョエルやアレサ・フランクリンまで、多方面でクレジットされている)ソロでもキャリアを積み、2度グラミー賞にノミネートされた。70年代には、ジャズとロックを上手く融合させた後、小気味よいラテンの風味を足し、そのスタイリスティックな音色の幅を広げた。現在でも定期的にレコーディングを行なっているカーンは、傑出した現役ジャズ・ギタリストのひとりだ。

30: リー・リトナー(1952年生まれ)
キャプテン・フィンガーズというあだ名を付けられたLA生まれのリー・リトナーは、まだ10代だった頃にママス&パパスとレコーディングを行い、その後フランク・シナトラ、バリー・ホワイト、アレサ・フランクリンといった人々に仕事を依頼される人気セッション・ギタリストになった。リトナーは1976年にソロ・キャリアをスタートさせ、リターン・トゥ・フォーエヴァーといったバンドよりもファンキーでライトで、かつ大げさではないフュージョン路線を進み始めた。彼は大物スムース・ジャズ・グループ、フォープレイの元メンバーでもある。

29: パット・マルティーノ(1944年生まれ)
フィラデルフィア出身のギター・マイスターは、正統派のジャズからフュージョンやポスト・ボップへと、合図ひとつでスイッチ出来る音楽界の七変化だ。彼はソウル・ジャズ・プレイヤーのウィリス・ジャクソン、ブラザー・ジャック・マクダフ、そしてリチャード“グルーヴ”ホルムズの元で修行後、60年代後半にソロ・キャリアを確立した。またその知識を共有することに積極的なマルティーノは、ギター・プレイへの取り組みに関するテキストも書いている。

28: ラルフ・タウナー(1940年生まれ)
今でこそ世界屈指のジャズ・ギタリストのひとりとして知られるラルフ・タウナーが、初めて手にした楽器はギターではなかった。彼はトランペットからスタートし、その後ピアノに移った後に、ようやくクラシック・ギターに辿り着き、オーストリアで2年間学んだ。ポール・ウィンター・コンソートで経験を積んだ後、タウナーは1970年にチェンバー・ジャズとイースタン・サウンドを融合させたニューエイジ・ミュージックの先駆者的存在であるオール・アコースティック・バンドのオレゴンを結成。バンドは現在も元気に活動中だが、タウナーはまた数多くの作品を送り出す充実したソロ・キャリアを送っている。その魅力的なギター・ワークは透明で澄んでいて、現在でも美しい。

27: ジョン・アバークロンビー(1944-2017)
ミュンヘンを拠点とするマンフレート・アイヒャーのECMレーベルの多作なレコーディング・アーティストとして、70年代から活躍したこのニューヨーカーは、影響を受けたアーティストとしてチャック・ベリーとバーニー・ケッセル等を挙げている。ジョン・アバークロンビーは先駆的ジャズ・ロック・バンドのドリームスのメンバーであり、70年代にはギル・エヴァンスやスーパーグループのゲイトウェイ等とプレイしながら、メロディック・リリシズムが融合された温かく淡い色合いのサウンドを開拓した。

26: ビル・フリゼール(1951年生まれ)
ジャズ・ギターの偉人ジョニー・スミスとジム・ホールの生徒だった、メリーランド州生まれのビル・フリゼールは、ジャズにカントリー、フォーク、ロック・ミュージックの要素を融合させながら、独自のスタイリスティックな境地を切り開いていった。エフェクトを駆使しながら、特有の雰囲気や空気を生み出すのもまた彼独特のスタイルだった。ギターの可能性を広げることに一役買った、様々な技法を取り入れた万能なギタリストだ。

25: フレディ・グリーン(1911-1987)
サウス・カロライナ出身のフレディ・グリーンは、長い間カウント・ベイシー・バンドを支え、この最高のジャズマンと半世紀近くを共にした。彼はまずバンジョーを手にした後に6弦ギターに進み、ビッグ・バンド・スウィング時代に世に知られるようになった。プレディ・グリーンはソロを取ることは殆どなく、流れるようなハード・スイングする和音伴奏で、リズム・セクションを駆り立てることを好んだ。彼はビッグ・バンド・ギター奏法に関する本も書いている。

24: ハーブ・エリス(1921-2010)
50年代にオスカー・ピーターソン・トリオにとって不可欠な存在となり、多くのジャズ・ファンに注目されるようになったこのテキサス州出身ギタリスト、ハーブ・エリスのビバップに根差したスタイルには、僅かだがはっきりと分かるようなカントリーのテイストがあった。ハーブ・エリスはジョー・パス、チャーリー・バード、そしてバーニー・ケッセル等仲間のフレットボード名士達と共に、ザ・グレイト・ギターズというジャズ・ギターのスーパーグループを結成した。

23: アル・ディ・メオラ(1954年生まれ)
紛れもなくフレットボードのスピード・キングであるニュージャージー州出身のアル・ディ・メオラは、フラメンコ・ミュージックの情熱と速弾きの鮮烈さにサンタナ風ラテン・ロックの直感的で歯切れの良いプレイを融合させた。彼は19歳の時、ビル・コナーズの代わりにチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーに加入し、その存在を知られるようになり、その後ソロ・アーティストとして大成していった。

22: レニー・ブロウ(1941-1984)
メイン州オーバーンのカントリー・ミュージック一家に生まれたレニー・ブロウは、10代の頃の数年間家族で結成していたバンドのメンバーだったが、ジャズ調のソロをプレイし父親を怒らせ脱退。その後、凄腕だったレニー・ブロウはジャズに引き寄せられ、更にフラメンコ・ミュージックを吸収し、その結果、自身のカントリーのルーツをしっかり残した、特徴ある独創的なスタイルを築いた。

21: マイク・スターン(1953年生まれ)
ボストンでマイク・セジウィックとして誕生したマイク・スターンは、70年代にドラマーのビリー・コブハムのフュージョン・バンドでプレイ後、1981年に復活したマイルス・デイヴィスのカムバックまでの道のりを支えた。スターンは1983年にマイルスから離れてソロ・キャリアをスタートさせ、ブルースとロックの本能的なパワーに、ジャズの高度な技巧を結びつけることの出来る、オールラウンド・ギタリストとして開花した。

20: ジョン・スコフィールド(1951年生まれ)
同時代のマイク・スターン同様、オハイオ州生まれのジョン・スコフィールドは、ビリー・コブハムとフュージョンをプレイした後、復活したマイルス・デイヴィスと2年間を共にした(彼はマイク・スターンの後任だった)。スコフィールドはその渋い音色とブルース調のストリング・プルで、すぐにそれと分かるようなスタイルを生み出し、息を呑むような様々なスタイルで(ジャム・バンド・ファンク、オーケストラル・ジャズ、それからカントリー・ミュージックまでをも取り入れながら)レコーディングを行っている。

19: チャーリー・バード(1925-1999)
ヴァージニア州生まれでアコースティック、ナイロン・ストリング、クラシック・ギターを繰るジャズ推進者のチャーリー・バードは、スペイン出身の名人アンドレス・セゴビアに師事した後、50年代後半にレコーディング・アーティストとして頭角を現わし始めた。彼のメインストリーム最大の出世作は、サックス奏者のスタン・ゲッツと共に1962年にレコーディングした、革新的アルバム『Jazz Samba』だった。ジャズ・インプロヴィゼーションとしなやかなブラジリアン・リズムが融合された本作で、彼はすぐさま世界屈指のジャズ・ギタリストとして名を知られるようになった。極めて繊細なフィンガー・ピッキングによるバードのサウンドは、ジャズではユニークな存在だ。

18: アラン・ホールズワース(1946-2017)
音楽の博学者といった感じの高貴なイギリス人ジャズ・ギタリストは、変わったスケールを使い、プログレッシヴ・ロックの要素を吸収しながら(エフェクト・ペダルを含む)、使用楽器の技巧を向上させていった。ホールズワースは華美なフィンガー・ピッキングを用いることが多かったが、サックスのサウンドに対する関心により、メロディを洗練されたレガート・スタイルで表現するのを好んだ。

17: ラリー・コリエル(1943-2017)
フュージョン界のゴッドファーザーと称されることもある、ガルヴェストン生まれのラリー・コリエルは、ガボール・ザボの後任としてチコ・ハミルトンのバンドに参加後、ジャズ・ロックという新しいハイブリッド音楽の牽引者として、60年代後半からその名が知られるようになった。70年代には自らのフュージョン・バンド、イレヴンス・ハウスを率い、その後ジョン・マクラフリンとパコ・デ・ルシアと共にザ・ギター・トリオを結成した。ジャズとロックの溝を埋めた、影響力のあるギターの神様コリエルは、この楽器を手にした史上最高のジャズ・ギタリストのひとりとして、永遠に忘れられることはないだろう。

16: ジミー・レイニー(1927-1995)
タル・ファーロウの後任としてレッド・ノーヴォ・トリオに加入した、ケンタッキー州生まれのジミー・レイニーは、50年代半ばにバンドリーダーとなり、当時のダウンビート誌の投票で2度ベスト・ギタリストに見事選出された。その分かり易いメロディ・ラインとクールなハーモニーによる説得力のあるスタイルで、数多くのファンを獲得し、スタン・ゲッツ、オリヴァー・ネルソン、ラロ・シフリン、エディ・ハリス等、多数のレコーディング作品でクレジットされている。

15: ジョン・マクラフリン(1942年生まれ)
ジョン・マクラフリンのギター・プレイに強く心を奪われたマイルス・デイヴィスは、彼の名を曲名にしたほどだ(アルバム『Bitches Brew』収録)。それより先に、このヨークシャー生まれのギターの神様は、50年代のロンドンで人気セッション・ミュージシャンとして、無数のPOPとR&Bレコードに登場し名声を得た。トニー・ウィリアムスのライフタイムでプレイした後、70年代には人気ジャズ・ロック・スーパー・グループのマハヴィシュヌ・オーケストラを結成。卓越した技術に深い感情と、インド音楽に対する純粋な思いを結合させたマクラフリンは、世界屈指のジャズ・ギタリストであり続け、50年間にわたりジャズ・ロックの先頭に立っている。

14: ガボール・ザボ(1936-1982)
ハンガリアン・ジプシー・フォーク・ミュージック、エクステンデッド・モーダル・ヴァンプ、インド・ラーガ、そしてサイケデリックの音色の融合により、このブダペスト生まれの多才なギタリストはメキシコ人ギターの神様カルロス・サンタナに多大なる影響を与えた。ガボール・ザボは60年代初期にチコ・ハミルトンの草分け的ジャズ・グループに在籍したことで名声を得た後、ソロ・アーティストとして成功した。

13: ジョニー・スミス(1922-2013)
アラバマ州バーミンガム出身のジョニー・スミスは、幼い頃に地元の質屋でぶらぶらしながらギターの弾き方を覚え、若くして才能を開花させたミュージシャンだ。どんなこともこなす万能プレイヤーだった為(ジャズに引き寄せられる以前は、ヒルビリー・バンドとツアーし、スウィングからビバップからアヴァンギャルド・クラシック・ミュージックまで何でもプレイ出来た)、彼は引っ張りだこだった。ジョニー・スミスはまた著名な作曲家でもあり、1954年の名曲「Walk, Don’t Run」はインストゥルメンタル・スタンダードとなり、チェット・アトキンス、そしてその後の1964年には、ザ・ベンチャーズがヒットさせた。

12: スタンリー・ジョーダン(1959年生まれ)
1985年当時、まだ26歳だったシカゴ生まれのフレットボードの魔術師は、指先でフィンガーボードをタップしながら音を出す、非常にオーソドックスなギター演奏テクニックを披露したブルーノート・デビューLP『Magic Touch』でセンセーションを起こした。スタンリー・ジョーダンはその巧妙な指使いで、まるでピアニストのようにメロディとコードを同時に両手ではっきりと表現することが出来た。驚異的な才能を持つ、紛れもなく世界屈指のジャズ・ギタリストのひとりに相応しい人物だ。

11: タル・ファーロウ(1921-1998)
ノースカロライナ州出身で独学のギタリスト、タルネージ・ファーロウは若い頃、昼間は看板書き、そして夜間はミュージシャンとして活動していた。彼はベニー・グッドマン・バンドでプレイするチャーリー・クリスチャンに触発され、初めてのギターを自らの手で製作。ソロ・キャリアは50年代半ばに勢いを増し、その大きな手と開いた口が塞がらないほどの高度な技術から、すぐさまザ・オクトパスというあだ名が付けられた。

10: パット・メセニー(1954年生まれ)
このミズーリ州出身のカメレオンのような変幻自在の魔術師のアルバム・クレジットは、デヴィッド・ボウイやジョニ・ミッチェルからオーネット・コールマンまで多岐に渡り、そのユニークなスタイルの基盤に影響を与えた主なる人物として、彼はウェス・モンゴメリーとジム・ホールの名を挙げる。叙情的でハーモニー豊かであると同時に、音楽の限界をなくすことにも熱心なパット・メセニーの変わり続ける音楽は分類困難だ。彼はこれまでにグラミー賞を20個も獲得している。メセニーは史上最高のジャズ・ギタリストのひとりであるだけでなく、間違いなく、現在ジャズ界で最もプログレッシヴなギタリストだ。

9: ジョー・パス(1929-1994)
ニュージャージー州出身のシチリア系アメリカ人のジョー・パス(本名ジョー・パサラクア)は、9歳の時にギターをプレイし始め、その後めきめき上達して14歳でギグを行うまでになっていた。非常に多才なギタリストの彼は、巧みなコード進行を使いながらメロディ・ラインが表現出来る創造力に富む類い稀なスタイルを生み出した。ジョー・パスは何年にもわたりシンガーのエラ・フィッツジェラルドの伴奏を担当し、ピアニストのオスカー・ピーターソンとも精力的にプレイした。

8: ケニー・バレル(1931年生まれ)
頼りになるサイドマンであると同時に、自らの作品を制作するレコーディング・アーティストでもある、デトロイト生まれのケニー・バレルは、ブルース・ミュージック及びチャーリー・クリスチャンとジャンゴ・ラインハルトからインスピレーションを受けた。彼は12歳の頃からギターをプレイし始め、その8年後にトランペッターのディジー・ガレスピーとレコーディング・デビューを果たした。その後ハード・バップ・ムーヴメントの中心人物となり、ソウルフルにプレイすることもハードにスウィングすることも出来るアーティストとして、ソニー・ロリンズやドナルド・バードからビリー・ホリデイやトニー・ベネットまでと、クレジットに名が載った作品は数え切れない。

7: バーニー・ケッセル(1923-2004)
ザ・レッキング・クルーと呼ばれた60年代LAセッション集団のメンバーだったこのオクラホマ州タスキーギ出身のギターの達人は、50年代にリーダー及びサイドマンとして名を上げた(歌手ジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」を収録した1955年のアルバム『Julie Is Her Name』での演奏もよく知られている)。史上最高のジャズ・ギタリストと呼ばれるに相応しいバーニー・ケッセルは、ビリー・ホリデイからソニー・ロリンズまでジャズ界の様々な著名人とプレイし、メロウな音と洞察力に満ちたコード選びで知られていた。

6: グラント・グリーン(1935-1979)
60年代から70年代初頭に、ブルーノートの多作なレコーディング・アーティストだったセントルイス生まれのグラント・グリーンは、ビバップの管楽器奏者に影響を受け、コーダルな伴奏よりもシングル・メロディ・ラインを好み、ギターにリニア・アプローチを取り入れた。彼のミニマリストで余計なものはない方が良いという美的感覚と、ブルースに溢れたフレージングは、たびたびオルガン・トリオの曲で脚光を浴びた。

5: ジョージ・ベンソン(1943年生まれ)
チャーリー・クリスチャンに影響され、ウェス・モンゴメリーに指導を受けたピッツバーグ生まれのギターの名手は神童として知られ、70年代にヴォーカリストとして自己改革した後、ジャズとソウルのスーパースターになった。ソウル・ジャズ・スクール出身の巧妙なフレットボード・プレイヤーのジョージ・ベンソンの売りは、ギターでメロディを演奏しながらスキャット・ヴォーカルをやることだった。恐らくは当代最高のジャズ・ギタリストだろう。そして彼はよくウェス・モンゴメリーの確実な後継者と見なされてきた。世界屈指のジャズ・ギタリストとしてこれ以上の賛辞はないだろう。

4: ジム・ホール(1930-2013)
ニューヨーク州バッファロー生まれでオハイオ州育ちのジム・ホールは、10歳の時にギターをプレイし始め、自身のスタイルに多大な影響を与えたチャーリー・クリスチャンを初めて聴いた瞬間に人生が変わるような悟りを得た。その温かくメロウなサウンドで知られるホールは、空間を活用し音色のコントラストを生み出す達人だ。彼は、その選りすぐりのコラボレーターと様々なタイプの楽曲によって、ジャズ・ギターの語彙を膨らませるのに一役買った結果、世界屈指のジャズ・ギタリストのひとりとして名を残した。

3: チャーリー・クリスチャン(1916-1942)
真のジャズ・ギター革命児であるテキサス州生まれのチャーリー・クリスチャンは、1939-41年にベニー・グッドマンのバンドで世に知られるようになった。ジャズ・ギターを発展させ、管楽器奏者のようにシングル・ノート・ラインを使うことを好む傾向にあった彼は、その結果この楽器をリズム・セクションから引っ張り出し、前面に置き、確かなソロ楽器にした。その後ビバップへと進化していく音楽の先駆者だったチャーリー・クリスチャンは、結核により25歳の若さで他界した。

2: ジャンゴ・ラインハルト(1910-1953)
スウィングの影響を受けた30年代ヨーロピアン“ホット”ジャズの創始者である、このベルギー生まれの少数民族であるロマ人は、火事によって親指と中指と人差し指だけでプレイしていたにも拘わらず驚異的な技術力を誇っていた。彼は速さ、正確さ、見事なまでの手先の器用さ、そして想像力と深い感情を結びつけることが出来た。その舌を巻くようなプレイは色褪せることはない。まさに真のジャズの巨匠だ。

1:ウェス・モンゴメリー(1923-1968)
この史上最高のジャズ・ギタリストのリストのトップを飾るのは、崇拝され絶大なる影響力を持ち、音符を読むことの出来なかった、ンディアナポリス出身のフレットボードの天才ウェス・モンゴメリーだ。タコが出来た指で音を奏でるウェスは、彼のアイドルのチャーリー・クリスチャンによるビバップの管楽器調のフレージングに影響を受けたが、ブロック・コードを織り交ぜ、パラレル・オクターブを使いながら、より高度なハーモニック・スタイルを提供した。あまりにも早い死を遂げたが、その音楽と影響力は生き続けるだろう。

Written By Charles Waring

こちらのプレイリスト『Jazz Giants』を。


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