史上最高のチェス・ブルース・レコード・トップ10

Published on

Photo: Chess Records Archives

チェス・レコードは1950年にシカゴで設立された主要レコード・レーベルのひとつだ。会社はポーランド系ユダヤ人移民のレナード・チェス(元々の苗字はチシュ)とその弟フィルによってスタート。彼等がレコーディングした“レイス・ミュージック”〔訳注:1920年代から40年代にかけての使われた黒人大衆音楽の呼称〕は、活況ある戦後都市で発売された当時と変わらず、今でも新鮮に聴こえる。その中でもベスト・チェス・ブルース・レコードはロックン・ロールの基礎を築き、その影響力は現在でも感じることが出来る。

人が“チェス・サウンド”と言うと、大概チャック・ベリーやエタ・ジェイムスといったパイオニア達がシカゴで生み出した素晴らしい初期ロックン・ロール・ミュージックではなく、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、バディ・ガイやジョン・リー・フッカー等の偉人達が、チェスやその傘下のチェッカーからシングルやアルバムとして発売した、ブルース・レコードのことを意味している場合が多い。

チェス・レコードは多くの50年代ブラック・アメリカンのサウンドトラックであり、その時代のモータウン・レコードだった。という訳で我々は、ベスト・チェス・ブルース・シングル10枚を選んでみた。


 

1. マディ・ウォーターズ「I Can’t Be Satisfied」

マディ・ウォーターズは「I Can’t Be Satisfied」でチェス・レーベルに初のドル箱をもたらした。この曲は元々は音楽研究科アラン・ローマックスの為にプレイしたアコースティック・ブルースのエレキ・ヴァージョンだ。

マディ・ウォーターズは1948年に、ハイヴォルテージ・カントリー・ブルースという新しいブランドで音楽的に大躍進を遂げた。この曲はアリストクラット・レコード(チェスのオリジナル名)からリリースされた。マディ・ウォーターズがスライド・ギターをバックに歌詞を歌っているのを、レナード・チェスが初めて聴いた時、彼は「あれはなんて言ってるんだ? あんなの誰が買うというんだ?」と言った。プロデューサーのエヴリン・アロンズに説得されたレナード・チェスは、それでも一か八かやってみることにし、その結果初版3,000枚が1日で完売した。このシングルは現在シカゴ・ブルース初期の傑作として認められている。

 

2. マディ・ウォーターズ「(I’m Your) Hoochie Coochie Man

チェス兄弟は、仕事を求めて南部からシカゴへ移住して来た黒人達がレコードを買う為に、その中でも特にマディ・ウォーターズの音楽の為にお金を出すことに気づいた。従ってこのベスト・チェス・ブルース・レコード・リスト中に彼の作品が2枚登場するのは、別段驚くことではない。

50年代初頭になると、このブルースマンはバンドとレコーディングしたいと思うようになり、ミュージシャンのリトル・ウォルター(ハーモニカ)、オーティス・スパン(ピアノ)、そして偉大なブルース・ソングライター兼プロデューサーのウィリー・ディクソン(ベース)の才能にバックアップされながら、チェスの為に一連の素晴らしいシングルを発売した。“マディ・ウォーターズはやがてロックン・ロール・バンドとなるものの元型に着手した”とリトル・スティーヴンは言っている。

ブルース・バンドの中で最も輝いていた彼等は、ウィリー・ディクソン作曲の「I’m Your Hoochie Coochie Man」でその独創性を見せつけた。その他この当時チェスからリリースされたリトル・ウォルターの傑作は「Mannish Boy」、それから史上屈指の有名ロック・バンドの名前のインスピレーションになった曲「Rollin’ Stone」等。ミック・ジャガーとその仲間たちが60年代にチェス・スタジオに詣でた時、彼等は「2120 South Michigan Avenue」という、会社の住所から名を取ったインストゥルメンタル・トラックをレコーディングしていた。

 

3. リトル・ウォルター「Juke」

リトル・ウォルターのハーモニカの力によって、当時のブルース・レコードの多くに重厚さが加えられ、その結果彼は1952年にソロ・レコーディングの機会を得た。そうしてチェス傘下のチェッカーの為にリトル・ウォルター&ヒズ・ナイト・キャッツ名義で「Juke」をレコーディングし、この曲は同年9月にR&Bチャートでナンバー1を記録し、チャート・インしたリトル・ウォルター作品「My Babe」や「This Train」等全15曲の第1曲目となる。ドキドキするようなインストゥルメンタルには、マディ・ウォーターズとジミー・ロジャーズのギターがフィーチャーされている。

インストゥルメンタルはチェス初期の成功に重要や役割を果たした。チェス兄弟は1950年の6月に、インストゥルメンタル・バラード「My Foolish Heart」でレーベルをスタート。ジャズ・サクソフォニストのジーン・アモンズによる同ナンバーは、R&Bチャート・ヒットとなった。

 

4. ローウェル・フルソン「Reconsider Baby」

ローウェル・フルソンの1954年ヒットは、シンプルながらも印象的な歌詞と、ドライヴ感あるリズムによる12バー・ブルースで、エルヴィス・プレスリー、Tボーン・ウォーカー、エリック・クラプトン等、さまざまなタイプのアーティストによってレコーディングされてきた。ファルソンのこの曲はチャートに15週間留まり続け、ロックの殿堂が発表した“ロックン・ロールを作ってきた500曲”に選出され、史上最高のチェス・ブルース・レコードのひとつとしての地位を確かなものにした。

 

5. ボ・ディドリー「Bo Diddley」

チェス兄弟はミシシッピ州生まれのボ・ディドリーで成功すると確信し、まだ20歳代だった彼と長期契約を結んだ。そしてセルフ・タイトル・シングル(同じく傘下のチェッカーからリリース)で、“ボ・ディドリー・ビート”と呼ばれるアフリカから派生した印象的なグルーヴを確立した。この1955年のレコードは彼のトップ・セリング・シングルとなり、B面には素晴らしい「I’m A Man」がフィーチャーされていた。

バディ・ガイはこう言っている「フィルとレナード・チェスは、他の誰もが注目しなかったタイプの音楽を生み続けた」。

 

6. サニー・ボーイ・ウィリアムソンII「Don’t Start Me Talkin’」

同名人物の名を借用した二人目のサニー・ボーイ・ウィリアムソンは、強力なB面入りシングルをレコーディングしたチェス・アーティストのひとり。例えば1955年ナンバー「Don’t Start Me Talkin’」には、「All My Love In Vain」が付いていた。ウィリアムソンが書いた「Don’t Start Me Talkin」は、ボブ・ディランお気に入りのブルース・ソングのひとつとして知られる。

サニー・ボーイ・ウィリアムソンの想像力に富んだ歌詞と甘いハーモニカ・プレイをバックアップする理想的な音楽の為に、チェスは再び、オーティス・スパン(ピアノ)、マディ・ウォーターズ、ジミー・ロジャーズ(ギター)、ウィリー・ディクソン(ベース)、フレッド・ビロウ(ドラムス)といった、レーベルの卓越したミュージシャン達を招集した。

 

7. ハウリン・ウルフ「Smokestack Lightning」

サン・レコード創設者のサム・フィリップスは、ハウリン・ウルフの契約をチェスに持っていかれたことは、レコード・ビジネスで経験した最大の失望だったと言った。1910年生まれで本名チェスター・アーサー・バーネットというシンガーは、1956年に自らのペンによる傑作「Smokestack Lightning」を、ベーシストのウィリー・ディクソンとギタリストのオーティス・“スモーキー”・スマザーズ等のバンドと共に生み出した。たびたびカヴァーされているこの曲は、すぐさまヒットし(そして10年近く経過後に再びイギリスでチャート・イン)、ハウリン・ウルフの声を聴いたサム・フィリップスが、“永遠の魂(ソウル)の持ち主”と言ったその意味が理解出来る内容になっている。ハウリン・ウルフはベスト・チェス・ブルース・レコードのリスト入りを競い合うような、センセーショナルな「Moanin’ At Midnight」や「Sitting On Top Of the World」等、数多くの名作をレコーディングした。

 

8. ウィリー・ディクソン「29 Ways」

チェス成功の一因は、A&Rマン、作曲家、そしてフィクサーのウィリー・ディクソンの優れた仕事ぶりにあった。フレッド・ビロウのパワフルなドラミングと連携することの多かった彼のベース・プレイは、チェス・サウンドに不可欠だったのだ。ディクソンは1956年に、印象的なテナー・サクソフォン・ソロ(クレジットされていないが、ハロルド・アシュビーだとされている)がフィーチャーされた優しいスウィンギング・ブルースの逸品「29 Ways」で独立を果たす。その他ディクソンがチェスからリリースしたソロの名作には「Crazy For My Baby」や「Walkin’ The Blues」等がある。

 

9. ジョン・リー・フッカー「One Bourbon, One Scotch, One Beer」

ジョン・リー・フッカーは50年代にレコード・レーベルを転々としたが、チェス・レコードからのシングルの幾つかには、印象的なギター・ワークと引き込まれるような説得力のある内省的なヴォーカルを組み合わせた比類ないソロ・アコースティック・スタイルが披露されている。このブルースのマエストロは、50年代と60年代にシカゴとデトロイトでチェスの為にレコーディングを行なった。彼が1959年にチェスからリリースしたアルバム『House Of Blues』は、典型的なアルバムであると同時に、90年代に北米に登場した一連のブルース・クラブのインスピレーションになった。

 

10. エルモア・ジェイムス「Talk To Me Baby」

チェス兄弟はマディ・ウォーターズといったスーパースターと同時に、J.B.ルノア、ウィリー・メイボン、フロイド・ディクソン、ビリー・ボーイ・アーノルド等の才能溢れるブルース・ミュージシャンも抱えていた。また50年代と60年代に何度かセッションを行なったエルモア・ジェイムスのように、他レーベルのスター達が彼等の為にレコーディングすることもあった。

彼は「Dust My Broom」のチェス・ヴァージョンをレコーディングし、1960年には自作「Talk To Me Baby」の感動的なヴァージョンを発表した。「I Can’t Hold Out」としても知られるこの曲は、その後キャンド・ヒートも手掛けている。レナード・チェスが1987年のロックの殿堂スピーチで述べた通り、「チェスはアメリカ・ブルース・ミュージックの真の宝庫になっただけではなく、黒人音楽を世界中の白人オーディエンスを啓発する役割も担った」。

Written By Martin Chilton

♪ プレイリスト『Chess Records Essential

Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了