ビースティ・ボーイズの20曲:向こう見ずな革新性とヒップホップの新しい可能性

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ビースティ・ボーイズが唯一無二の存在だということは、様々な意味においてあまりにも真実で、わざわざ言う必要がないほどである。彼らは1980年代の初期にニューヨークで、荒々しいハードコア・パンク・バンドとしてスタートし、その後比類なきラップ・バンドへと姿を変えていった。アドロック(アダム・ホロヴィッツ)、マイク・D(マイク・ダイヤモンド)、そしてMCA(アダム・ヤウク)の3人は、初期の数々の曲で、ヒップホップの言葉の用法をパロディにしていた。後に曲の中で「稼げるスキル」と語った能力を、彼ら自身が持っていることを証明していた。

初の白人ラップ・グループというステイタスと、曲に散りばめられたユーモアのセンスが合わさって、彼らが本当の意味では属したことのないヒップホップをからかっているかのようなイメージを持たれることもあった。しかし、ビースティ・ボーイズが長年の間に発表した曲を注意深く聴いていくと、真実はそれと全く違うことが分かる。彼らはアーティスト達に敬われ、尊敬されている真のヒップホップ・アイコンである。彼らの向こう見ずな革新性や、ヒップホップという形式の新しい可能性を使った試みを見ると、ビースティ・ボーイズが、マイクを手にした者達の中で最も重要で、最も創造面で成功しているアーティストであることを認めざるを得ない。

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今日のデジタル・ミュージック・サービスがビースティ・ボーイズの物語を正しい形で伝えていなかったことが、彼らのイメージをさらに歪めることになったのかもしれない。彼らの最初のラップへの進出は、ラップ以前のパンクの曲と並んで90年代に再発されており、大半のストリーミングサービスで聴くことができる。だから、誰もが「Cooky Puss」(アイスクリームに関連したジョーク以上の意味がある)を知る機会があるが、非常に優秀で大胆で、音楽的にも歌詞的にも独創的な、初期のデフ・ジャムからのシングル「Drum Machine」(公式にビースティ・ボーイズの曲ではなく、MCAと彼の友人Burzootieとクレジットに表記されている)や、AC/DCのサンプリングを削除したシングル「Rock Hard」の素晴らしいB面曲「Beastie Groove」(緩急のあるビートの上を3人のライムが滑って衝突する曲)の凄さに気づく人は少ないだろう。

1985年に映画『クラッシュ・グルーヴ(原題:Krush Groove)』のサウンドトラック用の「She’s On It」を作曲した時には、初期のビースティ・ボーイズのペルソナが作られていた。彼らが演じていたのは、ビールと女の子とパーティに夢中のオタクっぽい10代の若者だった。しかし、騒々しいギター・リフの上で騒ぎながらも、彼らは本格的なラップのファンのためにラップもやっていた。

1986年のデビュー・アルバム『Licensed To Ill』(2016年に発売30周年を迎え、最新のレコードが発売された)収録の「Hold It Now, Hit It」は、ヒップホップ初期、黄金期の素晴らしい具体例である。彼らの生き生きしたアプローチと、フロウとリズムを楽々に変化させるラップは、彼らを一流のラッパー達と同じ土俵にのせるスキルと鋭さをあらわにしていた。「(You Gotta) Fight for Your Right (To Party!)」と「No Sleep Till Brooklyn」が世界中のシングル・チャートで1位を獲得し、定番のアンセムになっていったが、ライヴでのシンプルなヴォーカル・スタイルからは、このグループと、彼らの能力と、彼らの創造上の意図の広さと深さは分からなかった。

それまでの彼らのヒット曲を聞いて、同じような曲を期待していた人達は、1989年発表のアルバム『Paul’s Boutique』で不意打ちを食らった。しかし、彼らがライムの獣であることを知っていたファンにとっての驚きは、このアルバムが全編通して秀逸であるという点だけであった。彼らとロサンゼルスのプロダクション・チームであるダスト・ブラザーズは、歴史上の音楽から沢山のインスピレーションを得て曲の要素を拝借してはいたが、『Licensed To Ill』を振り返ることに興味はなかった。

Shake Your Rump」は、ファンキーにサンプリングを織り込み、彼らのMCが熟練のジャズ演奏者のようなビートを貫いていて、音楽的にも歌詞的にも名曲である。アルバムは多くの人達に見過ごされ、マルチ・プラチナムを獲得した前作と比べると売り上げがいまいちではあったが、ヒップ・ホップの名作として歴史に名を残し、しばしば史上最高に偉大なアルバムのひとつとして紹介されている。軽快で風変わりな「The Sounds Of Science」では、ザ・ビートルズの曲を数曲サンプリングしているのが魅力的で、スライ・ストーンを注入した活気溢れる「Shadrach」は、彼らが自身のアートを完全にコントロールしているバンドであることを知らしめている。

1992年になるとビースティ・ボーイズは、昔のようにタブロイド誌に載る悪ガキ達ではなくなっていた。そして『Paul’s Boutique』が、デビュー・アルバムの焼き直しを望むポップ・リスナー達を払いのけたことで、期待に対するプレッシャーが減り、彼らは両手を広げて、ずっとなりたかったグループになる心構えができていた。

1992年のアルバム『Check Your Head』では、パンク、ファンク、そしてサイケデリック・ソウルが、生楽器の演奏を取り揃えて作られた。しかし、本格的なラップ至上主義のファン・ベースを騙すものでもなかった。「Pass The Mic」は彼らのそれまでの曲のように獰猛でビートが効いていたが、「Jimmy James」のような曲は彼らが向かっている方向性を示していた。そこは非常に個性的で新しいサウンドの海で、そこでは全てが可能であり、あらゆるもくろみは無効であった。

次のアルバム『Ill Communicaiton』は彼らにしては早いペースで完成し、1994年に発表された。サンプリングとラップと生楽器を融合した曲「Sure Shot」は、永遠の名曲となった。この曲のサンプリングに使用された「Howlin’ For Judy」を演奏したジャズ・フルート奏者のジェレミー・スタイグは、半世紀に渡るキャリアで最高額の報酬を受け取った。一方、「Get Together」は、ユージーン・マクダニエルズの「Headless Heroes」に、Q-TipをMCとしてゲストに迎えてファンキーなラップを乗せた曲だ。だが、警官ドラマのテーマを織りまぜた猛烈な「Sabotage」と面白いミュージック・ビデオこそが、このアルバムのハイライトであり、おかげで彼らは再び世界的に有名になった。繰り返しになるが、もしあなたが知っているのが彼らのヒット曲だけであれば、彼らについて抱いている印象は、正しいものではない。

 

4年間の休止期間の後、『Hello Nasty』が発表され、彼らは“サンプルデリック”と呼べるような『Paul’s Boutique』のようにライムにフォーカスした音楽に立ち返った。「Intergalactic」のミュージック・ビデオはまた非常に楽しい映像になっており、東京の路上で建設作業員姿の彼らが巨大な殺人ロボットと戦っている。ハリケーン(1993年のソロ・アルバムに、ビースティ・ボーイズが初めて全員でゲスト参加した「Stick ‘Em Up」が収録されている/*訳注:ビースティ・ボーイズの専属DJであった)との長年のパートナーシップを終えた後、彼らは世界チャンピオンDJのミックス・マスター・マイクを迎え入れた。「Three MCs And One DJ」では、ヒップホップの基本に回帰し、彼らの曲作りのスキルを強化する喜びが披露されている。

2001年のテロ攻撃で影響を受けなかったニューヨーク市民はいない。ビースティ・ボーイズも例外ではなかった。彼らは長く続く復興の間に、金融街からそう離れていない場所にスタジオを建設して、アルバム制作を行なった。このアルバムは、“対テロ戦争”に対する彼らの返答となった。

2004年発表の『To The 5 Borough』は、ある意味、内省的だった。「An Open Letter To NYC」は、苦境にある街への彼らの思いを具体化した曲だった。しかし、暗いムードに対する彼らの挑戦のひとつは、彼らが一番上手くやれることに立ち返ることだった。ライムを大いに楽しみ、音楽と歌詞を楽しみ、ニューヨークを全ての物語が可能になる場所として祝い、以前のようにそれを続けることで、ニューヨークを守って行くことにしたのだ。「Ch-Check It Out」は、彼らのオシロスコープ・スタジオだからこそ作ることのできた曲で、倉庫を改造した木の床のスタジオによって、意図的に時代を超越するサウンドを設定し、楽曲を新しい場所に連れて行く代わりに、トラディショナルな空間を満喫した。「Triple Trouble」は、ヒップホップの初期に立ち返った曲で、「Rapper’s Delight」(ザ・シュガー・ヒル・ギャングの曲)のイントロをサンプルし、頭から離れなくなるビートに乗せて、3人が意気揚々と鮮やかにラップをやり取りしてみせた。

インストゥルメンタル・アルバムは次のステップとして誰も予想しないことだったので、彼らはそれをやった。2007年に発表された『The Mix-Up』は、ナズについて言及した「The Cousin Of Death」が収録されており、ナズはファースト・シングル「Too Many Rappers」にゲスト参加した。このアルバムは当初、2枚続きの作品にする予定だった。しかしながら、MCAがガンを患い、2009年にリリースが予定されていた『Hot Sause Committee Part One』は、発売延期になった。MCAが充分に回復してきちんとプロモーションができるようになった時に、彼らは全てを破棄し、代わりに『Hot Sause Committee Part Two』を発表すると発表したが、実際は最初のアルバムと全て同じ曲を収録することに決めていた。

 

しかし、MCAのガンが再発。そして2012年、彼らがロックの殿堂入りを果たした数週間後に彼が亡くなった時に、ビースティ・ボーイズは終わりを迎えた。『Hot Sause Committee Part Two』は秀作で、シングルの「Make Some Noise」と、特にMCAが監督した30分のミュージック・ビデオ——2つの異なる編成のビースティ・ボーイズ(イライジャ・ウッド、セス・ローガン、ダニー・マックブライドが一組、もう一組はウィル・ファレル、ジャック・ブラック、ジョン・C・ケリー)がニューヨークの路上で闘っている——が素晴らしかった。彼らは一巡して、始めた場所に戻ったのだ。それは、ウィットに富み、不遜で、実験的で、熟達した、最高に楽しい音楽を作るということであった。

Written By Angus Batey


♪プレイリスト『ビースティ・ボーイズの20曲』:Spotify

 


 

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