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“アフロビート”を発明して発展させたトニー・アレン(Tony Allen)逝去。その半生を辿る

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Photo: Bernard Benant courtesy of Big Mouth Publicity

ナイジェリアを代表するドラマーであり、フェラ・クティとともに“アフロビート”を発明して発展させたトニー・アレン(Tony Allen)が、2020年4月30日にパリで亡くなったことが彼のマネージャーによって伝えられた。79歳だった。

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マネージャーのエリック・トロセットは、トニー・アレンが心臓発作で死亡したことを米公共放送NPRラジオに語ったが、彼の死は新型コロナウイルスによるものではないと強調した。

「彼の体調はよかったんです」とトロセットはガーディアン紙にこう語った。「本当に突然でした。私はその日の午後1時に彼と話をしていたのに、その2時間後に彼は体調を崩してポンピドゥー病院に搬送され、そこで亡くなりました」

トニー・アレンは、1960~70年代にフェラ・クティのバンド「フェラ・クティ&アフリカ70」のドラマー兼音楽監督を務めていた。フェラ・クティは、1997年に亡くなっているが生前には「トニー・アレンがいなければ、アフロビートは存在しない」と語っていた。アフロビートは、西アフリカでフジ(Fuji)と呼ばれる音楽の要素をアメリカのファンクやジャズと融合させたものだ。

Tony Allen & Africa 70 – Afro-Disco Beat

 

トニー・アレンは、ブライアン・イーノから「おそらく史上最高のドラマー」と絶賛されている。トニー・アレンのキャリアと人生は、2013年に出版された自伝『Tony Allen: An Autobiography of the Master Drummer of Afrobeat』に詳しく記されている。

ナイジェリアの首都だったラゴスで1940年に生まれたトニー・アレンは、18歳の時に独学でドラムを学んだ。彼は、アメリカのジャズドラマー、アート・ブレイキーとマックス・ローチの演奏を注意深く聞くことで技術を身につけたと生前語っていた。

2002年の『The Wire』のインタビューで、トニー・アレンはアート・ブレイキーについて次のように語っている。

「彼は、私のアイドルであり、スーパーマンなんです。アート・ブレイキーの演奏は一人の人間が演奏できるようなものではありません。彼のジャズには、アフリカンなフレージング、彼の独特の様式があるんです。そして、シンバルのリズムに乗っている時の彼は本当に真剣で、何かを感じさせるんです」

その後、トニー・アレンはアフロビート特有の対位法的なリズムを生み出し、手足のそれぞれで4つの異なるビートを演奏できると言われていた。

「別に多くのプレイをしたいわけではないし、事を荒立てたくないんです」と彼は『The Wire』に自身のスタイルについて語っている。「多くのドラマーは大げさにして、見せびらかすのが好きなんだです。でも、それはすごい簡単。私が言いたいのはそういうことじゃない。シンプルでありながらも、力強いものを作ればいいんです」。

トニー・アレンがフェラ・クティと出会ったのは1964年のことで、彼らはフェラ・クティ&アフリカ70として『Gentleman』『Confusion』『Zombie』といった数十枚のアルバムを残した。その後、1979年にトニーは印税をめぐるバンドリーダーとの不和が報道された後、バンドを脱退。フェラ・クティはトニーの穴を埋めるために4人ものドラマーを必要としていたほどだった。

トニー・アレンは1984年にロンドンに移住し、その後にはパリに移り住んだ。長い音楽キャリアの中で多くのアーティストとのコラボレーションを行い、デーモン・アルバーン、ポール・サイモン、サイモン・トンらと結成したバンド、ザ・グッド,ザ・バッド・アンド・ザ・クイーンではドラマーを務めていた。また、晩年には名門ジャズ・レーベルのブルーノートから『A Tribute To Art Blakey & The Jazz Messengers』や『The Source』など、評価の高いタイトルをリリースしている。

Politely

 

マネージャーのエリック・トロセットはFacebookの投稿で「あなたの目には見えないものが見えていた」とコメントを投稿している。

ロンドンでトニー・アレンと一緒に過ごしたこともあるレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシストであるフリーは、トニーについて「この地球上で最も偉大なドラマーの一人」と呼び、彼のことを「ヒーロー」と表現していた。そして彼の訃報を受けインスタグラムで下記のように投稿している。

「とてもワイルドな人で、重厚で親切で自由な心を持ち、唯一無二のグルーヴを持っている。フェラ・クティがアフロビートを発明したのではない、フェラ・クティとトニーが一緒に生み出したのだ。トニー・アレンがいなければアフロビートは存在しない」

ベナンのシンガー、アンジェリーク・キジョーは、BBCの番組にてトニー・アレンの死と、今年3月にカメルーンの伝説的サックス奏者マヌ・ディバンゴが亡くなったことの両方が彼女にとって大きな痛みとなっていると語った。

「彼らから学び思い出すことは、音楽の会話、笑ったこと、一緒に喜んだこと。彼らは逝ってしまったけど、私の心の中からは消えてはいません」と語っており、インスタグラムでは「彼がアフリカ音楽の歴史を変えた」と語コメントを寄せている。

ガーナを代表するのラッパー、M.anifestはトニー・アレンが「アフロビートにビートを注入してくた」とツイートし、「静かなる伝説になってくれた、その生涯に感謝している」と追悼している。

Written By Tim Peacock





 

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