元ドクター・フックのレイ・ソーヤーが81歳で逝去:彼の音楽半生を振り返る

Published on

元ドクター・フック&ザ・メディスン・ショーのヴォーカル、レイ・ソーヤー(写真の左手)が2018年12月31日に81歳で逝去した。米メディアPage Sixがレイ・ソーヤーがフロリダ州のデイトナビーチにて病死したことを報じた後、バンドの代理人がローリング・ストーン誌に対して彼の死を正式に認めた。

アラバマ州のチカソーに生まれたレイ・ソーヤーはデニス・ロコリエール、ビリー・フランシス、ジョージ・カミングスと共にドクター・フック&ザ・メディスン・ショーを結成し、1969年から1981年までバンドに在籍。このバンド結成の数年前に車の事故により右目を失ったことにより眼帯を付けていたレイ・ソーヤーがピーター・パンのキャプテン・フックにそっくりな外見をしていたことから“ドクター・フック”のバンド・ネームが付けられた。

1970年にドクター・フック&ザ・メディスン・ショーのデモ・テープが作家でソングライターのシェル・シルヴァスタインのところに迷い込んだことがきっかけとなり、「Sylvia’s Mother」や「The Cover of ‘Rolling Stone」をはじめとする彼が手掛けた楽曲でメインストリームでの成功を収めたバンドは、1971年の『Dr. Hook』と1972年の『Sloppy Seconds』というシェル・シルヴァスタインによる楽曲を収録した2作のアルバムをリリースした。

 

ローリング・ストーン誌とヴォーカルのレイ・ソーヤーのスターっぷりをからかい半分に歌ったシングル「The Cover of ‘Rolling Stone」は全米シングル・チャートでTOP10入りを果たし、1973年3月には、“アラバマ経由のニュージャージー・バンド”という紹介と共に、ドクター・フック&ザ・メディスン・ショーの風刺画が同誌の表紙を飾った。レイ・ソーヤーはこの一件について「アラバマ出身のちっぽけなバンドが通りの角で、“ヘイ、俺たちを表紙にどうだい?”って言ってたらそれがうまくいったんだ。夢が叶った瞬間さ」とUltimate Classic Rockの取材の中で語っていた。

 

シェル・シルヴァスタインとの共作を経て、バンド名をドクター・フックに短縮してからは、70年代中盤から後半にかけて、「Only Sixteen」「A Little Bit More」「Sexy Eyes」「Better Love Next Time」、そして全英No.1を獲得した「When You’re in Love With A Beautiful Woman」などのヒットを連発し、1973年にはあのブルース・スプリングスティーンが彼らのオープニング・アクトを務めた。

 

ドクター・フックの9作目のアルバム発表後、1983年にレイ・ソーヤーはソロとしてのキャリアを追求するためにバンドを脱退し、1977年にセルフタイトルのソロ・アルバムをリリースした。その後はデニス・ロコリエールがドクター・フックのバンド名を所有しているが、レイ・ソーヤーは過去数十年に渡ってドクター・フック featuring レイ・ソーヤーとしてバンドとツアーを続けていた。ところが、2015年になって健康問題によりライヴ活動の停止を余儀無くされていたという。

デニス・ロコリエールはローリング・ストーン誌にこう述べている。「レイとは長い間連絡をとっていませんでしたが、私たちが親しい仲間として人生における大切な時間を共有したことにはなんの変わりもありません。深い悲しみにあるであろう彼のご家族に心よりお悔やみ申し上げます」。

Written by Tim Peacock



♪ プレイリスト『Americana Highway

Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了