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トーク・トークのフロントマン、マーク・ホリスが64歳で逝去。その音楽半生を辿る

Published on

2月 27, 2019

By

ItoMasaki

敬愛された英国バンド、トーク・トークのフロントマンだったマーク・ホリスが64歳で逝去した。彼の死は、マーク・ホリスの義理の従兄弟だと言われている作家で学者のアンソニー・コステロによって最初に伝えられ、その後、長きに渡って彼のマネージャーを務めたキース・アスプデンがナショナル・パブリック・ラジオに、彼が急病により64歳で亡くなったことを正式に報告した。

キース・アスプデンはこの訃報に際して、「マークの影響力はとても大きく、彼は僕のアートと音楽への見識をまるで違うものに変えてくれました。彼と過ごした時間、そして彼が与えてくれた穏やかな優しさに感謝の気持ちでいっぱいです」と述べていた。

トーク・トークのベーシストで、ラスティン・マンことポール・ウェッブは、自身のインスタグラムで「マーク・ホリスの訃報を知って大きなショックを受けています。彼は音楽に関して天才的で、彼と同じバンドで活動できたことを誇りに思っています。彼とは何年も会っていませんでしたが、私たちの時代における多くのミュージシャン同様に、音楽的概念の先駆者だった彼からは多大な影響を受けました」と追悼している。

最近は音楽業界から離れて隠遁生活を送っていたマーク・ホリスは、80年代に商業的な成功を収め、高い評価を得た才能溢れるソングライターだった。1991年、家族との時間を大切にしたいという理由で彼はトーク・トークを解散し、その後空白の時間を経て、1998年にリリースしたセルフタイトルのデビューアルバム後に、音楽業界からはほぼ身を引いていた。

マーク・ホリスは1981年から1991年にかけてトーク・トークのフロントマンを務めた。シンセ・ポップ・バンドとして成功を収めた初期を経て、彼らはその後ポスト・ロックとして知られていくジャンルのパイオニアとして、より実験的なサウンドを取り入れていった。広く絶賛された彼らのアルバム、1986年の『The Colour of Spring』、1988年の『Spirit of Eden 』、そして1991年にジャズ・レーベル、ヴァーヴから発表した『Laughing Stock』は、現代音楽の代表作として知られている。

マーク・ホリスはメインストリームのポップやロック業界をあからさまに見下していたが、トーク・トーク初期の頃には、全英チャート入りした多くのヒット・シングルを世に送り出している。それらのヒット・シングルには1982年の「Today」、1985年の「Life’s What You Make It」、そして1988年の3度目のリリースで遂に全英TOP20入りを果たした「It’s My Life」などがある。

 

1982年のSmash Hits誌のインタビューに、マーク・ホリスは、一部の人々の中で彼らのバンドが、同世代のデュラン・デュランと比べられることについて否定的に語っていた。「僕は言いたいのはただ2つ。まずは、この比較はフェアじゃないってこと。なぜなら明らかに人々は僕たちの音楽をちゃんと聴いてくれてはいないから。デュラン・デュランの音楽はバスドラムしかないだろ。それから、過去に僕たちは11ものバンドと比較されてきて、もう他のバンドの引き合いに出されるのには飽き飽きしてるんだ」。

独創性に富んだ『Spirit of Eden』で、彼らはポップ路線からは離脱し、その左翼寄りサウンドから評論家たちが“ポスト・パンク”と呼んだ音楽ジャンルにおける草分け的なバンドとして、その地位を確立していった。

トーク・トークの解散後、1998年にマーク・ホリスは唯一のソロ・アルバムをポリドールからリリースし、音楽業界から引退した。彼の最後の作品は2012年の米テレビドラマ「BOSS」のサウンドトラックとして起用されている。

彼の訃報を受けて、ソーシャルメディア上ではその死を惜しむ声が後を絶たない。ザ・キュアーやトーク・トークのミュージック・ビデオを手掛けたティム・ポープは彼の死をこう追悼している。「トーク・トークのマーク・ホリスが亡くなりました。彼のご家族に心よりお悔やみ申し上げます。僕たちは沢山の笑いを分かち合いました」。ベラ・ユニオン・レコードのボスであるサイモン・レイモンドも自身のツイッターでこう綴っている。「彼は私たちの世代における最も素晴らしい作曲家の一人でした。90年代に、彼が私たちの“September Studio”で新たな音楽を制作していた現場に立ち合えた事を光栄に思っています」。

デュラン・デュランのサイモン・ル・ボンはこう語った。「デュラン・デュランを代表して、偉大なる音楽の革新者、マーク・ホリスの訃報に際し、心からお悔やみ申し上げます。彼が創始し、フロントマンを務めたトーク・トークとは、1982年に一緒にツアーもしましたが、本当に素晴らしいライヴを魅せてくれました。マークは‘It’s My Life’や‘It’s A Shame’などの名曲を生んだ偉大なソングライターでもあります。1988年には傑作アルバム“Spirit of Eden”をリリースしました。彼の才能はこれからもその音楽と共に人々の記憶に残り続けるでしょう」。

 

1955年1月4日にロンドン北部のトッテナムに生まれたマーク・ホリスの兄は、エディー・アンド・ザ・ホット・ロッズのマネージャーも務めたDJでプロデューサーのエド・ホリスである。

18歳でマスウェル・ヒルへと移り住んだマーク・ホリスは、児童心理学者を目指していた。しかしながら、1975年にロンドンへ引っ越すために大学を中退し、検査技師として働き始めた。彼は当時についてこう語っていた。「家に帰って曲作りをするのが待ちきれなかった。四六時中曲のアイデアを紙切れに書き留めて、それを曲としてテープに記録できる瞬間を待っているんだ」。幸い彼には兄を通して、音楽業界へのいい道標があった。「彼はポップ・グループのマネージメントをしていたから、その仕事を間近で見ることができて、すごく楽しかった」。

後年彼は、オーティス・レディングやジョン・コルトレーンといったアーティスト、そしてバカラック&デヴィッドなどソングライターたちへの敬愛の念を語っていた。1977年当初、マーク・ホリスは、当時の流行の最先端を行くザ・リアクションというパワーポップ・バンドに在籍し、アイランド・レコードでデモ音源を録音していた。その当時の一曲が「Talk Talk Talk Talk」と名付けられた曲で、後にベガーズ・バンケット・レコードからリリースされたコンピレーション・アルバムに収録された。

1978年のバンド唯一のシングル「I Can’t Resist」リリース後にザ・リアクションは解散した。その後マーク・ホリスは彼の兄を通して、ポール・ウェッブ、リー・ハリス、サイモン・ブレナーらに出会い、1981年にトーク・トークを結成、EMIと契約を交わすことになる。

Written by Tim Peacock


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