【追悼記事】享年81才、グレン・キャンベルを偲んで

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ここ50年で、ギタリストとしてもヴォーカリストとしてもポップ・ミュージックの大御所と誰もが認めるグレン・キャンベルの死をuDiscoverで伝えるのは非常に悲しいことだ。この6年間アルツハイマー病と闘っていたグレン・キャンベルは、2017年8月8日、81歳で亡くなった。

グレン・キャンベルの家族はこう声明を発表した。

「アルツハイマー病との長く勇敢な闘いの末、愛すべき夫、父、祖父、そして伝説的な歌手でギタリストのグレン・トラヴィス・キャンベルは亡くなりました。

「グレンは、テネシー州ナッシュヴィル出身の妻、キム・キャンベルと彼女との3人の子供、カル、シャノン、アシュリー、前の結婚からの子供、デビー、ケリー、トラヴィス、ケイン、ディロン。10人の孫、ひ孫、姉妹のバーバラ、サンドラ、ジェイン、兄弟のジョン・ウォーラス・‘ショーティー’とジェラルド達に支えられてきました」

「お花の代わりに、ブライトフォーカス基金(*訳注:アルツハイマー病、加齢黄斑変性、緑内障根絶の研究を支援する非営利団体)のなかにあるグレン・キャンベル・メモリアル・ファンドへ寄付をお願いします。CareLiving.orgから寄付が可能です。妻キム・キャンベルからの声明は追って発表される予定です。皆様の祈りと家族のプライバシーを尊重していただき、感謝しています」。

グレン・キャンベルの家族は、グレン・キャンベルの精神状態についてできる限り公表してきており、その結果制作された2014年に公開されたドキュメンタリー映画『グレン・キャンベル: I’ll Be Me』(現在日本ではNETFLIXにて配信中)は未だかつてないレベルでアルツハイマー病の認知度向上に努めたとして称賛された。2017年6月には最後のスタジオ・アルバム『Adiós』をリリースし、グレン・キャンベルのキャリアは幸いにも愛情をこめて見送られたのだ。長年の友人、カール・ジャクソンをプロデューサーに迎え、アシュリー、カルとシャノンら子供達の貢献もあり、アルバムは広く称賛され成功した。

およそ50年もの間、グレン・キャンベルは誰もが知っているアメリカのポップ・カルチャーの代表的な存在だった。そんな彼は1961年に自身の名義でレコーディングのキャリアを始めた。グレン・キャンベルはそのすべての楽曲に、独特な個性と魅力をもたらした。さらに彼のルックスと、写真映えする魅力も手伝って、テレビ司会者や俳優としても活躍。これまでにグラミー賞6賞を受賞し、70枚以上ものアルバムのリリースにより、世界中で5,000万枚以上もの売上を誇っている。

グレン・トラヴィス・キャンベルは、1936年4月22日、アーカンソー州ディライトの近くのビルズタウンという町で12人兄弟姉妹の一人として生まれた。4歳で初めての楽器を通販で購入し、そのギターが手元に届いてからずっと演奏し続けている。「確か7ドルだったと思う、結構な犠牲がでたよ」と2000年にガーディアン紙に語った。

14歳の時、叔父のバンドに参加するために実家を出て、23歳でロサンゼルスに移り、最も売れっ子で評判の良いセッション・ミュージシャンとなった。グレン・キャンベルはセッション・ミュージシャンとして何千もの楽曲で演奏しており、中でも有名なのはビーチ・ボーイズの名盤『Pet Sounds』、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ディーン・マーティン、ライチャス・ブラザースなどで、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドではキーとなる要素となった。

そんな中、ジェリー・ケープハートが作った「Turn Around, Look At Me(邦題:ふりかえった恋)」を初めて自身の名前を冠したシングルとして、1961年10月にクレスト・レコードからリリースすると全米シングル・チャートで62位を記録した。その後もそれなりに成功していたものの、スターダムにたどり着いたのは1967年だった。ジョン・ハートフォードの「Gentle On My Mind」とジミー・ウェッブの「By The Time I Get To Phoenix(邦題:恋はフェニックス)」がポップ・チャートでトップ40入りし、後者がグレン・キャンベルの初のカントリー・ヒットとなり、これをきっかけに、グレン・キャンベルとジミー・ウェッブとの関係は生涯続くこととなったのだ。

1969年頭、ジミー・ウェッブ作曲の他に追随を許さない「Wichita Lineman」がグレン・キャンペルにとって初の全米トップ10入りしたシングルとなり、続いて同年に「Galveston」をリリース。その頃にはすでにテレビ・スターとして活躍し、(司会者の)代役として出演して好評を得た『The Smothers Brothers Comedy Hour』終了後、自らの名を冠した番組『Glen Campbell Goodtime Hour』を1969年から1972年まで続けた。

1969年の6月には映画『勇気ある追跡』でジョン・ウェイン演じるルースター・コグバーンに対しラ・ブーフを演じていた。そしてその映画のタイトル・ソング「True Grit」も彼の名曲のひとつとなった。さらにジミー・ウェッブの「Honey Come Back」や「It’s Only Make Believe(邦題:思わせぶり)」など選び抜かれた曲のリメイクが彼をポップとカントリーのチャートに入り続けさせた。

1970年代初期に低迷こそはあったものの、1975年のポップとカントリーの1位となった「Rhinestone Cowboy」でのカム・バックは凄まじかった。その後1977年の「Southern Nights」でも成功を掴ん時でも。クロスオーヴァーでの成功は少なくなった晩年でも、そして個人的問題に向き合った時でさえも、彼はレコーディングやパフォーマンスを見事なペースで続けていた。

1982年にキム・ウーレンと結婚し、グレン・キャンベルは求めていた安定を手に入れた、そして二人の結婚は、彼の最期まで続いたのだ。70代に入ってからも『Meet Glen Campbell』(2008年)、2011年の『Ghost On The Canvas』そして2013年の『See You There』とアルバムの発売を続け、さらに自分の伝説に磨きをかけた。2005年にはカントリー・ミュージックの殿堂入りを果たし、2012年にはグラミーの特別功労賞生涯業績賞(Lifetime Achievement Award)を受賞した。

ジミー・ウェッブの曲へのアプローチや自身の才能について、グレン・キャンベルはこう語っている「できるだけありのままに、感情を精一杯込めて歌おうとした。それが功を奏した。自分がどう聴こえようかどうでもよかったんだ。当時は自分の声があまり好きではなくてね。でも今は好きかな。慣れてきたから」。

世界中の何百万人ものファンが同じように感じているに違いない、そしてグレン・キャンベルへ心のこもった‘Adios’(さようなら)を告げるだろう。

Written by Paul Sexton



グレン・キャンベル最後のアルバム『Adiós

  

 

 

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