ドリフターズのチャーリー・トーマスが85歳で逝去。その功績を辿る

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The Drifters in 1961, with Charlie Thomas, Dock Green, Rudy Lewis and (front) Tommy Evans. Photo: Gilles Petard/Redferns

1950年代から60年代にかけて、そして1980年代後半からドリフターズ(The Drifters)のメンバーとして活躍したチャーリー・トーマス(Charlie Thomas)が2023年1月31日、メリーランド州ボウイの自宅で逝去した。85歳だった。

彼の友人であるピーター・ルモンジェロ・ジュニアは、ニューヨーク・タイムズ紙の取材に、彼が肝臓がんを患っていたことを次のように明かしている。

「彼は高齢ではありましたが、以前はほぼ毎週末、精力的に活動していました。 ただ残念なことに、その後自宅で過ごすことが多くなり、健康状態が悪化していったのです」

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その生涯

1937年4月7日、バージニア州リンチバーグに生まれたチャーリー・トーマスは、ファイブ・クラウンズのメンバーとして活動していた。ドリフターズは、1953年にフロントマンのクライド・マクファターを中心に結成。1955年にクライド・マクファターが脱退し、1958年にグループを所有していたジョージ・トレドウェルが当時のメンバー全員を解雇すると、チャーリー・トーマスらファイブ・クラウンズのメンバーをスカウトしてドリフターズに改名させた。

音楽史家のマーヴ・ゴールドバーグは、当時を振り返り、「子供の頃、アポロ(・シアター)でドリフターズを見るためによくずる休みしました。最高でしたよ」と記している。

皮肉にも、ドリフターズの存在は、そのグループ名の商標を巡る論争や、彼らのヒット曲をカヴァーした様々なスピンオフ・グループによって世間に知られるようになっていった。一方で、チャーリー・トーマスが在籍中の1958年から1960年にかけて、ソロ活動を始める前のベン・E・キングがリード・ヴォーカルを務めていた時期に、彼らは最も長く愛されるヒット曲のいくつかをアトランティック・レコードで録音している。このうち、「There Goes My Baby」と「Save The Last Dance For Me」は共に全米R&Bチャートで1位、後者は全米ポップ・チャートでも首位を獲得し、前者は2位を記録している。

1961年の「Sweets For My Sweet」や「When My Little Girl Is Smiling」を筆頭に、チャーリー・トーマス自身がリード・ヴォーカルを務めた曲もあるが、この時代はジョニー・ムーアやルディ・ルイスがリードを務めることが多かった。チャーリー・トーマスは1967年にドリフターズを一度脱退しているが、1988年に再加入し、グループの一員としてロックの殿堂入りを果たした他、1999年にはリズム・アンド・ブルース財団からパイオニア・アワードを授与されている。

Written By Paul Sexton




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