アトランティック・レコード創設者アーメット・アーティガンを偲んで

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レコード会社の要職にあって、アーメット・アーティガンほど音楽業界の形成に多大な功績を果たした人物はいないだろう。数え切れないほどのミュージシャンをスーパースターに押し上げ、自分自身も優れた作曲家/プロデューサー、また博愛主義者だった。そんなアトランティック・レコードの創設者が亡くなってから、すでに10年以上が経った。

トルコ系アメリカンの企業家は1923年7月31日にイスタンブールで生まれた。彼が音楽業界に大きな衝撃を与えたのは第二次世界対戦直後のことだった。彼は、2006年12月に83歳で永眠したが、今日においても彼がもたらした基準はレーベルを率いるものにとって、強く求められる物となっている。

アーティガン独特の洞察力と鋭さは、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリン、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケットらR&Bの旗手たちや、クリーム、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズら多くの伝説的ロック・バンドの台頭に大きな影響を与えた。そうしたアーティストと私生活でも関わりをもっていたことで、彼が世界に届けた音楽以上のオーラを彼自身も放つようになった。

2007年2月、ビルボード誌の特別号ではアーメットの国際的成功を振り返る追悼特集が組まれた。ここでその一部を引用したい。

「ビジネスマンとして、また社交界の名士として世界を股にかけて活躍したアーメット・アーティガンについての逸話は実に多い。すべてを知った気でいても、彼と関わりのあったミュージシャンがまた現れて、思い出を語り出す。

アトランティック・レコードの創設者であった故人が同世代のビジネスマンと一線を画しているのは、彼の世界的な視野によるところが大きい。彼にとっての音楽ビジネスはアメリカだけで完結するものではなかった。彼の父が国際的に活躍するトルコの駐在大使であったように、アーティガンは音楽の世界で先見の明を持ち、様々な可能性を見出してきた。彼に一生頭が上がらない世界的アーティストは数多く存在する。

2001年、77歳だった彼は業界のスターが顔を合わせるイベントに主賓として参加すべくロンドンへ飛んだ。ローリング・ストーンズやクリーム、イエス、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾンらイギリスの大物バンドの世界的な活動に貢献した業績を讃えられ、ミュージック・インダストリー・トラスツ・アワードを受賞したのである。

『外国人がもらえる賞ではないよね?』アーティガンはイギリスへ出発する前、筆者に尋ね、こう続けた。『僕は若い頃イングランドで過ごしていたことがあったから、自分がイギリス人のように感じている節があるんだ。僕が幼かった1930年代のジャズからイギリスの音楽の大ファンだった。イギリスに住む前にフランスとスイスにもいたけど、イギリスはすごくアメリカに近かった』。

ある人は受賞の夜、スピーチの演壇に上がる際に杖をついていた彼が『これをラッパーにやられたという噂は嘘だよ』と話していたことを回想する。

イギリスとアメリカの間の音楽的な交流も、アーティガンの助力あってのものだった。これによって前述のアーティストだけでなく、ビー・ジーズダスティ・スプリングフィールド、そしてイギリス系アメリカ人のフォーリナーやクロスビー・スティルス&ナッシュらが大きな恩恵を享受した。

この交流は双方向に効果を上げていた。1967年、アトランティックが契約していたレーベル、スタックス・レコードのアーティストたちはヨーロッパでのパッケージ・ツアーを行っており、イギリスで将来スターとなる若い世代に大きな刺激を与えた。

同ツアーに参加していたアーティストのひとりがサム&デイヴのサム・ムーアである。彼は近年になって、アーティガンと食事をともにする機会があったのだという。

『僕がニューヨークのカッティング・ルームで(アルバム『オーヴァーナイト・センセーショナル』の)お披露目パーティーをしていると、お付きの人もつけずにアーメットがひとりで入ってきたんだ。僕らは座って話をした。あれはすばらしい時間だったよ。デイヴとアトランティックに所属している間は、アーメットは僕にあまり関心がないと思っていた。でも後になって、彼は良い人だとわかったんだ。アーメットのもとで働くすべての人は、彼から学び取ることがある。彼が基準を作ったんだ。彼に恐れを抱く人はいない、抱くのは尊敬の念だけなのさ』。

Jack Bruce, Eric Clapton, Ginger Baker, Ahmet Ertegun, Brian Epstein (1967年)

アーティガン本人は2001年にこう話している。『アメリカでR&Bが出現し、ブルースが息絶えようとしている頃、新しいタイプのミュージシャンたちが出てきた。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、キース・リチャーズのように、誰かの真似ではない人たちだ。彼らはどこで学んできたのか、ブルースの才能を自然と身につけていた。自分たちのやり方を持った彼らに僕は憧れていた』。

クラプトンとクリームでバンドメイトだったジャック・ブルースは、ロック・スターに囲まれながらも自然体でいた全盛期のアーティガンの様子がわかるエピソードを話している。

『彼が真冬のロンドンで、ロバート・スティグウッド(クリームのマネージャーで興行主)のオフィスに行ったときのことだ。彼は僕に、ホテルまで車に乗せてほしいと言ってきた。僕が持っていたのはアダムス・プローブという変わった車で、高さは1メートルもないくらいだった。乗るのに屋根を開けないといけない安物だったんだ。高級ホテルに連れて行かなきゃならないのにね。ふたりでブルック・ストリートの階段を降りると、外は雪が降っていた。アーメットが『車はどこ?』と聞くと、そこには小さく雪が積もっていた。僕は『その下にあるよ』と言ったんだ』。

真剣な話をすると、ブルースはアーティガンを真の開拓者と賞賛している。『ジェリー・ウェクスラーやアリフ・マーディン、そしてアーメットのすごいところは、ほとんど何もないところから業界を作っていったことだ。アーメットは音楽が大好きで、革新性に富んでいた。彼なしで今の僕らはありえない』。

By Paul Sexton


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