カンのドラマーのヤキ・リーベツァイト、78歳で死去

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ドイツのプログレッシヴ・エレトロニック・ロックの草分け、カンのドラマーのヤキ・リーベツァイトが1月22日に肺炎の為に78歳で亡くなった。彼はつい昨年までプレイしていた。

リーベツァイトがカンで見せたミニマルで威厳ある“モトリック”なドラミング・スタイルは、人々に称賛され、その後出現する“クラウトロック”と呼ばれるものの重要な要素となった。ジョン・パレルズはニューヨーク・タイムズに寄せた死亡記事で、次のように書いている。「ミスター・リーベツァイトはそのドラム・キットでバンドを駆り立つつスペースを残すパターンをクリエイトした。そのプレイはメトロノームのように正確で、まるで機械のようだった」。そして最後にこう付け加えた「彼がパターンの中の音ひとつに微妙なアクセントを入れたり、シンバルやスネア・ドラムを軽く叩いたりした瞬間、衝撃的で激しい結果がもたらされたんだ」。

ヤキことハンス・リーベツァイトは1938年にドレスデンで生まれ、ジャズ界でその音楽的手腕を発揮させていった。1960年代初期にバルセロナへ移住、トランペット奏者のリーダー格チェット・ベイカーやカタロニア人ピアニストのテテ・モントリュー等と共演。1960年代半ば、マンフレッド・ショーフ・クインテットでプレイした後、1968年にカンのオリジナルメンバーとなり、翌年『Monster Movie』でアルバム・デビューを果たした。

ガーディアンの死亡記事に、カン初期の頃の素晴らしい逸話が綴られている。

あるコンサートのオーディエンスに信じられないような人物、ハリウッド・スターのデヴィッド・ニーヴンがいたのだ。その後彼等の音楽について感想を聞かれた時、彼はこう言った。「最高だったが、あれが音楽だとは知らなかったな」。

カンは1970年代に数多くのレコーディングを行ない、人々の関心は高まっていき、ディスコ調の「I Want More」(1976年のアルバム『Flow Motion』収録)でUKヒット・シングルまで手にした。彼等の最後のリリースは1989年の『Rite Time』。その後リーベツァイトはエレクロトニック・プロデューサーのバーント・フリードマンと広範囲に渡る仕事をこなす。彼は4月にカン・プロジェクトとして、元バンド・メイトのイルミン・シュミットとマルコム・ムーニーと、ロンドンのバービカンに登場する予定になっていた。

Written By Paul Sexton


 

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