「イパネマの娘」で知られるアストラッド・ジルベルトが83歳で逝去。その功績を辿る

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Astrud Gilberto - Photo: Ingo Barth/ullstein via Bild via Getty Images

ボサノヴァの名曲「Girl from Ipanema(イパネマの娘)」の歌唱で知られるアストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)が2023年6月5日、83歳で亡くなった。彼女の孫娘であるソフィア・ジルベルトは、インスタグラムでこの訃報を以下のように伝えた。

「今日、私の祖母が星となり、祖父ジョアン・ジルベルトの隣にいるという悲しいお知らせをしなくてはいけません。彼女はパイオニアであり、最高の存在でした。22歳で“Girl from Ipanema”の英語版に声をあて、国際的な名声を得ました」

また、アストラッド・ジルベルトとコラボしたことがあるニューヨーク在住のギタリスト、ポール・リッチもFacebookで彼女の訃報を次のように悼んだ。

「アストラッド・ジルベルトの息子マルセロから、彼女が亡くなったという知らせを受けたところです。彼からこの訃報を投稿するようにお願いされました。彼女はそのエネルギーで多くの人生を変え、ブラジル音楽の重要な一部でした。彼女が私を呼んだように、“the chief”より。RIP」

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その生涯:偶然歌った「イパネマの娘」

ブラジルのバイーア州でアストラッド・エヴァンジェリーナ・ワイナートとして生まれたアストラッドは、幼い頃にリオデジャネイロに移り、ほとんど全員が楽器を演奏するという母方の家系から音楽のインスピレーションを得て成長した。

1959年にミュージシャンのジョアン・ジルベルトと結婚した彼女は、1963年、彼がジャズアーティストのスタン・ゲッツや同じブラジルのボサノヴァのスター、アントニオ・カルロス・ジョビンとレコーディングするニューヨークへの旅に同行した。このセッションのプロデューサーは、「The Girl from Ipanema」がアメリカの聴衆に受け入れられるように、英語で歌える歌手を探していたのだが、その時、レコーディング経験のないアストラッドが唯一英語を話せる人物だった。

オリジナル版は夫とのデュエットで、アストラッドはクレジットもされておらず、印税も支払われず、セッションミュージシャンとしてのわずかな報酬を受け取っただけだった。しかし、「The Girl from Ipanema」がジョアンのブラジル語のボーカルを抜いてソロシングルとして再編集されると、1964年に全米トップ5、全英トップ30に入る大ヒットとなった。

 

ソロとしての活動

「The Girl from Ipanema」はグラミー賞の年間最優秀楽曲賞を受賞し、アストラッドも「最優秀女性ボーカルパフォーマンス賞」にノミネートされた。1964年当時の彼女の人気は高く、ナンシー・シナトラ主演のティーン向け映画『クレイジー・ジャンボリー(原題:Get Yourself A College Girl)』に、スタン・ゲッツとともに本人役で出演し、デイヴ・クラーク5やアニマルズに混じってスクリーンに登場している。

成功を収めた「The Girl from Ipanema」をきっかけにして彼女は、1965年に『The Astrud Gilberto Album(おいしい水)』をリリース。この作品では、アントニオ・カルロス・ジョビンとのコンビでブラジルのスタンダード曲を演奏し、ソロ活動も成功させることになった。

1970年代に入ると、彼女は自分で曲を作るようになり、『Now』(1972年)や『That Girl from Ipanema』(1977年)などのアルバムを発売。後者のアルバムでは、彼女の夢の一つであった伝説のジャズ・トランペッター、チェット・ベイカーとのデュエットで、「Far Away」が収録されている。

レコーディングと並行して、彼女は俳優としてのキャリアも築き、映画『犯罪組織(原題:The Hanged Man)』や前述の『クレイジー・ジャンボリー』に出演し、クインシー・ジョーンズのアレンジによる映画『恐怖との遭遇(原題:The Deadly Affair)』のサウンドトラックに参加している。

1980年代初頭、彼女は息子のマルセロをベースに据えたグループを結成し、世界ツアーを行った。しかし、自分が相応の評価を得ていないと感じていた母国であるブラジルでの演奏は避けていた。

ヨーロッパでは、1986年にジェームス・ラストとサンバの名曲を集めたアルバム『Plus James Last And His Orchestra』を録音し、1996年にはエイズ撲滅を目指すチャリティー作品『Red Hot + Rio』のために「Desafinado」をジョージ・マイケルとともにデュエットしている。

2002年、ジルベルトは最後のアルバム『Jungle』を録音し、その後、無期限のパフォーマンス休止を発表した。

Written By Tim Peacock




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