ナイン・インチ・ネイルズのベストソング20:トレント・レズナーが生み出した苦悩と創造力

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Photo: Ebet Roberts/Redferns

時折、偉人になる運命を背負って生まれる人がいる。世界中の人々の共感を集め、人々の視点を変えることができる特別な才能を持った人物。その創造力は桁外れで、新しいアイディアを具現化する才能を持っている。現代音楽の宝であるトレント・レズナーは、人々に影響を与えて続けている人物で、彼のユニークな世界観は、ナイン・インチ・ネイルズの全ての楽曲の中に見出すことができる。

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オハイオ州クリーヴランド出身のトレント・レズナーは、古い慣例や慣習を破り、グラミー賞受賞バンド、ナイン・インチ・ネイルズの立役者としての役割を遂行してきた。彼はその間、プロデューサー、ソングライター、ミュージシャンといった様々な役割を兼ねる自由な業界人を代表する数少ないひとりでもあった。

1988年にナイン・インチ・ネイルズを結成したトレント・レズナーのバンドのコンセプトは、実験音楽(エクスペリメンタル・ミュージック)というダークなサブ・ジャンルに基づいていた。ザ・ネットワークやワックス・トラックス!等のレーベルの作品に見られる実験音楽は、スロッビング・グリッスル、ミニストリー、ゲイリー・ニューマン、ペル・ウブ、そしてオーストラリアのポストパンク/アヴァンギャルド・バンド、フィータスらが開拓者であった。

テクノロジーの発展のおかげで、トレント・レズナーは他のミュージシャンに頼らずに彼自身を表現できるようになった。彼がエレクトロニカをインダストリアル・ミュージックに導入した結果、それまで主にアンダーグラウンドだったインダストリアル・シーンに、劇的な変化が起こった。そして、この時期のナイン・インチ・ネイルズの名曲の数々は、苦悩とサンプラーを融合した音楽を追求するバンドにとって、素晴らしい青写真となった。

両親の離婚後、トレント・レズナーはクリーヴランドに移住し、ライト・トラック・スタジオのアシスタント・エンジニアの職を見つけるまで、いくつかのバンドでプレイしながら、様々な仕事をこなしていた。そのスタジオで、トレント・レズナーは彼のアイディアのパンドラの箱を開け、スタジオのオーナーに、仕事の後にレコーディングをする許可をもらって、ナイン・インチ・ネイルズの革新的なデビュー・アルバム『Pretty Hate Machine』のレコーディングを開始した。

1989年に発表された『Pretty Hate Machine』は、唸るドラム・サンプルと、手の込んだエレクトロ・アレンジメントが融合した容赦しないサウンドを叩き出した。それはまるでディスコとパンクが合わさって生まれた私生児のようだった。ナイン・インチ・ネイルズはメインストリームを掌握し、それを手放すことを拒否しながら、1980年代後半にはタブーだった攻撃的で不道徳な内容の歌詞に溢れたダークで脅威的な曲を提供していった。この自主制作のデビュー作は、今なおナイン・インチ・ネイルズのベスト曲とみなされている画期的で強力な曲が収録されていた。そこに含まれるのが、「Head Like A Hole」と「Down In It」である。この2曲のおかげで、ナイン・インチ・ネイルズはMTVでヘヴィ・ローテーションを獲得し、ロラパルーザに出演。そして、ガンズ・アンド・ローゼズの1991年のヨーロッパ・ツアーの前座に抜擢された。

『Pretty Hate Machine』は、Billboard誌のアルバム・チャートでプラチナを達成した数少ないインディー・アルバムのひとつだ。トレント・レズナーの後続作品にみられる風格のある曲に比べると、ダイアモンドの原石でもあった。

それから間もなくメジャー・レーベルのインタースコープと契約を結んだトレントは、EP『Broken』をレコーディングし、レーベルの了承を得て、彼自身のレーベル、ナッシングから発表した。ナイン・インチ・ネイルズの本質を活用することにより集中したEP『Broken』は、『Pretty Hate Machine』でエンジニアとプロデュースを手がけたマーク・“フラッド”・エリスとエイドリアン・シャーウッドがプロデュースしており、トレント・レズナーはナイン・インチ・ネイルズのコンセプトをより明確にした曲を作っていった。耳をつんざくギター、スクリーム・ヴォーカル、美しいオーケストラのインタールードを披露する「Wish」や「Happiness In Slavery」といった曲は、彼らのベスト曲の中でも突出しており、このEP『Broken』で、ナイン・インチ・ネイルズはアンダーグラウンドのヒーローから、世界的に大注目されるアイコンへと完全に変化したのである。

1994年、ナイン・インチ・ネイルズは世界中で最も話題のバンドのひとつとなっていた。そして3月8日、彼らは名作となる『The Downward Spiral』を発表した。このアルバムはナイン・インチ・ネイルズの最高傑作と見なされただけでなく、確固としたアート・ステイトメントとしてまとめられた素晴らしい14曲でトレント・レズナーの能力の幅広さを披露していた。

ニルヴァーナの『In Utero』やサウンドガーデンの『Superunknown』が、感情を浄化するような生々しい音楽をチャートに送り込んだ一方で、『The Downward Spiral』は、それよりも遥かに不穏な場所にリスナーを導いた。「March Of The Pigs」や性的に逸脱した「Closer」といったシングルは、人気TVドラマ『フレンズ』や、カウンティング・クロウズとフーティー・アンド・ザ・ブロウフィッシュの素朴で温かい曲に見られるメインストリームのポップ・カルチャーに慣れ親しんだ当時のリスナー達に、やみつきになる奇妙な後味を残したのである。

このアルバムには、感動的なアンセム「Hurt」も収録されている。この曲はナイン・インチ・ネイルズの最高傑作のひとつであるだけでなく、後にカントリー・アイコンのジョニー・キャッシュがカヴァーして有名となった。『The Downward Spiral』で、ナイン・インチ・ネイルズは世界的なスターダムとプラチナ・セールスを獲得した。

ハリウッド女優のシャロン・テイトが、1969年にチャールズ・マンソンの一味によって惨殺された有名な家でレコーディングした『The Downward Spiral』は、1990年代の音楽の中で最もダークな作品のひとつと言える。 伝染性のあるメロディとダークで不気味な楽曲の調和は、トレント・レズナーの頭の中を垣間見せた。トレント・レズナーは、その成功にあぐらをかくことなくツアーを続け、サード・アルバムのための新曲を書き続けた。

ナイン・インチ・ネイルズは世界中の注目を集めるようになり、トレントは次の作品の制作準備に入った。アルバムが出るまでの空白の時間を埋めるために、1995年にリミックス・アルバム『Further Down The Spiral』が発表され、増加し続けるファンの気持ちをなだめた。また、トレント・レズナーはオリヴァー・ストーンの物議をかもした映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』とデヴィッド・リンチの奇妙な映画『ロスト・ハイウェイ』で、映画音楽の作曲も手がけた。そして、これらの映画では、ナイン・インチ・ネイルズの映画限定の曲「Burn」と「The Perfect Drug」が使用されていた。

2000年代が終わりに近づいた頃、魅惑のダブル・アルバム『The Fragile』が発表になり、大絶賛を受けたナイン・インチ・ネイルズは、それまで彼らのファンではなかった人達から、新たに称賛を受け取ることになった。

インダストリアル・ミュージックの記念碑的作品と考えられている『The Fragile』は、トレント・レズナーの感情を通した極めて複雑でメランコリックな作品であり、再び、ナイン・インチ・ネイルズの名曲の数々が収められていた。「The Day The World Went Away」や「We’re In This Together」といった個人的危機の時期に書かれた曲で、高揚感のある強力なコーラスで包み込んだ救いのない歌詞が披露されている一方、「Starfuckers, Inc」ではこのダークな時期にトレント・レズナーが嫌悪するようになった人々への感情が開示されていた。

ナイン・インチ・ネイルズとしてツアー活動と作曲活動を続けながら、トレント・レズナーは2000年に新たなリミックス・アルバム『Things Falling Apart』を発表し、その後に新作の作曲を開始して、2005年に『With Teeth』をリリースした。

人生で最も辛い時期を切り抜けたトレント・レズナーは、『With Teeth』で以前よりも近寄りやすいサウンドを提示した。「The Hand That Feeds」や「Every Day Is Exactly The Same」では、個々の楽器の音色が聞き取りやすくなっており、ゲスト参加したデイヴ・グロールのドラムが一貫してその存在感を放っていて、今回のナイン・インチ・ネイルズが、かつてないほどオーガニックな音楽をやっていることを印象づけた。

その2年後に、初のコンセプト・アルバム『Year Zero』が発表された。この作品は、おそらくナイン・インチ・ネイルズの作品の中で最も消化しやすいアルバムであろう。トレント・レズナーの過去の苦悩に満ちたものから離れた曲が多数収録されており、アルバムのオープニング曲「Capital G」や「The Beginning Of The End」に至っては、高揚感があるとまで言えるものだった。

レーベル契約から自由になったトレント・レズナーは、2008年発表の36曲入りの雰囲気のあるインストゥルメンタル・アルバム『Ghosts I – IV』で、その翼をさらに大きく広げた。これは4枚組のアルバムで、9つのセクションに分かれていた。そのわずか数ヶ月後に、ナイン・インチ・ネイルズの7枚目のアルバム『The Slip』が発表された。このアルバムでも、すでに慣例となっていたことを引き継ぎ、「Discipline」や「Echoplex」といったメロディアスで速い曲は前半に多く収録され、それからアルバムは全体的に内省的で破壊的なムードに移行していった。

2009年、20年活動を続けてきた彼らは、ジェーンズ・アディクションと組んで夏のツアーを行なった。トレント・レズナーは、これがナイン・インチ・ネイルズの最後のツアーになると発表。このバンドのフロントマンを努めた20年の間に、彼はこの世代の代弁者にもなっていた。ナイン・インチ・ネイルズの名曲の数々は、何百万人の人々の人生のサウンドトラックとなり、熱心な彼のファンは、彼らの演奏を聞くのが最後になってしまうことを嘆き悲しんだ。

その後の数年間、トレント・レズナーは映画音楽の作曲に集中した。20010年、彼は友人の作曲家、アッティカス・ロスと共に作曲を手がけた映画『ソーシャル・ネットワーク』でアカデミー賞を受賞し、2012年は映画『ドラゴン・タトゥーの女』の映画音楽でグラミー賞を受賞した。この間にトレント・レズナーは彼の妻、マリクィーン・マーンディグとアッティカス・ロスと組んで、ハウ・トゥ・デストロイ・エンジェルズのプロジェクトのためのアルバム『Welcome Oblivion』を制作し、2013年に発表した。

ファンにとって喜ばしいことに、ナイン・インチ・ネイルズの活動休止は『Hesitation Marks』が発表された年に終わりを迎えた。過去の高水準をそのまま繰り返そすことはせず、トレント・レズナーはナイン・インチ・ネイルズの定式を「Copy Of A」や「Came Back Haunted」といった曲で拡大することに成功した。

音楽業界で30年以上活躍しているトレント・レズナーは、その素晴らしいキャリアを通して沢山の役割を果たし、今も遂行し続けている。彼は、テクノロジーと音楽業界のビジネス面への興味をさらに深めて、ドクター・ドレーのビーツ・ミュージック事業や、最近はアップル・ミュージックのストリーミング・サービスにも関わっている。アッティカス・ロスとの映画のサウンドトラック制作も続けており、ケン・バーンズのドキュメンタリー映画『The Vietnam War』や、ジョン・カーペンター監督の名作『Halloween』のリメイク映画の主題歌も手がけた。

トレント・レズナーの音楽への献身は、彼のミステリアスな面を映し出す生涯をかけた情熱の産物であり、これからも現代音楽の歴史において非常に重要な部分であり続けるだろう。ナイン・インチ・ネイルズは音楽の歴史の遺産の一部でしかないが、しかし大きな部分を占めている。このバンドの新しいフル・アルバムをファンが待ち望んでいる間に、2016年の『Not The Actual Events』や、その翌年の『Add Violence 』といったEPが、『The Fragile 』時代のアウトテイクやインスト曲や、未発表ヴァージョンを集めた『The Fragile: Deviations 1』と並んで発表。まだナイン・インチ・ネイルズの隠れた名曲となる曲が隠されている可能性を示唆している。トレント・レズナーは世界で最も熱心なファンのために、沢山の曲を貯め込んでいるはずである。

Written By Oran O’Beirne


♪ 『Nine Inch Nails In 20 Songs



 

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