The 1975のマシューが語る、5作目の新作『Being Funny In A Foreign Language』

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The 1975 (c) Samuel Bradley

UKのロックバンドThe 1975が、2022年10月14日に発売する通算5作目のスタジオ・アルバム『Being Funny In A Foreign Language』(邦題:外国語での言葉遊び)。この新作について、ヴォーカルのマシュー・ヒーリーがSUMMER SONIC出演直前、8月18日に日本で語ったインタビューを掲載。

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ツアー活動の中止

――パンデミックが起きたことであなたたちは2年半の間ツアー活動を中断しました長時間にわたって立ち止まる機会を得たのは久しぶりだと思いますあなたにとって、或いはバンドにとって、どういう時間になりましたか?

僕らは少し成長する時間を得た。今までそういう時間がなかったからね。10年間ツアーをし続けると、ツアーのやり方は学ぶけど、家で過ごす方法は身につかない。長期間にわたって家でどう過ごしたらいいのか分からなかったんだ。実際僕らは大人になって初めて、2年もの間、ひとつの同じ場所に留まったことになる。

そんなわけで、色んなことを学んだよ。何しろメンバーの一人は父親になったしね。そして僕には、自分が人生から何を本当に望んでいるのかが見えてきた。The 1975の外側では、そんなに大きな人生は求めていないんだってことが。これまでずっと、より華やかな生活を送らなければならないんじゃないかと思い込んでいた。でもそんなことは望んでいない。だから、自分たちがどうしたら心地良くいられるのかってことを、僕らは学べたんじゃないかな。

 

新作の方向性と2曲のシングル

――本作『Being Funny In A Foreign Language』に着手するにあたって、どういう心境にあったのか、振り返って教えて下さい。

当初は、色んなことを考えていて整理ができていなかったんだ。いったいどんなアルバムを目標にして作業をしているのか分からなくて、非常に曖昧な状態だった。かなり制作プロセスが進行するまで、僕らには明確なヴィジョンがなかったんだよね。だからとにかく、方向性を定めずにたくさんの、色々と異なる断片を作っていた。本当にたくさんの、種々雑多な断片を。

そしてようやく方向性が定まった時に、これらの断片を聴き直して、どれが曲として成立していて、どれがしていないのか選別し始めて、曲として成立していないものは脇に避けておいたというか。で、曲として成立しているものに意識を集中させて、それらをスタジオで、機材を限定してレコーディングしたんだ。それでおしまいっていう感じだったよ。

――最初の2枚のシングル曲「Part Of The Band」「Happiness」について教えて頂けますか?

僕にとって、アルバムのプロモーションが始まったばかりの時期に色んなことについて語るのは、結構難しいんだよね。というのも、それってセラピーを受けているみたいで、何がどういう意味を持つのか知っているつもりでいても、実際に誰かと話してみて、相手に「なるほど、でもこれってもしかしてこういうことなんじゃないですか?」とか「本当はこう感じているんじゃないですか?」と指摘されると、気持ちが揺れてしまう。だから僕は、その作品がみんなに浸透した頃になって、ようやく自分が何を作ったのかちゃんと理解できるんだよ。だから今の段階では、小説を書いて、その中から第3章と第4章と第5章あたりを人々に読ませてあげている感じかな。

今回は全体的に、The 1975を原点に回帰させたいということだけは分かっていた。と言いつつ、僕らの場合はその原点に該当するものが、あまりにもたくさんある。例えばエレクトロニック・ミュージックとか、2ndアルバムの路線とか、3rdアルバムの路線とか。でも普通に考えれば、ブラック&ホワイト(注:=1stアルバム『The 1975』)こそ僕らの原点だから、最初の意思表示としてどの曲を選ぶべきかは明確だった。そして「Happiness」以降の意思表示も全て、ブラック&ホワイトになるよ。

 

――これらの曲のミュージック・ビデオについても教えて下さい

ビデオに関しては、抑制を効かせた、かなり慎ましいものにしたかった。サミュエル・ブラッドリーという写真家と友達になって彼の作風がすごく気に入ったから、彼と、ヴィジュアルとかクリエイティヴな面での主要なコラボレーターであるパトリシア・ヴィリリロを交えて、ものすごくシンプルなアイディアを出したんだ。それを、非常に様式化された映像にすることで、あくまで曲そのものを主役にしたかったのさ。

次のビデオはストーリー形式のものになるけど、最初の2本については、曲をヴィジュアル表現で補うようなものにしたかった。映像が曲そのものの、曲のナラティヴや歌詞の邪魔にならないように。特に「Part Of The Band」ではそれを意識したよ。

 

“これまでで最もコンセプチュアルなアプローチ”

――アルバムを初めて聴いた時に感じたのは一種のノスタルジアであり、初めてThe 1975の曲を聴いた時のフィーリングを思い出しましたファンが感覚的に共有しているThe 1975らしさ”を醸す作品になったのは、どこまで意図的で、どこまで自然な成り行きだったのでしょう?

シニカルに聞こえたり人為的な印象を与えかねないネガティヴな言葉は一切使いたくないんだけど、このアルバムでは、これまでで最もコンセプチュアルなアプローチをとった。まあ、どのアルバムも色んな意味でコンセプチュアルなんだけど、このアルバムは「The 1975のサウンドとはどんなものなのか?」と思い描いて作ったんだ。もしくは、「何が人々をThe 1975に惹きつけるのか?」とか「The 1975を形作る基本的要素は何か?」とか。これからも旅を続けていくにあたって、こういったことを一度見極めておこうじゃないか――という考えに則ったアルバムなんだよ。

なぜって、僕らはあまりにも遠く離れたところまで来てしまったからね。「The 1975とは何か?」どころか、そもそも「バンドとは何か?」という地点からも、随分遠い場所に来てしまった。だから、核心の部分での僕らがいったい何者なのかを自分たち自身に言い聞かせるのも、悪くないんじゃないかと思った。そうすれば、そこからまた成長できるから。そこが素晴らしいんだ。この次に何をするのか、完全に白紙の状態になったわけだからね。

 

――音楽的には非常にオーガニックで、手を加えすぎていない、バンドが一室でプレイしている姿が思い浮かぶアルバムです。どんな考えがあったんでしょう

まさに今言ったようなことだよ。ここでは、ひとつの瞬間に立ち会っているのさ。ひとつの概念に立ち会うのではなくて。だから前作との違いはどこにあるのかと言うと、新作は演劇を観に行くようなもので、前作はIMAXシアターで『トランスフォーマ―』を観に行くようなもの。前作は何もかも限界まで押し広げられていて、強烈だったよね。

で、IMAXシアターで映画を観ている時にトイレに行きたくなったら、その映画と感情的なコネクションを築けるってわけじゃないから、軽い気持ちでトイレに行ける。でもこぢんまりした劇場で演劇を観ていたのだとしたら、トイレに行きたい気持ちを我慢してでも、席を立たずに最後まで観たいと思う。中断したくない。だからこのアルバムは、ひとつの概念ではなくひとつの瞬間に立ち会っている気分にさせる、インティメートな作品にしたかった。

例えば何かが起きて、それを記録しているのだとしたら、新作で用いた手法は写真に近い。絵画ではなくてね。写真は決定的な瞬間を捉えていて、人は、撮影に費やした時間より長い間、その写真を眺めるものだよね。それが新作であり、前作の場合、僕らが制作に費やした時間以上に長い間、誰かがあのアルバムを聴き続けるってことはあり得ない。偉大な絵画作品ってそういうものなんだよ。

作品と鑑賞者の間で時間のやりとりがある。絵画作品の場合、画家が制作に要した時間を鑑賞にも費やすのだとしたら、いったい何時間眺めていたらいいのか分からないよね。でも写真なら事情は違う。瞬間的な決断で作られたものだから。つまり、このアルバムから僕が聴き取りたかったのは、文字通りに“写真”なんだ。それは、一度きりの出来事を捉えた音であって、二度と再現できない。だから僕らはファースト・テイクを使った。前作とは真逆なことをやったんだよ。

 

――共同プロデューサーを務めたジャック・アントノフは、本作でどんな役割を果たしたのでしょう彼が加わることで、何か変わりましたか?

ジャックが何をもたらしたかと言うと、彼は新鮮なエネルギーを持ち込んでくれたんだよ。だって僕らは同じメンバーで20年活動を続けてきた上に、外に対して非常に閉ざされたバンドだからね。内部に入り込むのが非常に難しいんだ。で、僕らはジャックと仲良くなって、すでに彼と展開していたクリエイティヴな対話をそのままスタジオに持ち込み、それを続行しながら音楽を一緒に作るのが当然の帰結だと感じた。

それに僕とジョージは、エゴはそんなに持ち合わせていない。自分たちの実力を証明する必要性は感じていない。ソングライティングについても、プロダクションについても賞をもらっていたりするしね。適役な人こそ適役なんだよ。

 

英国人として、そして外国語で人を笑わせること

――冒頭のThe 1975を筆頭に、20代の自分を振り返っている曲も少なくありません。しかも非常に自分に厳しい目を向けていますが、これから生きていくため、人間として前に進むには必須の作業だったのでしょうか?

僕が思うに、英国人であることには自虐的であること、自己否定的であることがつきものなんだよ。中には、そういう演技をしているように見えたり、そうすることで本質を隠しているような人もいるけど、僕の場合は、そこにこそ笑えるところがある。僕は全く自分に厳しいとは思っていないんだ。なぜって、じゃあその逆は何かって言うと、自分を褒め称えることだよね。そんなことは絶対にやらない。公衆の面前ではね。だから自分をおちょくるという選択肢しか残されていないんだよ。

 

――「Human Too」がいい例で、歌詞に関しては誠実であることにこだわり抜いています。リリシストとしては、本作にどうアプローチしましたか?

そうだね、僕は誠実さについて語っていることが多い。誠実であるよりも皮肉な態度をとるほうが簡単であるとか、自分がバカみたいに見えかねないことを言うよりも、適当にジョークでごまかすほうが簡単なのだという話をしてきた。僕らはまさにそれを恐れているんだよ。

日本ではどうなのか知らないけど、UKでは誰もが、友人たちの前でバカみたいに見えるようなことをするのを、本当に怖がっている。例えばジョークが滑っちゃうとか、知っておくべき映画を知らないとか。「あの映画観た?」「う…うん」みたいな。なんで僕らはそんな行動をとるんだろうか? クールな人間であるとか、鋭い人間だと思ってもらえなくなることを恐れずに、正直に「ノー」と答えるほうが、ずっと難しい。

僕自身も、そういうことについてはすごく敏感なんだ。何しろ、一般的にクールだと見做されることに関わっているからね。バンドをやっていて、成功していて。みんなに言っておきたいんだけど、僕はクールな人間じゃない。“クール”なんてものは存在しない。僕らはみんな混乱していて、ちょっとばかりイタいところがある。みんな少しバツの悪さを感じていて、みっともないことをしているんだよ。

――『Being Funny in a Foreign Language』というアルバムタイトルがどういう文脈で選ばれたのか教えて下さい。

究極的には、賢くあることについて述べているタイトルなんだ。誰かが外国語で人を笑わせているところを目撃したり、或いは、英語が母国語じゃない人に自分が笑わせられた時、僕は何にも増して感銘を受ける。「うわ、これってものすごくたくさんの知識を要することだよね」って思う。

そもそも人を笑わせることからして簡単じゃないし、文化的なニュアンスみたいなものをちゃんと理解した上で、意図的に人を笑わせるなんてことは、僕にはとてもじゃないけど理解が及ばない。それを実践するには、本当の意味で他者と共感し、本当の意味で異なる文化的視点を理解する必要がある。誰もがそれをゴールに掲げたなら、もしくは、誰もが人を笑わせられるくらいに外国語をマスターしたなら、グローバリゼーションが引き起こす衝突なんかを解決できるんじゃないかなって思う。人を笑わせようとするってことは、心を通わせようとしていることを意味するわけだから。僕はそんなことを考えながらこのタイトルを選んだんだ。

――ほかのメンバーも賛成してくれたんですか?

うんうん。みんなオッケーしてくれた。彼らは異論を挟まない…いや、そんなこともないな。僕が書くことを編集したり、確認したりしている。でもそれは、僕が真実を伝えていないと彼らが感じた時だけだよ。真実じゃないかもしれないことを歌わせるくらいなら、何かみっともないこととかを言わせて、僕に恥をかかせたほうがいいと、彼らは思っているからね。

 

白黒のヴィジュアルの意味

――ヴィジュアル表現においても今回は大きな変化がありました。サミュエル・ブラッドリーが撮影したブラック&ホワイトの写真で統一されていますが、ジャケット写真のチョイスなど、今回のヴィジュアルのコンセプトについて教えて下さい。

まず、車の上に立っている僕を写したジャケットの写真は、“Music for Cars”時代の終焉を象徴していて、あの時代がどれだけ困難だったかということを物語っている。素晴らしい時代でもあったわけだけど、ひとつの時代が終わったことで、僕らは何かを取り戻したようなところがあるんだよね。

これもまた僕らの核心的なアイデンティティーに関係していて、僕はこんなことを考え始めたのさ。「さてと、今の僕らはフェスのヘッドライナーを務めるまでになった。じゃあ、その時のThe 1975はどんな姿をしているんだろう?」と。

つまり、君がフェス会場にいて、僕らは君の右手にあるステージに立っていて、君はステージのほうを見ないまま通り過ぎようとしている。その時に君の周辺視野には何が映っているのか?それは恐らく、ピンクとブラックとホワイトという色彩だろう。多分ね。そこまで限定しなくちゃいけない。

あとは、スクリーンに映る僕の髪型くらいなのかな。それがThe 1975なんだと言えなくもない。じゃあそれで行こう、自分たちが何者なのかっていう部分に焦点を絞ろう――そういったアイディアに根差しているんだ。「The 1975ならどうするだろう?」と考えると、何をするべきなのか、全てが自ずと決まってきたんだよ。例えば、「The 1975はどんな広告キャンペーンを街頭で展開するだろう?」と考えてみる。それは大きな書体で何かを宣言していて、すごくミニマリスティックで、インターネットに言及しているはず。そんな風に見えてくるんだ。SUMMER SONIC 2022でのパフォーマンスも、まさにその好例になると思うよ。

――本作から聴き手に伝わればいいなと願っていることはありますか?

分からない。すごく難しい質問だね。なぜって僕がリスナーに求めることというのは、彼らの好きなように解釈してもらうことだから。ただ相手が誰であろうと、無関心でいられることだけは望まない。「まあ、いいんじゃない?」とは誰にも思って欲しくない。愛されるか嫌われるか、どっちかがいい。

もしくは、最初は嫌っていて、その後好きになるというのが最高だね。それが最高の展開だと思う。そうやって本当のファンを得るんだよ。作品に対して非常に葛藤していて、でもその後受け入れる――という。僕はそれがいいなって思う。

 

初来日とインターネット

――前作『Notes on a Conditional Form』の収録曲「Guys」で、あなたは2013年の初来日に触れていますよね。“The first time we went to Japan was the best thing that ever happened / And I wish that we could do it again(初めて日本に行った時は最高の出来事だった/そしてもう一度行けたらと思う)と。その9年前の来日に関して、一番印象に残っていることは?

日本に行ったことは、バンドを本当に大きく変えたんじゃないかな。僕がこの仕事で成功している理由として、どういうわけか、自分がその時々に身を置いている場所のカルチャーについて学ぼうとする、ということが挙げられると思う。だから1stアルバム『The 1975』を作った時の僕は、マンチェスターのヒップスター・カルチャーに身を置いていて、アルバムでもそれについて語った。

あれはユース・カルチャーに関するアルバムで、ラヴとかドラッグとかそういった様々なアイディアを扱っていたけど、非常に狭い世界に関して、ものすごく包括的な見解を述べている。そして次に『I Like It When You Sleep, for You Are So Beautiful yet So Unaware of It』を作ったわけだけど、あの頃の僕は様々な国を訪れていたから、名声や恐れについてのアルバムになった。「She’s American」とか、色んな場所への言及があったよね。

日本が何を意味するかというと、この国に来た時、自分たちは真にインターネットの産物なのだと悟ったんだと思う。僕が最初に実感したのはそういうことだった。

「僕はマンチェスターにある自分のベッドルームで1stアルバムを作ったばかりで、ニューヨークでソールド・アウトのライヴを行なったばかりで、続いて日本でもソールド・アウトのライヴを行なった。でも僕らはラジオのサポートを得ていない。テレビにも出ていない。これは新しい現象なんだ。前例がない出来事なんだ」と考えたことを覚えている。

それまでは世界規模のシーンなんて存在しなかったけど、あの時まさに、その後10年の間に起きるグローバル化革命みたいなものの出発点に立っていたのさ。BTSがいい例だよね。アジアから輸出されて、発信された瞬間に、世界中に隈なく届く。だから初めて日本を訪れた時の僕は、「うん、何かが違う。ここはマンチェスターじゃない。でも僕らがやっていることを理解してくれている人がいる」と思った。

非常に奇妙な気分だったよ。なぜってそれはリアルだったから。The 1975を好きになったほうがいいと誰かに言われたわけじゃない。そこが違うんだよ。日本における『NME』が何なのか分からないけど、20年前だったら、『NME』が僕らのお気に入りバンドを決めていたんだ。「さあ、表紙に載せるよ、この曲を聴いて、このバンドに投資してくれ」と言われて、みんな「オーケー」って納得していた。

でもインターネットのおかげで、聴き手が自ら選択できるようになったのさ。レコード会社やラジオ局がキッズに聴いてもらいたいアーティストがいたとしても、みんなThe 1975を聴いていた。だから僕らを契約してくれるレーベルが見つからなかった。日本に来ることで、僕はそういったことを理解できたんだよ。

 

今のバンドの居場所

――今バンドがいる場所について、本作は何を物語っていると思いますか?

僕らの居場所は…ちょっと考えさせて。僕らはそういうことをあまり考えないようにしているんだよね。なぜって僕らの場合、誰かと競争したっていうことがない。だろう?僕自身もあまり競争心が強い人間じゃないから、誰かが自分のポジションを奪おうとしているとか、The 1975が勢いを失ったとか、別のアーティストがビッグになったとか、意識したことがないんだ。とにかくそういうことは考えない。もしかしたら自分のことで頭が一杯で、ほかの人のことが目に入らないのかもしれないけど(笑)。

バンドの位置付けについて考えたことがないんだよ。だからこそThe 1975は成功しているんだと思う。僕という人間は、資本主義者だとか抜け目のないビジネスマンであることと相容れないし、内側で衝突してしまうはず。でなければ、何かしら金儲けをしようと企んだと思うんだ。

The 1975は独自の世界の中で完結していて、そのまま進化し、成長してきた。でも、リアルなものであるからこそ何かに属してはいないし、そもそも特定の時代に属しているとすら感じられない。今も僕らはここにいて、人々は僕らのアルバムに興奮してくれている。20年もしくは10年活動していて、同じだけの存在感を維持しているバンドって多くはないからね。僕らが正当な理由で活動しているからこそ、それが可能なんだと思うよ。

 

バンドについての最大の誤解

――マシュー・ヒーリーという人物に関する、もしくはThe 1975というバンドに関する、大きな誤解があるとしたら、それはなんだと思いますか?

マシュー:分からないな。ただ言っておきたいのは、僕は自分が誤解されているとしても気に病んだりはしない。特に理不尽だと感じることもない。「こういう風に見られていたらいやだな」と感じることも、思いつかない。なんだろうね。

Dirty Hit代表兼The 1975マネージャー、ジェイミー・オボーン:楽をしたと思われていることじゃない?

マシュー:ああ、そうだね。

ジェイミー・オボーン:契約してくれるレーベルも見つからなくて、自分たちでレーベルを始めなければならなくて、何もかも自分たちの力でやり遂げたのに、それでも人々は「彼らは苦労せずに成功した」と思っている。それが最大の誤解じゃないかな。

マシュー:要するに僕らは、身を粉にして頑張ってきたんだけど、不平を口にせず、自分たち独自の神話を作り上げたのさ。神話って、何も語らないことで形作られるものだと僕は思うんだ。なぜって本当の話、僕らはバンドに全てを捧げている。僕自身も全てを捧げていて、取りつかれているんだよ。The 1975に僕は取りつかれている。例えば、自宅のガレージにレゴで東京の町を再現して、場所が足りなくなったからとガレージを増築しちゃうような人と変わらない。同じことだよ。僕は自分がやりたいことをやっているだけ。

でもほかのロック・スターたちと同様に、「こいつは恐らく癇に障るヤツで、ちょっと無礼なんだろうな」と思われている。僕は全然そうじゃない。実際はかなりソフトで、結構いいヤツだ。でもそれは秘密にしておいて欲しいな。イヤなヤツだと思われていたほうが、神話のためにはいいから。

 

新作はスプリングスティーンの『Nebraska』

――本作は計11曲というコンパクトさ、先ほど触れたオーガニックなサウンドを始め、色んな面でこれまでの作品と一線を画した感がありますが、このアルバムを完成させたことで、この先の見通し、例えば10年後に自分たちがやるべきことが見えてきましたか?

その質問に答えるとしたら、僕は「この札を切るのは早過ぎるのかな」と感じた瞬間もあった。でもすぐに、「いいや」と否定した。なぜって僕は、ここからさらに遠くまで行くことができるから。例えばブルース・スプリングスティーンのアルバム『Nebraska』について言うと、人々が今こそブルースにギター1本で歌って欲しいと思っていた時に、まさにそういうアルバムがリリースされた。だろう?

人々が今The 1975に求めているのは、こういうアルバムだと僕は思うんだ。でもさっきも言ったように僕は常に空気を読んでいて、のちのちこの路線に飽きた時に――今はまだ飽きていないけどね――次に行くべき場所を見極めるんだろう。とはいえ、このアルバムは10年後に生まれたとしても成立すると思うんだ。だから、あと2枚くらい未踏の域に踏み込むようなアルバムに取り組んでから、こういうアルバムを作ることもできたと思うけど、タイミング的には良かったんじゃないかな。

年を取ってからこういうアルバムを作ったら、「ああ、彼らはもう年寄りだから普通にロックをやりたいんだな」って思われるかもしれないし。「もう40歳だし、トラディショナルな音楽をやりたいんだろう」って(笑)。

 

――ジャックに限らず、今回はソングライティングにおいても共作者が多数いたり、あなたとジョージのクリエイティヴなバブルの中に、外部の人を積極的に招き入れているように思います。そういう決断に至った理由は?

このアルバムで大勢の才能に恵まれた人たちの手を借りたことは事実だから、彼らの貢献を軽視するつもりはないんだけど、何か問題に直面してそれを解決するために、外部の人たちを積極的に起用したわけじゃないんだ。単にアルバムの制作方法を変えただけなんだよ。

これまでの僕らは、たいていは田舎で家を借りて、1年くらい共同生活を送りながらアルバムを作っていた。でもそういうやり方だと、ほかの人たちが立ち寄るっていうことはないよね。わざわざ誰かが遊びにきてぶらぶらしているとか、訪ねてきてくれるってことはなかった。

でもアダムに子供が生まれたし、全員ロンドンに住んでいたから、「今回は、毎日必ずどこかで会うようにしよう。スタジオに入って9時から5時まで作業をして、何が起きるか様子を見よう」ということになった。だからコラボレーションが容易になったんだ。

ロンドンのスタジオなら、友達が気軽に遊びに来る。「やあ、元気?これはどう思う?」「うん、すごくいい感じだよ」みたいなノリで、それが誰のアイディアだろうと、いいアイディアはいいアイディアだからね。正式にセッションの場を持ったのは一度だけで、普段ジミー・ホガースとコラボしているベンジャミン・フランシス・レフトウォッチに、こう提案したんだ。「僕らは誰かと共作するってことはないんだけど、ジェイミーとそっちに行くから、ジミーを交えて何か一緒に書こうよ」と。

ジェイミーはバンドでキーボードを弾いていて、ジョージと僕と曲作りもしている。そうしたら、そのセッションで「Human Too」と「Oh Caroline」が生まれた。ただ、残りの曲はどれも僕らがスタジオでの作業を通じて書いたんだよね。たまたまソングライターの友達が遊びにきて、「この曲をこんな風にしたらどう?」みたいな意見をくれて、何か歌ってくれて、(指を鳴らして)「いいね!やってみようよ」という話になったのさ。

計画的にソングライティングのセッションをやったわけじゃない。だからこれまでとそんなに変わらないんだ。従来より多くの人がスタジオに来てくれたというだけさ。それにジャックは本当に社交的な人でもあって、才能豊かな友人が大勢いて、みんな世界で最高に有能な人たちなんだ。ジャックがしょっちゅう誰かを呼び出していたよ。

 

新作で歌うパーソナルなもの

――世界が日々混迷を深めている中、本作では社会的・政治的なイシューにほとんど言及せず、逆にラヴを筆頭に普遍的なテーマにフォーカスしているのは、なぜでしょう?

なぜって、そうすることが、非常にラディカルだと思ったからさ。このアルバムはすごくラディカルだと僕は思っている。いや、最初はそうは思っていなかった。僕が関心を持っているのは、自分は少しラディカルなんだと感じさせてくれる主張であって、これまで10年間、それを実践してきた。レンガの壁に向かって叫んでいるような気分だったよ。

かといって身を引いたわけじゃないし、自分を弁護するためにひとつ言っておくと、これまでもそれほど頻繁にポリティカルな見解を強く打ち出していたわけでもない。経済はこういう方向に進むべきだとか、社会のどの層を引き上げるべきだとか。それにこのアルバムでも、かなりカルチャー・ウォー(注:イデオロギーなどが異なる人々の間の価値観や信条の対立)について語っている。僕らがお互いにどうコミュニケーションをとっているかということをね。

つまり僕は今も相変わらずインターネットについて、ほかにもこういったことが議論されている空間について、あれこれ語っている。特に「The 1975」や「Looking For Somebody (To Love)」や「Part Of The Band」でね。「When We Are Together」でも少し。

それ以外の曲はみんなパーソナルなんだ。でもパーソナルな曲を書くほうが、大きなリスクを伴うと思った。そもそも『Notes on a Conditional Form』のあとで、みんな僕に何を期待していたんだろうね。だろ?あのアルバムには22曲も入っていて、考え付く限りあらゆるコンセプトを取り上げた。今の僕はああいうことをする必要はない。ほかの人たちがやるべきであって、僕は新しいことをしなくちゃいけないんだよ。

 

“僕らの最高傑作”『Notes on a Conditional Form』

――今話題に上った『Notes on a Conditional Form』は、今振り返ってみた時、あなたたちにとってどういうアルバムだったと思いますか

色んな意味で僕らの最高傑作だと思う。僕はただ、自分たち自身にとことん正直であろうとしていただけなんだ。アルバムとして成立させるために必要な条件を全て満たしているのか否か、明言はできない。でも当時の僕らがいた場所を正直に投影していたことは間違いない。僕は時間を切り取ろうとしていて、あのアルバムほどに2020年のカオスを正確に映した作品は、ほかにあまりないと思う。

なぜって当時の僕らは、何もかもが崩壊に向かいつつあるように感じていた。カルチャーも社会もバラバラになっていくかのように。特にあの頃のミュージック・ビデオには、自分でも見ていて気まずくなるものがあるし、若いファンの目にはどう映ったんだろうね。そんなわけで、もう二度とあんな作品は作らないし、同時に、ああいう作品を作って本当に良かった。あの時期だからこそ生まれ得たアルバムだよ。

Written by uDiscover Team


The 1975『Being Funny In A Foreign Language』
2022年10月14日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music

<Tracklist>
1. The 1975
2. Happiness
3. Looking For Somebody (To Love)
4. Part Of The Band
5. Oh Caroline
6. I’m In Love With You
7. All I Need To Hear
8. Wintering
9. Human Too
10. About You
11. When We Are Together
12. All I Need To Hear *日本盤ボーナス・トラック


The 1975来日公演

2023年4月26日 神奈川 ぴあアリーナMM
2023年4月27日 神奈川 ぴあアリーナMM
2023年4月29日  愛知 Aichi Sky Expo ホール A
2023年4月30日  大阪 大阪城ホール

公式サイト




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