U2のライヴはなぜ評価され続けるのか?終わらない視覚と音響の実験:9年ぶり新作発売記念連載③

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U2 - Photo: Kevin Mazur/Getty Images for Live Nation

U2の16作目のスタジオ・アルバムにして、9年ぶりの全編新曲『Carnaval De Luz(邦題:光の祝祭~カルナバル・デ・ルス)』が2026年11月13日にリリースされることが発表された。

この発売にあわせて、元ロッキング・オン編集長であり、U2を追い続けてきた宮嵜広司さんに様々な角度で長期連載として寄稿いただきます。第3回はU2のライヴについて。

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世界を飛び回るバンド

U2の公式サイトによれば、1976年の結成の後、彼らが「U2」を名乗るようになった1978年以降に行ったツアーは24、総公演数は1440回となっている。これが多いのか少ないのか、前回(2019年)の来日公演が13年ぶりだったことを思い起こせば、大御所バンドにありがちな「なかなかツアーに出ない」イメージが付いても致し方ないかもしれない。しかし、実はU2が半世紀に及ぶキャリアの中でツアー間隔を空けたのは約4年が最長だ。

世界中のエンタメがストップしたコロナ禍においてさえ、収束直後の2022年にはボノが『Stories Of Surrender The Book Tour』を敢行している。これほどのビッグ・ネームでありながら、2~3年おきには大規模ツアーを組んで世界を飛び回っているようなケースは、正直U2しか思い当たらないのだ。

これまでにアルバムを1億7,500万枚も売ってきてもなお、U2というバンドはレコード・アーティストの前にまずライブ・バンドである。シングル・ヒットよりも一回のライブ、高評価の傑作アルバム以上に度肝をぬくステージ・セットとパフォーマンス。そのキャリアは、彼らが刻んできたひと晩ひと晩の熱演によって切り拓かれてきたと言っていい。

地元アイルランドから隣国英国、そして欧州へ。地道に支持を広げていった1980年代初頭のU2が、いよいよエンタメ大国アメリカに上陸し、強固な爪痕を残せたドキュメントは、ライブEP『Under a Blood Red Sky』に記録されている。

自然の地形を活かした独特なレッドロックス野外劇場でのパフォーマンスを主な音源としたこのライブEPは、激しい雨と霧が襲った同ステージで純白の旗を振る若きU2の姿を捉えていて、このバンドが一体何者なのか、その初々しい拳を渾身の力でアメリカ市場に叩きつけていたことがわかる。

 

「LIVE AID」で大観衆を掌握した12分間

アメリカでの認知を得たU2が、いよいよ世界全体にその名を轟かせた瞬間も完璧に記録が残されている。飛躍作『The Unforgettable Fire』のリリースから約9か月後の1985年7月13日。ロンドンは(旧)ウェンブリー・スタジアムで開催された、史上最大のロック・チャリティ・イベント「LIVE AID」がその舞台だった。

「LIVE AID」での歴史的パフォーマンスと言えば、クイーンの復活劇があまりに有名だが、それに加えて世界中が驚かされたのは、居並ぶスーパースターたちの競演の中、まだ駆け出しのアイルランドの4人組がまるで自分たちの単独ライブかのように奔放に振る舞い、大観衆を掌握してしまった12分間だった。

ルー・リードの「Satellite Of Love」に始まり、最後にはローリング・ストーンズの「Ruby Tuesday」「Sympathy For The Devil」そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「I’m Waiting For The Man」と、ロックのレガシーを大胆に引用しながら歌われた「Bad」は12分に及び、ボノはステージを降り客席から引き摺り出した観客たちとダンスまでしている。

そのため当初予定していた3曲目(「Pride (in the Name of Love)」)は持ち時間オーバーで演奏できなかったものの、ウェンブリー、そして生中継を観ていた全世界の人々に、U2というバンドの規格外の可能性が強制的にインプットされた。U2はそんなふうに、まさにライブ・パフォーマンスで無名のバンドから世界の頂へと駆け上ったのだ。

 

壮大な実験と大胆なテーマでのスタジアム公演

1984年の『The Unforgettable Fire』から1987年の『The Joshua Tree』へと作品の評価がさらに高まると、シングル・ヒットも相まって、U2のツアーは現在イメージされるような「スタジアム」サイズで定着するようになる(ツアーのテーマ、演出的にアリーナ・ツアーを組む時もある)。となれば、数万人に及ぶオーディエンスを毎晩満足させるために、ベスト・ヒットのセットリストを提供するのが常道だろう。しかし、巨大なスケールを得たU2は、ここからむしろ、その場をまるで壮大な実験場とでもするかのように、大胆なテーマ設定と見たこともないステージセットで観客を驚かせていくことになる。

最初の実験は、ロック・ミュージックのルーツを辿る進行形の学習ドキュメントとして披露された。後に『Rattle And Hum』(1988年)として編纂されているそのプロセスは、ブルースやゴスペル、ソウル、カントリーといったアメリカ音楽の源流、ロックの始原を探っていった『The Joshua Tree』ツアー(1987年)の副産物でもあった。

ボブ・ディランとの共演、ビートルズやジミ・ヘンドリックスのカバー演奏などを含んだその修行は、続く「LOVETOWN」ツアー(1989年〜1990年)へと引き継がれ、レジェンドであるB.B.キングをメンターとして招聘するまでに発展していった。

この時期のU2は、モノトーンのステージでピンスポットの明かりを頼りに歩みを進める、どこまでも真摯で敬虔な求道者のイメージだ。

 

90年代:混沌の視覚化

スタジアム・ライブをやりながら音楽修行するという前代未聞のロックの実験は、1990年代に入るとまるで一変する。壁の崩壊したベルリンで録音された『Achtung Baby』(1991年)は、これまでの世界秩序が壊れ揺れていた現実のカオスを丸ごと反映させた衝撃作だったが、それを携えたツアーは、まさにその混沌の視覚化に挑戦した画期的なライブとなった。

「ZOO TV」と名付けられたそのステージには数えきれないほどのモニターが無造作に設置され、目まぐるしくメッセージが点滅していた。ストイックだった照明は狂ったように会場中をマルチカラーに駆け巡っていた。求道者だったボノは白塗りの化粧に加えてツノを生やし悪魔的な道化師を演じ、ライブの途中に訪れたその地のセレブリティたちに生電話をするといった常識ハズレの行動も厭わなかった。1992年から1993年と続いたその興奮は、バンドの創作意欲も躁状態へと誘って、アルバム『ZOOROPA』(1993年)という姉妹作も生んだほどだった。

世界の混沌を臆せず飲み込むという規格外のアプローチは、続く『POP』(1997年)へと引き継がれ、そのツアー「POPMART」(1997年~1998年)はさらにタガが外れていた。巨大なステージの横幅いっぱいに拡張されたビジョンは当時誰も想像もしていなかったスケールで、演奏の最中、その画面からはみ出るようにメンバーが映し出された時は、観ていて一瞬ゾッとしたのを今でも覚えている。この1990年代のU2と、1980年代のU2が、同じバンドだとは信じられないだろう。U2はこの時代のライブで、ロック・バンドの変容の限界と同時にステージ表現の限界も、実験していた。

 

2000年代:緊張感とエモーション

新世紀へと時代が変わると、U2の実験は、学習や挑戦から、いかに観客の内面と深いコミュニケーションがとれるのか、その探究へとモード・チェンジしていったように思う。『All That You Can’t Leave Behind』(2000年)リリースの翌年からキックオフされた「Elevation」ツアー(2001年)は、「9.11」アメリカ同時多発テロ事件を挟むことで、結果的にかつてない緊張感とエモーションに溢れたものとなった。

「9.11」後は誰もがエンタメを自粛する空気の中、U2は誰よりも早くツアーを始動させ、人々の痛みに寄り添い、行き過ぎた怒りには諌める眼差しを向けた。この時U2は、すでにステージから過剰な装飾を剥ぎ取っていた。その代わり、客席にはハート型のランウェイが設けられていた。出来過ぎのようなその舞台で、U2はロックのライブが観客ひとりひとりをどこまで抱きしめられるかに挑んでいるかのようだった。

その試みは、新たな「12分間」を生むことになる。翌年2月に行われた全米スポーツ最大の祭典スーパーボウルのハーフタイム・ショーにU2は出演、そこで今でも語り継がれる伝説的な12分間を披露することになる。

「9.11」後のアメリカの地で、その全米中が注目するイベントの舞台で、U2は真正面からロック・ミュージックを鳴らし(「Beautiful Day」「MLK」「Where the Streets Have No Name」)、そのステージの背景には120フィートに及ぶスクリーンを伸ばし、「9.11」で犠牲になった人々の名前を全世界に見えるように掲げたのだ。パフォーマンスが終わる頃、ボノが着ていたジャケットを広げ、裏地に縫い付けられていたアメリカ国旗を観衆に見せた瞬間は語り草だ。

『How To Dismantle An Atomic Bomb』(2004年)リリース後の「Vertigo」ツアー(2005年~2006年)を終えると、U2は『No Line On The Horizon』(2009年)をリリース、その年から「360」ツアーをキックオフする。

2011年まで3年に及んだ「360」は、U2のキャリア史上最長(公演回数は110回で、「Vertigo」ツアーの127回、「Elevation」ツアーの113回、「ZOO TV」ツアーの150回には及ばないが、期間としては最も長かった)、かつ現在もグループによるツアーの興行収入記録としては歴代最高クラスで、ギネスにも認定されたほどの成功を収めたものとなった。

そのステージは、ツアー・タイトルにあるように360度から観客が観られるようスタジアムの真ん中に建てられ、照明やビジョンは「クロウ(爪)」と呼ばれたこのツアーのために独自開発された奇っ怪な形状の躯体で支えられているものだった。

このツアーが日本で実現しなかったことはかえすがえすも残念だが、ロック・バンドが到達した史上最高のステージのひとつだったと思う。

 

終わらない視覚と音響の実験

その後もU2の実験は終わらなかった。2015年の「IE」ツアーでは、巨大なビジョンが今度は観客席の真上に、それも最前列から最後列に向けたステージと直角の方向で吊るされるという前代未聞の設計だったし、来日も実現した「The Joshua Tree」ツアー(2017年、2019年)は、アルバムの再現パートとの2部構成という、これもこれまでになかったものだった。

そんなU2の長きにわたるライブ実験は、視覚と音響効果の究極形態であるラスヴェガスの新型ヴェニュー「Sphere」で、ある意味ピークを迎える。当初は『Achtung Baby』30周年にタイミングを合わせる予定がコロナ禍でずれ込んだものの、この「UV:Achtung Baby Live At Sphere」は、球体の建物ならではのまるで包み込まれるような視聴空間を実現させていて、カオスを舞台に取り込もうと挑んでいた「Zoo TV」から30年の時を超えて更新した画期的なレジデンシー公演だった。

 

なぜ評価されるのか?

U2のライブが評価されてきた理由は、一言で言えば特別だからだ。なぜ特別かと言えば、そこでは現実を忘れさせてくれるのではなく、むしろ知らなかった現実、目を背けてきた現実こそ突きつけてくるし、考えることを求めるし、悩ませるからだ。気が触れたみたいなスケールとアイデアがどこまでもスリリングでありながら、U2のライブはどこまでも実直なのだ。それなのに、というか、その現実に向き合わせたまま、観客を全身でエモーショナルにさせてしまうところが特別なのだ。

だから、U2のライブは、誤解を怖れずに言うなら、ミサのようなものなのだろう。自分を悔い改め、説教を聞き、感謝を捧げ、また日常に送り出される――。ただ単に懐メロを合唱したり、胸躍るリズムに身体を揺らしたり、視覚効果に刺激されたりして、日常を一時的に忘れるのではない。むしろ、そこでは容赦なく世界の現実と向き合わされるし、偉人たちの行いに畏怖させられるし、歴史や人にまつわる痛みや哀しみ、善と悪、そんなことどもが音の洪水とともに降ってくる、あまりにもシリアスな場所だ。

実際、それはエンタメというよりも学習や発見、内省の体験に近いだろう。しかし、だからこそ、そこで自分でも知らなかったような胸の深い奥底から湧き上がってくる勇気や喜びに、全身が包まれるような感覚を得るーーそんな誰にも鳴らすことのできない「音楽の教会」が、U2のライブなのだと思う。

Written By 宮嵜 広司


U2『Carnaval De Luz』
2026年11月13日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music



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