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ヒップホップ50周年の年に考える、ジャマイカの影響と1979年の“パチモン”によるヒット曲

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ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽・映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第37回。

今回は今年8月11日で50周年を迎えるヒップホップについて開催されている5つのオンラインイベントから、抜粋を3回に分けてお届けします。

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1973年8月11日:ヒップホップが生まれた日

2023年はヒップホップ誕生50周年! それは、この日付から数えているから。ニューヨークはブロンクスの1520 Sedgwick Avenueにて、クール・ハーク(当時18歳)がパーティーを開催した日である。
そのパーティーのタイトルは、新学期9月に向けた「バック・トゥ・スクール・ジャム」。実のところ、新学期のために新しい服が欲しかったシンディ・キャンベルちゃん(当時は中学生?)が兄のクール・ハークことクライヴ・キャンベルに頼んでパーティーを開いてもらったというのが真相のようだ。いわばクラウド・ファンディングみたいなものである。

ただし、入場料はめちゃめちゃ可愛く、女性は25セント、男性は50セント。現在の円ドル相場で言うと、35円と70円だ。塵も積もれば山となる……とは言うものの、塵をどれほど積もらせれば山ができるのか。

さて、このパーティーで何が起こったのか?

クール・ハーク当時18歳が、「アナログレコード2枚使いのDJプレイ」を初披露したようである。そう、ヒップホップの基礎の基礎だ!

viva freestyle kool dj herc live

 

1967年:ジャマイカという小さな巨人

ここで我々は1973年から時代を遡らねばならない。1967年当時、クール・ハークは12歳。そのクール・ハークが生まれ故郷のジャマイカからニューヨークに引っ越してきた年、それが1967年なのだ。

ジャマイカは、特に20世紀後半から世界の音楽カルチャーに及ぼした影響力で考えれば、いわば小さな巨人である。国民は数百万しかいないが、このジャイアントがいなければ世界の音楽シーンは全然違うものになったと思う。ジャマイカのサウンド・システム的な「トラックと歌/ラップは一体成形にあらず」「トラックはカスタムメイドではなく、歌/ラップも差し替え可能な部品」という発想が、80年代以降の音楽を成立させている要素の一つなので。

00年代に、アメリカのヒップホップ雑誌『The Source』に掲載されていた、わずか2ページ18コマのコミックが面白い。クール・ハークがアメリカに入国できずジャマイカに強制送還されていたら、世界はどう変わっていたかという内容。強制送還されるコマだけが1967年の風景で、それ以降は全てその時点での現在の様子である。

ヒップホップが生まれなかったので、ラッパーという職業はなく、ゆえにDMXは犬のブリーダーをやっている。そこに客としてやってきたのがスヌープ・ドッグ。この世界のスヌープももちろんラッパーではなく、ピンプ、つまり売春斡旋業で儲けているらしいことがわかる。リル・キムとドクター・ドレーはポルノ映画の出演者で、監督が2ライヴ・クルーのアンクル・ルークだったり……。

最後の3コマが一番重要で、場面がジャマイカ。タレントであるらしいLL・クール・J(唇を舐め回すことで有名)がリップスティックのコマーシャルを撮影していると、何やら不思議な音が聞こえてくる。そこでは男がレコード2枚使いで面白いことをやっていて、LL・クール・Jが感心すると、その男(DJになれなかったクール・ハーク)は「昔はこれがモノになると思っていたけど、どうやらそういう運命ではなかったみたい」と。

 

1979年9月16日:オーセンティックさの問題

それは、シュガーヒル・ギャングのシングル「Rapper’s Delight」がリリースされた日。これが初めてアメリカでトップ40ヒットとなったラップシングル。となると、文化としてはともかく音楽ジャンルとして確立されたのは1979年なのではないか。

The Sugarhill Gang – Rapper's Delight (Official Video)

なのに、なぜ1973年から数えて、この2023年で50周年と言い切るのか、言い張るのか。なぜ1979年から数えないのか? もちろん1973年から数えて歴史の重みというものを感じさせようという意識が働いていないとは思わない。きっと、働いてるだろう。だが、もっと大きな要因もある。

ヒップホップというのは、求心力と遠心力が常に競い合い、ギリギリのところでバランスを保ってきたジャンルだ。遠心力の方向に向かいすぎたアーティストは「セルアウト」と批判されることになる。その叩かれ方たるや他のジャンルの比ではない。

なんでこんな話をしているのか? 実は、この「Rapper’s Delight」のシュガーヒル・ギャングが、全くもってリアルなラッパーではなかったのだ。「リアル」の定義も厄介だが、とにかくホンマもんのラッパーではなかった。レーベルの社長によって集められた、互いに見知らぬ素人トリオ。ちなみに、グループ随一の巨体を誇るビッグ・バンク・ハンクはピザ屋の店長だった。ラッパーを目指しながらピザ屋で働いている人物ならいいが、「たまたまラップができるピザ屋店長」となると、ヒップホップに対するコミットメントぶりが全く違う。しかもリリックの一部が、当時のリアルなラッパーから借りてきたものだったとなると、セルアウト呼ばわりも致し方ないだろう。

では、リアルなラッパーたちは何をしていたのか? 彼らはソクラテスだったのだ。つまりヒップホップとは生でパフォームして生で聴かせるべきものであって、録音物にすべきではないと。文字言語で書き留めるということを警戒し、口頭での知恵の伝達を重んじていたソクラテスそっくりである。実際、シュガーヒル・レコーズのオーナーはリアルなラッパーたちに呼びかけたものの、誰も話に乗ろうとせず。やむなく素人を集めるという行動に出たという。

とても皮肉なのは……ストリートでの評判を重んじるヒップホップというジャンルにあって、最初のヒットレコードが、いわば「パチモン」だったことである。

Sugarhill Gang – Rapper's Delight • TopPop

 

1982年7月1日:「The Message」のインパクト

ヒップホップを専門的に聴いていない——そのこと自体を責めるつもりは全くない——人たちは、時として「ヒップホップ・ソングとはメッセージ・シングたるべし」と思い込む。その原因となったのは、グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴの「The Message」ではないかと思う。

確かにこの曲はとてもシリアスで社会的なメッセージが込められたものだ。だが、当のグランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴがメッセージ専門だったかというと、全く違う。「君の星座は何かな〜?」「山羊座〜!」みたいなコール&レスポンスの曲で有名だったわけだし。

では、この「The Message」の背景にあるものは? それはレーガン政権だ。ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』で描かれていたように、レーガノミクスの皺寄せを食らったのは都市の低所得層。それに起因する都市の荒廃ぶりを訴えることによって、ヒップホップはネクスト・レヴェルに到達したのだ……。

Grandmaster Flash & The Furious Five – The Message (Official Video)

その後、Run-D.M.C.の大ブレイクや音楽ジャンルとしての定着、DJカルチャーの西海岸波及などを経て、ヒップホップは目覚ましい発展を遂げる……詳しくはオンラインイベント『ヒップホップ哲学を読み解く15のエピソード』の本編をご覧ください。

Written By 丸屋九兵衛


BLACK MUSIC MONTH 2023 / HIP-HOP 50 YEARS!
丸屋九兵衛オンライン5イベント(アーカイブ公開中)

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