カニエ・ウェストの新作アルバム『DONDA』徹底解説:6つのキーワードと10曲で読み解く桁外れの大作

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Photo: Kevin Mazur/Getty Images for Universal Music Group

2021年8月29日にリリースされたカニエ・ウェスト(Kanye West)の新作アルバム『Donda』。9月3日にドレイクの『Certified Lover Boy』が出るまでSpotifyとApple Musicにて今年1日で最多再生数、世界152ヶ国のApple Musicで1位(歴代記録)、世界71ヶ国のiTunesで1位、全世界の初日ストリーミング数が1億8000万回を記録と桁外れの反響となっているこの新作について、ライター/翻訳家である池城美菜子さんに寄稿いただきました。

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カニエ・ウェストのファンでいるのは、疲れる。体力的にも精神的にも。情報過多でニュースが錯綜するうえ、「朝令暮改」の常習犯。8月29日、日曜日。1年以上、出す出す詐欺を続けてきた10作目『DONDA』がついにリリースされた。静かに興奮しながら、「これまた疲れるアルバムだな」と思った。27曲収録、1時間48分。ゲストの数は30組以上(一瞬だけ登場する人もいる)。スタジアムを借り切っての大掛かりなリスニング・イベント(試聴会)はいままでも行っているが、今回は回数、規模ともに上回り、毎回ファンを待たせた。そこまでカニエを追っていない人にこの作品の制作がどれくらい大掛かりか端的に説明すると、カニエはNFLのアトランタ・ファルコンのホームスタジアム、メルセデス・ベンツ・スタジアム「内」にレコーディング・スタジオを作ってアルバム制作をしたのだ。

とにかくスケールが大きい『DONDA』を、6つのキーワードと10曲の解説で分析してみよう。

 

キーワード①:イエス・キリストとカニエ

2016年の7作目『The Life of Pablo』以来、クリスチャンの色を強め「神様に救われた」と言い続けているカニエ。前作『JESUS IS KING』はゴスペル色が強く、実際にビルボードのゴスペル・チャートの1位にもなった。2019年4月のコーチェラからスタートさせ、年内いっぱい話題をさらった屋外礼拝コンサート「サンデー・サーヴィス」の聖歌隊、サンデー・サーヴィス・クワイヤー名義の『Jesus Is God』を同年のクリスマスに出してもいる。天才カニエ・ウェストの特徴として、本人も持て余しているように見える巨大なエゴの持ち主、というのがある。そのエゴと双極性障害を燃料に、「ドナルド・トランプにできるなら、自分だってアメリカの大統領になれる」と考え、行動に移す人なのだ。

ここ数年のキリスト教へ熱心な帰依は、自分より絶対的に大きな存在を発見して安心したかったようにも見える。『DONDA』はこの変節上にあるアルバムであり、聖書の引用、神を讃えるリリックが散見される。カースワード(罵り言葉)を使わないため、子どもにも聴かせやすいクリーン・ヴァージョンしか存在しない。ただし、カースワードがないからと言って、清らかで心休まる作品に仕上がったわけではない。アルバム全体を通してカニエはあいかわらず自分のエゴと対決し、折り合いをつけ、たまに負けている。折り合いをつける際の常套手段である、皮肉っぽいラップも健在だ。

 

キーワード②:亡き母、ドンダさんへの想い

カニエ・ウェストは、母子家庭で育った人である。母親のドンダ・C・ウェストは英語学が専門の元大学教授あり、カニエは子どもの頃に母の留学に同行して一時期、中国に住んでいた。ドンダさんは、彼の音楽的な才能をいち早く見抜いて機材を買い与えた賢母である。2007年、大学の仕事を辞めてカニエのマネージャーをしていた彼女は、美容整形手術のダウンタイムを十分に取らないまま、次の手術をして亡くなってしまう。この事件は、カニエの人生観を決定的に変えてしまう。それまで「大学中退だけど、売れたもんねー」とコンプレックスは強いものの、のどかな感じもあった作風は、痛切で痛烈なほうへと傾き、奇行も増えて行く。

『DONDA』はタイトル通り、亡き母へのレイクエム(鎮魂歌)的な作品になるかと予想していたが、アルバム全体で母親の話をしているわけではない。ただし、その目的で作った曲には、とても力が入っている。たとえば、タイトル曲にはドンダさんの亡くなる2週間半前にシカゴ州立大学で行った講演が使用されている。黒人女性初のピューリッツァー賞を受けた詩人、グウェンドリン・ブルックスについての講演だが、ドンダさんは息子について「意図的に<私の息子>と呼ぶ彼は(中略)私にとって重要なだけではなく、いまの時代にとっても重要な存在なのです」と言い切っている。また、ドンダさんによるブルックスの詩の朗読は6曲目「Praise God」でも使われている。

 

キーワード③:チーム・カニエの底力

サウンドでもビジュアル・アートでも壮大な作風を好むカニエ・ウェストは、自分のヴィジョンを形にする際、チームを結成して団体戦で臨む人である。死ぬほど読みづらいことで知られる『カニエ・ウェスト論〜《マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー》から読み解く奇才の肖像』(カーク・ウォーカー・グレイヴス著;すみません、翻訳は私です)に載っている、ア・トライブ・コールド・クエストのQティップの談話が、カニエの制作スタイルを説明するために的確なので引用したい。

「芸術作品において、ミケランジェロやレンブラントとかいった大御所はみんななにかしらスケッチをしているが、その手で描いたとはかぎらない。ダミアン・ハーストがコンセプトを打ち立てたら、大勢のクルーが作業員のようにそれを仕上げるのだ。彼の手はキャンバスに触れる必要はないが、その考えは反映される。カニエもそうだ。彼はビートやライムを浮かんだら、われわれ全員に提示する。俺たちは彼が作り始めた音を詳しく吟味し、さらに裂いてみたりなにかを足したりする。セッションの終わりには、みんなで力を合わせて作ったものを彼がまとめ、変化させると、全体はパートごとよりずっとすばらしいものになる。彼は本物の魔法使いだ。実際、彼が行っているのは錬金術なのだ」

Qティップこそ参加していないが、11年を経た『DONDA』でもこの制作スタイルは引き継がれているうえ、参加アーティストはさらに増えている。

ラッパーでは、リル・ベイビー、ベイビー・キーム、トラヴィス・スコット、リル・ヨッティ、プレイボーイ・カーティ、リル・ダーク、フィヴィオ・フォーリン、キッド・カディ、ケイシー、ヤング・サグ、ロディ・リッチ、コンウェイ・ザ・マシーン、ウエストサイド・ガン、ザ・ロックス(ジェイダキッス、スタイルズ・P、シーク・ローチ)、ロイス・ダ・ファイブナイン、ダベイビー、ポップ・スモーク、ジェイ・Z、ジェイ・エレクトロニカ、ドン・トリヴァー、ルーガ。ヒップホップのフェスを行ったら、1日では終わらなさそうなメンバーである。

シンガーではザ・ウィークエンドとクリス・ブラウンの2人のビッグ・ネーム、シリーナ・ジョンソン、この作品から羽ばたきそうなヴォリー(Vory)、カニエのバックグラウンド・シンガーをしていたワールド・フェイマス・トニー・ウィリアムス、サンデー・サーヴィス・クワイヤー、そしてマリリン・マンソン。ジャマイカからはブジュ・バントンとシェンシア。リスニング・イベントでは名前があったアリアナ・グランデの参加がなくなり、代わりにスタローン(Stalone)が歌っている。女性アーティストの参加が少ないことを問題視する海外メディアのレビューをふたつほど目にしたが、ゲストなしでも本来構わないソロ作品で男女比を取りざたする意味が私にはわからない。

プロデューサーもスウィズ・ビーツ、マイク・ディーン、88ロック、デム・ジョインツなど。レコーディングだけして最終的にカットしたアーティストもいるから、途方もなく大掛かりなプロジェクトである。少しいやらしい指摘をすると、数年前に収入より多くを散財するため、多額の借金を抱えていると報じられたカニエは、スニーカーとギャップとのジョイントベンチャー(どちらもYeezy名義)のおかげで経済的には潤っており、それがこのアルバムの制作には大きく関係している。見積もりが少ないと定期的にカニエに口撃されているフォーブス誌をあえて参照すると、3月18日の記事で1.8ビリオン(約2,000億円)の富を持っているそう。

 

キーワード④:『DONDA』とドリル・ミュージック

『DONDA』は、いままでのカニエ・サウンドのアップデート版や最新版が多く入っている。サウンドの特徴としては、教会音楽の雰囲気を出すためかオルガンの音色を多用し、その代わり得意の狂ったようなドラム・パターンが鳴りを潜めている(その点は少し残念)。本作で際立っているのはドリル・ミュージックへの接近、カニエなりの敬意を示していることだろう。4曲目の「Off the Grid」でブルックリン・ドリルのフィヴィオ・フォーリンを招き、カニエのコーラスもドリル風だ。ドリルの発祥はカニエの生まれ故郷、シカゴである。そのシカゴ・ドリルのオリジネイターのひとり、リル・ダークを「Jonah」にフィーチャーしているうえ、シカゴ・ドリルを若くして生んだチーフ・キーフの名前を「DONDA」で出してもいる。ちなみに、チーフ・キーフの「I Don’t Like」を2012年にリミックスして世界的なヒットにしたのは、ほかならぬカニエだ。

昨年、20才で亡くなったポップ・スモークにいたっては、「Tell The Vision」丸1曲を彼のヴァースだけで作っている。カニエのラップがないので、アルバムに必要かどうか意見が分かれるところだし、ポップ・スモークのマネージャー、スティーヴ・リフケンがカニエのG.O.O.Dミュージックの重役であるため、身内で効率よくお金を回しているように取れなくもない。それでも、ヒップホップのサブジャンルとしてのドリルにカニエがずっと関わっているのは、ドリル・ファンとしてはうれしい。余談ながら、私が本作で純粋にかっこいいと思うヴァースは、1位からフィヴィオ、ジェイ・エレクトロニカ、ロディ・リッチの順である。

 

キーワード⑤:キャンセル・カルチャーとカニエ

リリース直前の最後のリスニング・イベントで、カニエはステージ中央に生家を配置し、その前に門番のように数名を配していた。その中に現在、複数名の女性から性的虐待・暴行などで告発されているロック・アーティスト、マリリン・マンソンの姿があった。彼は「Jail pt 2」のコーラスにも参加、この曲にはヒップホップ・フェス「ローリング・ラウド」でのパフォーマンスで、HIVについて偏見だらけのMCをして炎上中のダベイビーのヴァースも加えられた。この2人の起用はカニエが得意な炎上商法、キャンセル・カルチャーへの抵抗、「人を裁くのは神のみ」という聖書の拡大解釈など、さまざまな理由が本人にはあったのだろう。

行き過ぎたキャンセル・カルチャーには私も思うところはあるが、これから事実が明らかになるであろうマリリン・マンソンをいまの時点で引っ張り出したのはやりすぎだし、大失言をやらかしたものの、犯罪ではないダベイビーは並べられて損をしている。実際、「Jail pt 2」のヴァースでは自分の行動を擁護していたダベイビーは、9月1日にエイズ患者の人々から話を直接聞いて自分の認識を改める動きを取っている。

『DONDA』がリリースされてから現時点で4日が経っているが、海外の新聞、音楽メディアの評価は「否」の割合が少し多い賛否両論である。「長すぎる」という誰でも感じる評価はともかく、「母親の名前を冠したアルバムに、あろうことかマリリン・マンソンらを引っ張り出すのはいかがなものか」という論調は、アルバム全体の出来にはあまり関係ないだけに残念だ。

 

キーワード⑥:キム・カーダシアンとの(たぶん)復縁、ドレイクとのビーフ

『DONDA』の制作中にキムが離婚届を提出して調停中だったものの、最後のリスニング・イベントではウェディング・ドレスを着て登場した(元)妻との関係も本作でくり返し出てくる。「すべては神様の思し召し」と強がる「God Breathed」は離婚を一応、受け入れている期間に作られたのだろうし、「Mad when she home, sad when she gone(家にいると腹が立つのに 出て行ったら悲しい)」とのストレートすぎるリリックで泣かせる「Come To Life」は、比較的最近作ったのだろう。音楽は崇高なのに、リリックがところどころリアリティ番組みたいになっているのが、カニエ(とキム)らしい。

もう一つ、ヒップホップ・ファンが好きな話題が、カニエとドレイクのビーフである。何をどうやっても売れ続けている点を除いては、音楽性も必要とされる理由も違うし、年齢差が10才ある分、キャリアの長さにも差があるのでどうしてここまで張り合うのか、と思う。ずっとお互いを意識し、話題作りのレベルを超えて飽きずにやり合っているので、10周回って相思相愛なのかもしれない。ファンがドレイクに向けていると指摘している箇所は後述する。

 

<楽曲解説>

1. Jail

増えたり消えたりしたフィーチャリング・アーティストのなかで、もっともハラハラさせられたのがジェイ・Z。最後のリスニング・イベントではダベイビーのほうが流れたため、「すわ、最終的に落としたのか?」とコラボ・アルバム『Watch The Throne』を聴いて生きてきたファンを絶望させたが、どうやら流さなかっただけのようだ。カニエはサンデー・サーヴィス・コーラス・クワイヤーとコーラスを担当。

Guess who’s goin’ to jail tonight?
今夜 刑務所に入るのはだれだと思う?

と、くり返されるコーラスはこのアルバム全体のテーマ「心の檻からの開放」を指している。ラップはジェイ・Zのみ。2回目のリスニング・セッションの4時間前にレコーディングしたと言われるヴァースからこちらを抜粋しよう。

Hol’ up, Donda, I’m with your baby when I touch back road
Told him, “Stop all of that red cap, we goin’ home”
Not me with all of these sins, castin’ stones
This might be the return of The Throne (Throne)
Hova and Yeezus, like Moses and Jesus
こんにちは、ドンダさん また 旅に出るときは息子さんと一緒だよ
「赤いキャップを被るのとかもうやめろよ 家に帰るぞ」って言ったんだけど
そういった原罪とか投石はごめんなんでね
これで『(Watch) The Throne』が戻ってくるかもね
ホヴァとイーザスはモーゼとイエスみたいなものだから

5行でカニエとのツアーと新作の可能性を匂わせる一方で、「トランプに肩入れしたときは止めたんだけど」と、さりげなく距離を置くジェイ・Zがさすがだ。付焼き刃の知識を書くと、大預言者モーゼもわりと冷たいタイプだったらしい。

 

2. God Breathed

聖書に則ってタイトルを訳すと「これは神の感動によるもの」になるが、聖書で育っていない人間は「ちょっと何言っているかわからない」状態だ。由来はテモテへの手紙の「All Scripture is God-breathed and is useful for teaching, rebuking, correcting and training in righteousness / 聖書はみな神の感動によるものにして教誨(おしえ)と譴責(いましめ)と矯正(きょうせい)と義を薫陶(くんとう)するとに益あり」だそう。英文のほうが平易だが、つまりカニエは「すべては神の思し召し」であり、自分の離婚も含めて神様に従う、と言っている。

Don’t care what you say, nothin’ on me
I don’t care ‘bout the lawyer fees
I don’t care ‘bout your loyalties
God will solve it all for me
何を言われても気にしない 俺のせいじゃないよ
弁護士の費用も気にしない
君の忠誠心もどうでもいい
神様が全部解決してくれるから

離婚問題も神様に丸投げですか、とツッコミたくなるが3曲目に配されている点を深読みしておこう。金属的なループに聖歌隊の低い合唱がかぶさり、本作でも際立ってかっこいいトラックだ。コーラスは本作で大活躍しているシンガー・ソングライターのヴォリー。『JESUS IS KING』のレコーディング中に録った曲らしいが、カニエの口調が怒りに満ちているため、本作のほうがしっくりくる。神様をテレビの下世話なカップル相談番組の司会者、モーリー・ポヴィッチと同列にしたり、韻を踏むために「ダスティンといえばホフマン」みたいなラインがあったりと、いつものと皮肉っぽい(tongue-in–cheek)調子が戻っていて安心した。

 

3. Off the Grid

「オフ・ザ・グリッド(格子から外れる)」は「電波の届かないところにいます」の気の利いた言い方で、人里離れた場所にいることを指す。前述したように、ヒップホップのサブジャンルとして定着したドリルをカニエ流にアレンジした曲。おもしろい声のイケメン・ラッパーという意外性で人気のプレイボーイ・カーティと、ブルックリン・ドリルのフィヴィオ・フォーリンが参加。「刑務所にいる間はおとなしくしていたよ 手紙をくれたファンのみんなありがとう」で始まるフィヴィオのヴァースがハードコアでのけ反る。ドレイクへのディスだと騒がれている箇所がこちら。

I was forgettin’ you, now I remember, now I remember
Did what I want, and I say what I want
And I thought you was with me, like how you get sensitive?
お前のことなんて忘れていたのに 思い出した ああ 思い出したよ
俺はやりたいようにやったし 言いたいことも言う
仲間だと思ってたんだけどね なんでそんなに繊細になっちゃったの?

繊細さではカニエも負けていないと思うが、さて。

4. Hurricane

ザ・ウィークエンドがコーラスを担当し、若手トップのリル・ベイビーが気を吐く華やかな曲だ。この曲でカニエは反省というか自虐モードが入っていて、自分の現状を冷静に見ている。

Here I go on a new trip, here I go actin’ too lit
Here I go actin’ too rich, here I go with a new chick
And I know what the truth is, still playin’ after two kids
It’s a lot to digest when your life always movin’
Architectural Digest, but I needed home improvement
Sixty-million-dollar home, never went home to it
Genius gone clueless, it’s a whole lot to risk
Alcohol anonymous, who’s the busiest loser?
さぁまた新しい旅だ  ほらまた俺はすごくイケてるふりをしている
ほらまた金持ちぶりを見せびらかして ほらまた新しい女性とデートしている
でも自分で真実を知っていて  子どもが二人生まれた後も浮気していた
飲み込まないといけないことも多くて  常に動いている生活だをしていると
家は『アーキテクチュアル・ダイジェスト』に載ったけれど 家庭は改善しないといけなくて
6000万ドルの家なのに  くつろいだことなんてないし
天才がバカをやったら  危険にさらすものが多すぎる
アル中の自助グループ  一番ビッグな敗者はだれだ?

二人目のセイントが生まれたのが2015年だから、『The Life of Pablo』まで以前のライフスタイルを引きずっていたのかな、と察する。2009年のテイラー・スウィフトのMTVスピーチ乱入事件も原因は飲酒だったので、そこにカニエの原罪があるかもしれない。締めの「みんな批判的すぎるよ(Everybody so judgmental)」を聴いたとき、ハッとした。私たちは不寛容の時代に生きていて、それが生きづらさ、息苦しさにつながっている。本作の本質的なテーマが入った一言だと思う。

 

5. Junya

Junya Watanabe on my wri’
手首にはジュンヤ・ワタナベ

全国のジュンヤさんをドキッとさせるタイトルである。カニエの「ワタナベ」の発音がおぼつかないため、最初に聴いたときは「え、何? え、誰?」となったが、コム デ ギャルソンのデザイナー、渡辺淳弥氏のことである。「腕時計、それともブレスレットのこと?」と海外でも話題になっているものの、時計のラインはないそう。カニエは「あれ、見えないや どこかで見落とした?」とも言っている。この曲は2つバージョンがある4曲のうちのひとつで、パート2ではプレイボーイ・カーティに加えてタイ・ダラー・サインが参加、こちらはアンダーカバーの高橋盾氏の名前を出し、カニエの「ワタナベ」より発音が正確だ。デザイナーの名前を曲にするのはジェイ・Zが2013年『Magna Carta Holy Grail』の「Tom Ford」ですでにやっている。

 

6. Believe What I Say

2020年にすでに一部を発表していた曲で、ローリン・ヒル「Doo-Wop (That Thing)」(1998)のサンプリングでファンは色めき立った。カニエがローリンの曲を使うのは、デビュー作『College Dropout』(2004)のサード・シングル「All Falls Down」以来。こちらのコーラスを歌っていたシカゴ出身のR&B・ソウルシンガー、シリーナ・ジョンソンが本作の1曲目でお母さんの名前を連呼している。「俺の言うこと信じてよ」というタイトルで、歌唱力がぐっとアップしたカニエが歌うコーラスがすてきだ。

Don’t let, don’t let the lifestyle drag you down
Who knows when was the last time you felt the love
One last sparkle to follow in my light
One last sparkle to follow
あんなライフスタイルに引きずられないで
最後に愛を感じたのはいつかなんて知らないけどさ
俺に灯った最後のきらめきを追ってみるよ
最後のきらめきの方へ行くんだ

この場合の「ライフスタイル」が何かは特定していないが、曲全体はインスタの女王、(元)妻のキムに当てたと思われる箇所が多い。前作の「Closed On Sunday」でも「日曜くらい(SNSを)休んでよ」と言っていたが、カニエ自身も定期的にSNSで暴れ回るので有名だ。

People sayin’ tweetin’ gonna make you die early
How ‘bout have my heart hurtin’?
Hold it all inside, that could make you die early
ツィートにはまりすぎると早死にするんだって
だったら俺の傷ついた心はどうなるの?
自分の中に秘めていたら それで早死にするかもね

自分のことは正当化するあたりがカニエらしいが、古いR&Bをよく仕立て直していた00年代のカニエ・サウンドを思い起こす気持ちのいい曲だ。途中でブジュ・バントンのモノローグが聴こえたときの、レゲエ好きの私(と、ほかのレゲエ・ファン)のときめきたるや。パトワではなくふつうの英語で語るブジュも麻薬取引のおとり捜査に引っかかって有罪になり、刑期を務め上げた人だ。ブジュ、カニエ、ローリン・ヒルの3人は孤高の天才でステージ上のカリスマ性も凄まじく、そして私が知る限り凡人では理解できない変わり者ぶりも互角である。

 

7. Keep My Spirit Alive

ニューヨーク州北部のハードコア・ヒップホップ集団グリセルダ・レコーズからウエストサイド・ガンとコンウェイ・ザ・ブッチャーが参戦。それぞれ法と摩擦を起こした時、撃たれて死にかけた時に神に救われた話をしている。カニエもふたりに引っ張られたのか、社会的な意見からヴァースを始めている。

Well, between a mix of bad schools with the fast food
Bad had tools and a bad mood
 If you don’t turn to a lil’ Gotti
They gon’ drain all the strength in your lil’ body
ファーストフードを出す劣悪な学校環境
悪ガキが武器を手に入れて バッド・ムードだ
(ジョン・)ゴッティみたいなギャングにならずに済んでも
小さな体から強靭さを抜き取っていくんだ

カニエは大人目線でアメリカの学校教育と食育の質の悪さを嘆くが、引き合いに出すのが伝説的なシカゴ・マフィア、ジョン・ゴッティであるのはかなり極端だ。その一方で、

She said “You in the studio with who? I’ma hurt you”
How I’m forty-two and you got a curfew?
彼女は「誰とスタジオにいるんだって? あとでお仕置きだからね」って
俺は42才なのに門限があるってどういうこと?

と同じヴァースで言っていて、どう反応したらいいかわからなくなる。本作でカニエもキムも束縛が強いタイプだとわかったが、「お似合いなんですね」以上の感想はない。

 

8. Jesus Lord

長年ファンを待たせ、2020年に43才にしてデビュー・アルバム『A Written Testimony』をドロップしたジェイ・エレクトロニカを迎えたこの曲は、本作でもっとも深淵なリリックが聴ける曲である。カニエもエレクトロニカの世界情勢を絡めた硬派なヴァースに触発されたように、母を失った苦しみを吐露してから、10代の妊娠と簡単に手に入る銃や麻薬の問題に言及している。

And if I talk to Christ, can I bring my mother back to life?
And if I die tonight, will I see her in the afterlife? (Jesus)
But back to reality, where everything’s a tragedy (Lord)
You better have a strategy or you could be a statistic
神様に語りかければ 母さんは生き返るのかな?
もし俺が今夜死んだら あの世で母さんに会えるのかな?(神様)
現実に戻ると、すべてが悲劇的で(神様)
戦略を立てたほうがいよ さもなくば統計の値として終わるだけ

この曲の最後に議論を呼ぶであろうパートが入っている。シカゴのギャングスター・ディサイプルズのリーダーにして、無期懲役で服役しているラリー・フーヴァーの息子が登場、父親の恩赦をトランプ元大統領に進言したカニエに感謝を述べているのだ。「罪を憎んで人を憎まず」の精神は理解できるし、犯罪者の家族の苦労も想像できるけれど、アメリカのギャングの怖さを知っている身としては、カニエの行動に賛同するのは難しい。ただ、こういう議論を起こす自体、ヒップホップの本髄に沿ったパートだとは思う。

 

9. Lord I Need You

「神様、あなたが必要なんです」と訴えながら、実はキムに泣きついている曲である。以前、自分を神聖化していたカニエは、きちんとキリスト教に向き合う段階を経て、(元)妻を神様扱いし始めている。こうなってくると、コンセプチュアル・アートのようだったリスニング・イベントもひたすら復縁に向けた詫び状だったのかと思えてくる。

We used to do the freak like seven days a week
It’s the best collab since Taco Bell and KFC, uh
Talk to me nicely, don’t come at me loud
You had a Benz at sixteen, I could barely afford a Audi
昔は週7日間 毎晩ヤリまくっていたよね
俺たちはタコベルとKFC以来の最高のコラボ
優しく話しかけてよ 俺に大声を出さないで
君は16才でベンツを持ってたけど 俺はアウディでさえやっとだった

前作の「Closed on Sunday」では「You are my Chick –fil-A(君は俺のチック・フィレイ)」と言い、今回は自分とキムの関係をフードコートで並んでいることが多いタコベルとKFCになぞられている。(元)妻について考えるたびにファーストフード・チェーンが出てくるのがおもしろいが、夫婦そろって大富豪でも悩みはあまり変わらないのだと思うと親近感がわく。超有名弁護士の実父と元オリンピック選手の養父(あとで女性になったが)をもつキムにたいして、引け目があったのも人間くさくていい。

 

10. Come to Life

カニエの現時点の本音が詰まった、本作の実質上のクライマックスに当たる曲である。

You the air that I breathe, the ultra-ultralight beam
Brought a gift to Northie, all she want was Nikes
This is not about me, God is still alive, so I’m free
Floatin’ on a silver lining, floatin’ on a silver lining
So when I’m free, I’m free
あなたは空気みたいに俺のすべてで 超ウルトラライト・ビームなんです
ノースにプレゼントを買ったんだ ナイキを欲しがるから
俺のことはどうでもいいんだ 神様はいらっしゃって 俺は自由だから
希望の光の中を漂っている 希望の光の中を漂っている
だから自由なんだ 俺は自由なんだ

「ウルトラライト・ビーム」は、『The Life of Pablo』からの大ヒット曲であり、信仰心を意味するカニエの頻出単語だ。ただし、このヴァースではキムと引っ掛けている。2行めでは長女のノースが欲しがれば、ビジネスで大揉めしたナイキの靴だって買ってあげるよ、と言っている。カニエの自尊心が許せるギリギリの行為がそれなの、とは思うが、曲全体で家族との仲直りを切望しているが伝わって来る。9月3日に公開されたばかりのビデオは、リスニング・イベントの最後のシーンだ。

 

1万字を費やしても、10分の1くらいしか説明できていない気がする『DONDA』は、やはり疲れるアルバムだ。ここまで読んでくれた人が聴く際の一助になれば、幸いである。本作は「欠点がある傑作」だと私は思っている。ネットのニュースを読んで、お騒がせ男のカニエ・ウェストを嗤ったり、揶揄したりするのは簡単だ。一方で、彼の音楽に一度でもきちんと向き合ったら、そう簡単に笑える才能ではないと感じるはず。『DONDA』は、その事実を思い出させてくれる作品である。

Written By 池城美菜子(ブログはこちら


カニエ・ウェスト『DONDA』
2021年8月29日発売
iTunes / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music




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