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【コラム】「ディスコ」の成り立ちと映画『サタデー・ナイト・フィーバー』との関係

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1977年に全米公開、1978年に日本公開された映画『サタデー・ナイト・フィーバー』によって世界的にディスコ・ブームが起こったのは今から40年前のこと。ジョン・トラボルタ主演の青春映画で、ディスコに明け暮れる若者の苦悩や葛藤を描いたストーリーもさることながら、劇中で流れる楽曲を収めたサウンドトラックが大ヒットとなり、ビー・ジーズをはじめ、KC&ザ・サンシャイン・バンド、クール&ザ・ギャングなどの曲が日本においても幅広い世代に浸透していった。

だが、1940年代ナチス・ドイツ占領下のフランスで“秘密の踊り場”を意味した“ディスコティーク(Discothèque)”を語源とするディスコは、その成り立ちが示すようにアンダーグラウンドな文化だった。結果的に踊り場は人種や性におけるマイノリティたちの解放の場としても機能し始め、当初はバンドの生演奏で客を踊らせていたものが、70年代に入るとDJがレコードをかけて踊らせるスタイルが主流に。アメリカにおける“ディスコ元年”はビルボード誌がディスコ・チャートをスタートさせた74年だとも言われ、実際にソウルやファンクのシーンではこの頃からブギーやバンプ、ハッスルといった踊りと連動したダンス・ナンバーが登場し、ディスコを意識した音楽が次々に生まれている。特に四つ打ちのビートやゴージャスなストリングスで迫るフィラデルフィア・ソウル、ジョルジオ・モロダーによる電子ビートが特徴的なミュンヘン・サウンドはムーヴメントを象徴する音となる。それらを時代の気分としてパッケージしたのが映画『サタデー・ナイト・フィーバー』であり、そのサウンドトラックだったわけだ。

映画の公開と前後してアメリカ、特にNYではセレブの社交場ともなった「スタジオ54」やストイックにダンス・ミュージックを追求した「パラダイス・ガラージ」といったディスコが賑わいを見せていた。日本でも同映画に感化されて新しいディスコが続々と誕生し、スロウなバラードで男女が親密な時を過ごすチークタイムのような独自文化も定着。こうした中でNYからシックのようなディスコ・グループが登場し、ロック・アーティストがディスコに挑戦するなどしてブームはピークを迎える。79年には本国で「Disco Sucks!」なるディスコ排斥運動が起きたりもしたが、日本ではサーファー・ディスコの名のもと当時のアーバンなブラック・コンテンポラリーやAORなどをかけるダンス・フロアが人気を呼び、80年代前半に新たなディスコ・ブームが巻き起こった。

以降のディスコは、ニュー・ウェイヴ、ユーロ・ビート、ハウスなど、トレンドを更新しながら多様化。一方で70年代後半あたりのディスコ・ソングは過去の音楽と見なされていくが、2010年前後からはヨーロッパを中心に再評価が進んでいく。そんな折、ダフト・パンクがナイル・ロジャースを担ぎ出してディスコに接近した「Get Lucky」(2013年)が大ヒットし、日本でもタキシードがブレイクしたことで再びディスコが脚光を浴び、『サタデー・ナイト・フィーバー』から40年が経った今も、懐かしくも新しい音楽として親しまれ続けているのだ。

Written By 林剛


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