カーリー・レイ・ジェプセン『Emotion』:2010年代のインディとメジャーの感性を架橋した稀有な作品

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カナダ出身のポップスター、カーリー・レイ・ジェプセン(Carly Rae Jepsen)のサード・アルバム『Emotion』(正確な表記は『E•MO•TION』)。その10周年を記念した『Emotion (10th Anniversary Edition)』が2025年10月17日にリリースされた。デラックス版の収録曲に加え、大ヒット曲「Cut To The Feeling」、さらに新たな未発表曲4曲とリミックス2曲も追加で収録された豪華な内容となっている。

『Emotion』はカーリーにとって大きな転機となった作品だ。メジャー・デビュー作『Kiss』発表後、3年かけてじっくりと制作された今作は、過去作とは全く違うサウンドを提示し、批評家からの高評価を集めた。

当時は一部懐疑的な反応もあったものの、その評価は年々高まっていき、いまや2010年代を代表する傑作とみなされている。カーリーはどのようにして『Emotion』を作り上げたのか?キャリアを振り返りながらセメントTHINGさんに解説いただきました。

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苦難の下積み時代

カーリー・レイ・ジェプセンがポップスターへの第一歩を踏み出したのは21歳だった。幼い頃から曲作りに熱中していた彼女は、オーディション番組『アメリカン・アイドル』のカナダ版『カナディアン・アイドル』に出演。見事3位の座についた。

その後彼女はカナダのインディ・レーベルと契約し、爽やかなフォークポップが楽しめるデビュー作『Tug of War』をリリース。

この時点での彼女は一人のインディ・シンガーにすぎず、ポップスターとは程遠かった。本人も「26歳まではバンクーバーの小さなハコで歌って暮らすのが私の人生だと思っていた」のだという。

だが、「Call Me Maybe」がすべてを変えた。カナダ限定シングルだったこの曲を、同じくカナダ出身のジャスティン・ビーバーが母国滞在中に聴いて気に入り、SNSで紹介したことで人気に火がついたのだ。

このシングルは累計1800万枚以上の驚異的な売上を記録。一夜にしてカーリーはスターとなり、メジャーとの契約を手に入れた。

けれどもこの規格外の成功は、その後の彼女のキャリアに重くのしかかることとなる。

 

ヒットの重圧

新人ポップスターとなったカーリーは早くも問題に直面する。「Call Me Maybe」やアウル・シティとのコラボ曲「Good Time」(2012)以外の曲があまり注目されなかったのだ。

メジャーデビュー作『Kiss』からは何曲かシングルカットされたが、どれも「Call Me Maybe」級の話題にはならなかった。アルバムはミリオンヒットとなったが、「Call Me Maybe」の爆発的な初速を考えれば、勢い不足は否めない。

このままではすぐ「一発屋」として飽きられてしまう。カーリーはレコード会社に次の一手を考える時間がほしいと申し出て、活動ペースを落とし、方向性を模索し始めた。

 

まさかの「SUMMER SONIC」で得た気づき

そんなカーリーがひらめきを得たのは日本での経験からだった。2013年に「SUMMER SONIC」に参加した彼女は、そこでシンディ・ローパーのライブを見たのである。「Girls Just Want to Have Fun」を歌うシンディに魅了されたカーリーは、80年代ポップスがもつ、いつまでも色褪せないエモーショナルな魅力を自作に取り込もうと決意した。

マドンナやプリンスなどを研究しつつ、カーリーは新しいアルバムの制作に邁進した。その初期の過程でできたのが、後のタイトル曲「Emotion」である。

80年代のシンセ・ポップを彷彿とさせる華やかな音色にパワフルなメロディ。ブリッジでは浮遊感のあるギターが被さり、ドリーム・ポップのような雰囲気も生まれている。

80年代のムードに少しオルタナティブな味わいを加え、自分なりの再解釈を提示する。カーリーはこの曲を完成させたことで、進むべき道をはっきり自覚した。

 

インディとメジャーのクロスオーバー

アルバム制作において大きな裁量権を与えられていたカーリーは、尊敬するミュージシャンたちに積極的に声をかけた。同時に、世界的ヒットを量産するスウェーデンのプロデューサー陣から、ポップソングの作曲法を体系的に学び取ったそうだ。

その結果、当時のインディ・シーンで頭角を現していたアーティストと、メインストリーム・ポップスを支えるスタープロデューサーが、同じ制作陣として結集することになった。『Emotion』は期せずして、2010年代のインディとメジャーの感性を架橋する、稀有なプロジェクトへと進化していったのである。

「All That」はそれを最もよく体現した楽曲だ。デヴ・ハインズ(ブラッド・オレンジ)やアリエル・レヒトシェイドらによる内省的で繊細なサウンドと、親しみやすく甘美なメロディが融合し、インディ的な感性をメジャーの語法で翻訳したような絶妙な仕上がりとなっている。

また、相手にとって「十分な存在」になれるかどうか不安を抱えつつも、献身的な愛をまっすぐ表現するカーリーの歌詞にも注目するべきだ。主要作曲陣が同じスカイ・フェレイラの「Everything Is Embarrassing」が都会的なクールさで愛の痛みや後悔を歌っているのに対し、カーリーのロマンスに対する姿勢にはどこか温かく楽観的なトーンがある。

多様なコラボレーターを招聘しながらも、『Emotion』が不思議と一貫性を保っている秘密はここにあるのだろう。彼女はその歌詞と歌唱を通し、愛や親密さが人生にもたらす高揚感を、眩しいほど率直に表現している。その強い感情の奔流こそ、『Emotion』の精神的な軸となっている。

例えば「Run Away With Me」は、そんなカーリーの姿勢が鮮やかに表れた曲だ。ドラマチックすぎるサックスと、「あなたと一緒に逃げ出したい」と訴える歌詞。古今東西のラブソングが描いてきたベタなシチュエーションを、彼女は堂々と歌い切る。シンプルで力強い愛の肯定。それこそがこのアルバムのポップな魅力を支えているのだ。

 

 『Emotion』が切り拓いた新しい道

こうして完成した『Emotion』は、残念ながら『Kiss』ほどのセールスを記録することはできず、収録曲が次々とヒットチャートを席巻することもなかった。しかし、それはカーリーの挑戦が無意味だったということではない。

むしろ、彼女は数字では測れないアーティストとしての信頼と評価を勝ち取ったと言える。「一発屋」というレッテルからの再起を図り、充実したアルバムを作り上げたことで、批評家やファンからの熱烈な支持を新たに獲得したのだ。

そして特に強く共鳴したのがクィア・コミュニティのリスナーたちだ。人生の逆境に直面しても、報われないかもしれなくても、自身の愛や欲望を肯定する。ベタや過剰さを恐れず、感情を表に出すことをためらわない。そのように自分らしさをいきいきと表現するカーリーの姿勢が、差別や無理解などで苦しむ人々の心に響いたのである。

ポップシーンにおける期待の新人から、良質な楽曲をリリースする成熟したアーティスト、そして世代を代表するクィア・アイコンへ。カーリーのイメージは、『Emotion』で一新されたのだ。

先鋭的な音楽性と大衆へのアピールを両立させた作品を発表し、ポップスターとしての立ち位置を大胆に更新する。かつてマドンナやカイリー・ミノーグが成功させた離れ業を、カーリーは『Emotion』で成し遂げた。

もしあなたがまだこのタイムレスな輝きを放つ名盤を聴いたことがないなら、この機会にぜひ体験してみてほしい。

Written By セメントTHING



カーリーレイジェプセン『Emotion』10周年記念エディション
2025年10月17日発売
Zoetrope盤1LP / 2LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



カーリー・レイ・ジェプセン『EMOTION』
2015年6月24日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music



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