日本の初代担当者が語るアヴィーチー:『True』時代の熱狂と実際に会ったときの素顔

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2025年5月16日に発売されたアヴィーチー(Avicii)初のベスト・アルバム『Avicii Forever』。この発売を記念して、日本のユニバーサル ミュージックの歴代アヴィーチー担当にインタビューを実施して、当時のことを振り返ってもらいました。

第一回は、アルバムデビュー当時の担当であり、海外で本人と2回実際に会っている竹野 竜治さんです。

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アヴィーチーとの出会い

―― 本日はお時間をいただきありがとうございます。ユニバーサルミュージックのアヴィーチーの初代ご担当の竹野さんにお話を伺います。よろしくお願いします。

竹野:よろしくお願いします。

―― 竹野さんが最初にアヴィーチーを知った、あるいは聴いたのはいつ頃ですか?

竹野:2013年のSPRINGROOVEですね。その時、ゼッドとアヴィーチーが出演するという発表があって、それで知ったように思います。だから、特に早くから知っていたわけではなかったです。

―― 当時はまだ担当ではなかったんですか?

竹野:ええ。SPRINGROOVEはアヴィーチーがドタキャンをしてしまって。当時担当していたゼッドが、アヴィーチーのヒット曲「Levels」を自分のセットの中でかけたんです。それで「彼も来たかっただろうからトリビュートしたんだ」みたいな会話をゼッドとした記憶があります。それが話題になって、盛り上がったのを覚えていますね。それが個人的に彼を意識した最初のきっかけだったかもしれません。

―― その頃にはもう「I Could Be The One」がUKで1位になったり、話題になり始めていた時期ですね。

竹野:そうですね。その頃でした。

 

担当決定と『True』リリース

―― では、担当になられたのは?

竹野:「Wake Me Up」がリリースされるか、その少し前くらいですね。2013年の5月か6月頃だったと思います。その時すでにゼッドを担当していたので、流れで「似たようなアーティストだろう」という形で担当になりました。

―― 「Wake Me Up」を最初に聴いた時の感想は覚えていますか?

竹野:当時って、ちょうどマムフォード・アンド・サンズとかザ・ルミニアーズとか、ちょっとフォーキーなものが流行っていた時期で、その流れがアメリカとかでもあったんです。だから、「ああ、だからこういうアプローチなんだな」と思った記憶がありますね。

―― いわゆるEDMとしては珍しいアプローチでしたね。

竹野:確かに。でも、EDMって何がすごかったかというと、ちゃんと「歌もの」として成り立っているものがヒットしてたという側面があるんですよ。そういう意味では、ユニークなアプローチだとは思ったけど、やっぱり曲が良いという印象でしたね。

 

―― そしてアルバム『True』が2013年9月にリリースされるわけですが、当時の印象は?

竹野:あの時思ったのは、「これはEDMなのか?」ということでした。EDMというより、良質な音楽だなぁ、って思ったんです。『True』はむしろ、その頃リリースされたダフト・パンクの「Get Lucky」が収録されたアルバム『Random Access Memories』に並ぶような、音楽的な深さを持った作品だと思いました。ジャンルを超えて広がる力があるなって。

―― なるほど。歌詞にもストーリーがありますよね。

竹野:そうそう、「Hey Brother」とかね。戦争で兄弟を失った人の話とか。そういうメッセージ性もあって、これは単なるEDMではないなと感じました。

―― 国内盤のリリースは少し遅れて翌年の1月でしたね。

竹野:当時は輸入盤CDとダウンロードで盛り上げて、国内盤はある程度期間を置いてドカンとそのタイミングで出す、みたいな流れが特に新人アーティストにはあったんです。ちゃんと熱を高めて、温めて、ピークを国内盤で持ってくる、という。それをやろうとして翌年の1月にしたんだと思います。

―― アルバムのジャケット写真についての思い出はありますか?

竹野:アルバムの前にジャケット写真を公開するっていうのがあって。ストックホルムの郊外で公開したんだったかな。コンクリートの壁か何かをバーンとぶち破るとジャケットが出てくる、みたいな施策をユニバーサル ミュージック スウェーデンがやってて。

その時にジャケットが出てきて、「正直地味だな」と思った記憶があります(笑)。まあ、シルエットで文字がドン、という黒いやつで。「Wake Me Up」のジャケットの方がまだ本人写ってたし。『True』はもっと分かりにくくなってて、「なんだこりゃ」と。

 

世代を形作るアーティスト

―― アヴィーチーというアーティストを当時はどう捉えていましたか?

竹野:その時に思ったのは「世代を形作る人」ということでした。90年代にカート・コバーンがいて、00年代にエミネムがいたみたいに。それと同じように、「アヴィーチーは2010年代のカート・コバーンです」って色んな人に言いながらプロモーションして、笑われてましたね(笑)。「面白いこと言いますね」って。

―― その頃はまだそこまで大きくなるって誰も思っていなかったんですね。

竹野:まだでしたね。でも、そういう風になる存在だと自分は思っていました。それで、自分の当時のテーマとして、アヴィーチーを『rockin’on』の表紙にする、というのがあって。

―― なるほど!ジャンルを超えた象徴として。

竹野:もちろん大ヒットも作らなきゃいけないけど、自分の手の届く範囲でできることとしてですね。それで『rockin’on』にアプローチしたけど、当時は1回も載らなかった。レビューはあったかもしれないけど、何かを扱われることはまずなかったですね。

―― ダンス系のアクトはなかなか掲載されなかった時代ですね

竹野:当時はそうでしたね。

 

初対面の印象

―― アヴィーチー本人に初めて会ったのはいつですか?

竹野:2013年の11月です。ロスでライヴをやるから、担当なら行った方がいいだろうと。そしてどうせならマネージメントや本国の担当にも会ってきた方がいい、という話になったんです。ただ確認したらマネージメントはまだスウェーデンにいるってことだったので、まず最初にスウェーデンに行って、ユニバーサル スウェーデンの人とマネージメントに会って、そのあとロスに行ってライヴを見て本人に会ってくる、という。地球一周出張でしたね(笑)

―― すごいですね(笑)

竹野:ユニバーサル スウェーデンの人たちがめちゃくちゃいい人たちで。洋楽の仕事をずっとしていますが、後にも先にも、出張先の空港でネームカード持ってドライバーが待っててくれたのはその時だけです(笑)。普通は「何時にオフィスに来い」なのに。ホテルも向こうで用意してくれてて。「来てくれてありがとう、今回の滞在費はうちが払います」って言ってくれて。だいぶウェルカムでしたね。

―― スウェーデンではどんな話を?

竹野:日本で計画していたマーケティングプランの共有と、日本盤CDのボーナストラックとして「Levels」とか他の曲を入れたい、という交渉がメインでした。当時はまだストリーミングが始まってなかったから、フィジカルを売るのがヒットの絶対条件だったので、商品力を上げるために交渉したかったんです。

最初は「『True』はこの10曲で完結しているから、それ以外は認められない」という話があって、ゲスト参加しているアーティストもクレジットしないというポリシーでした。ブックレットの中にはコラボレーションアーティストとして別記されてるけど、どの曲で誰が歌ってるかは分からないようにしてて、一つの作品として一貫したものがありました。

でもなんとか日本のファンのためにもボーナストラックは欲しいと出張先のスウェーデンで粘ったら、ユニバーサル スウェーデンの人たちは「その提案を俺たちからマネージメントにするのはちょっとできない。日本からわざわざ来たんだから、お前が言ってみろ」みたいな感じになって(笑)。

―― 丸投げ(笑)

竹野:それで事務所に行ってアッシュ(マネージャー)と話をして。「日本はこういう状況で、フィジカルが重要。だから“Levels”とか追加で入れたいんだ」って話をしたら、拍子抜けするくらいに「いいよ!」って(笑)。ミーティング終わったあとに、スウェーデンの担当者が「こんなことになるとは思わなかった。良かったけど、ちょっとびっくりだ」って言ってましたね。

―― 「Levels」だけではなく合計5曲も追加できたとはすごい交渉術ですね。

竹野:それでその後にロスに飛行機で移動して、ハリウッド・ボウルでのライヴを見ました。

―― ライヴはどうでしたか?

竹野:とにかく照明が派手で、特効や花火もすごくて。でも、すごく覚えてるのが、ハリウッド・ボウルってスタンディングの会場じゃなくて、前の方はボックス席でテーブルがあったりするんです。だから正直、「アヴィーチーはこの会場に合ってないな」とは思ってました。音楽はもう、次々に繰り出されてお客さんも大盛り上がりなんだけど、会場はちょっと違うな、と。日本でいうと武道館でEDMのライヴ見てるみたいな感じですかね。

でも、あえてそこでやったんだろうな、と思ったんです。クラブとかイビサとか、そういうイメージだけじゃなく、音楽としてちゃんと聴かせるんだ、というブランディングというか。そういう意図があったんじゃないかな。ドキュメンタリーでもありましたけど、ULTRA MUSIC FESTIVALでバンドを入れて生演奏したみたいに。それの真逆というか。

―― 本人にはライヴ後に会えたんですか?

竹野:終わった後に楽屋に行ったんですけど、全く人がいなくて。関係者のパーティーがあるって聞いてたのに全然なくて。本当に一部屋に十数人、20人もいなかったかな。それで本人に挨拶して。

―― どんな人でしたか?

竹野:物静かな人、という印象でしたね。アメリカ人だったら「ヘイ!よく来たな!」って感じかもしれないけど、すごくフラットに「ああ、日本から来てくれたんだね、ありがとう」みたいな。こっちも「日本は今こういう状況で…」って話をして。「ぜひ日本にも来てほしい」って言ったら、「ぜひ行きたいと思ってるんだよね」という話はあったけど、そんなにこう、ワーッとなる感じじゃなくて、すごく普通の人っていう印象でした。

 

リミックスアルバムと当時のプロモーション

―― その後、『True』のリミックス盤『True (Avicii by Avicii)』が2014年3月にリリースされました。

竹野:ちょうどそのリリースの話は2013年末には来ていて。「1月に『True』の国内盤がでて、2か月のリミックス盤がでて、これタイミング完璧じゃん!」と思って。

―― こちらも反響は大きかったですか?

竹野:とにかくアヴィーチーと名のつくものが何か投下されると、アルバム『True』に全部繋がっていったんです。ニュースもそうだし、リリースもそうだし。需要があるってこういうことなんだなってすごく思ってました。

―― このリミックスアルバムは国内盤は同時発売でしたね。

竹野:盛り上がりがもう出来ていたので。すごかったんですよ、本当に。2013年の11月くらいから『True』輸入盤とダウンロードの数がひたすら増え続けて。勢いが止まらなくて。何かプロモーションを継続的にやってたけど、とにかくものすごい風が吹いてるなっていう感じがすごくしてて。だからもう、その勢いのまま発売、という感じでしたね。

 

アヴィーチーとの再会

竹野:2回目に会ったのはそのころでした。彼自身が歌うわけでもないし、日本に来る予定もなかったので、何か魅力を伝えてもらわなければいけないということで、社内でアンバサダーを立てようという話になったんです。で、その時好きだと言ってくださっていたIMALUさんにアンバサダーになっていただきました。IMALUさんが色々なメディアで紹介してくれたり、一緒にロスに行って、IMALUさんがアヴィーチーにインタビューをするという企画がセットできて。

―― それはいつだったんですか?

竹野:2014年の1月。リミックス版の発売直前ですね。その時は、彼の自宅に行ったんです。

―― アヴィーチーの自宅ですか?

竹野:そう、自宅に行ったんです。LAにも自宅があって、でもその時は、ちょっと話題になってたでっかい超豪邸みたいなとこではなくて、そのひとつ前の普通のマンションの一室でした。

―― その取材の時、IMALUさんとアヴィーチーってどういう話してたんですか?

竹野:たしか、どんな時にインスピレーション得るかとか、音楽的にすごくいい話をしてくれてました。

 

度重なる来日キャンセルと担当者の想い

―― そして2014年7月、ついに来日公演の発表がありました。おそらく当時、日本人で見た人なんてほとんどいなかったですよね。

竹野:いないいない。アメリカかヨーロッパで見るか、まあイビサ島で見るかでしたからね。だから、彼の存在がまだ見ぬ、なんかすごいものみたいな感じだったんだと思うんですよね。ただ、1ヶ月前にキャンセル。。。

―― SPRINGROOVEに続いて2回目のキャンセルでしたね。。

竹野:でもプロモーターのクリエイティブマンさんは諦めませんと。しかもアルバムも売れ続けてるし。ただ、翌年の2015年10月の来日公演もキャンセルになっちゃって。Netflixのドキュメンタリーとか見ると、やっぱもう体調がね、、

―― そうですよね。

竹野:ね、相当深刻だったんだろうなっていう。当時はそこまでわからなかったから、なんでこんなに来ないんだろうなっていうのしかなかったですね。

―― もしかして日本を嫌いなんじゃないかとかっていう説もありましたもんね。

竹野:あったあった。でも直接本人から行きたいって言ってたしなと思って。でも今から思うとあれは仕方ないですね。

―― 竹野さんはこのころに担当を外れて。

竹野:そうですね「Waiting For Love」のシングルが最初出た時までは担当していて。その時もまだストリーミングは日本で始まってなくて、だからセカンドアルバムの『Stories』に「The Days」と「The Nights」を入れたいっていう許諾がもらえたころに、後任にバトンタッチしました。

―― 担当は別になりましたけど。で、その翌年2016年に、初めての来日公演がQVCマリンフィールド(現:ZOZOマリンスタジアム)で決定しました。

竹野:すごく印象残ってるのが、クリエイティブマンさんがその時の来日公演のキャッチコピーで、「頼むぜ、アヴィーチー!僕らは君を諦めない」っていうのを使っていて。あれは最高だなと思って。担当者の個人的なメッセージのような気がするんですけど、なんかその執念みたいなものが込められていて。ずっとその昔から一緒にやってきたクリエイティブマンさんの担当者の人の執念が実ったことが僕は嬉しかったですね。

―― 4度目の正直ですね、2013年、2014年、2015年、、そしてやっと2016年で実現。日本で見たライヴはどうでした?

竹野:実はその時はね、行けてないんですよ。たしか別の仕事か何かがあって。凄い残念でした。でも、その時のライヴの様子を見て、当時の担当者がどんなに後ろ指をさされてもこれまでになかったものを形にしようとしたからこその結果だという趣旨の発言をしてくれていたんです。それはなんだか救われたような、そんな気がしたのをよく覚えています。

 

一番好きなAviciiの曲は?

―― では最後の質問ですが、一番好きなアヴィーチーの曲は何ですか?

竹野:「The Days」ですね。めちゃくちゃ好きであの曲が。

―― なにか理由はあるんですか?

竹野:たぶん、あの曲って、この瞬間を忘れたくない。忘れない日々になるだろうみたいな曲なんだけど、なんかその『True』の、もう一大協奏曲みたいなのが一段落ついて、『Stories』に繋がりますみたいなタイミングで出された曲で。その歌詞と『True』を過ごした自分と重なる部分みたいなのがあったんですよね。

―― These are the days we won’t forget(あの日々を忘れることはないだろう)ですね。

竹野:そうそうそうそう。それがすごくなんか個人的に染みたというか。

―― These are the days we won’t regret(あの日々を悔やむことはないだろう)ですね。

竹野:そうそうそうそう。担当としてはめちゃくちゃいろんなことがあって。最初は「アヴィーチーっていう人なんですけど、この人は歌わないんですが」っていうところから始まって。当時は「それでどうやって取り上げるんだ!?」ってことを社内外からいろんなことを言われたりとかして。

―― DJ=アーティストっていうのが、一般の音楽の中では全く成立していなかった時でしたね。

竹野:もちろんいたにはいたけど、要はポップミュージックとして、そういった人はいなかったんですよね。アーティストといえば歌うもんだろうとか、演奏するもんだろうとか。だからそれをゼッド、アヴィーチーとやってきて。そのなんか自分の一区切りみたいなところで出てきた曲っていうか。なんかそれが、たぶんことのほか染みたんでしょうね。あの日々を、忘れることはないだろうって。今でも聴きますもんね。

―― なるほど。今回はありがとうございました。

Interviewed and written by uDiscover Team

連載第2回:来日公演当時の担当者が語るアヴィーチー


アヴィーチー「Avicii Forever」
2025年5月16日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify



 

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