エアロスミス、ゲフィン時代の4枚:低迷からの復活と初のインタビュー、あの時代を振り返る

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オリジナル・アルバム全20タイトルが、ミニLP仕様の紙ジャケットのスタイルで復刻されることが発表され、第1弾として初期7枚が2025年7月30日に、第2弾としてゲフィン・レコード時代の4枚が9月24日に発売となったエアロスミス。

そんな彼らの中期4枚について、音楽評論家の増田勇一さんにコラムを執筆いただきました。

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低迷と復活の兆し

1970年代、人生においていちばん多感であるはずの頃にエアロスミスの音楽に出会えていたのは幸運なことだった。もちろんそれは彼らに限ったことではなく、僕自身が中高生だった頃、彼らとともに「三大バンド」と称されていたクイーン、キッスについても同じことなのだが、いずれも理屈抜きにカッコいいばかりではなく、僕自身が興味を持ち始めるようになる以前にロック・ミュージックがどんな歴史を辿ってきたのかについて興味を抱かせるようなところが、彼らにはあった。

当時、ロック入門者の僕には、ビートルズやローリング・ストーンズにはもはや歴史上の偉人のようなイメージがあったし、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルについても「少し目上の人たちが聴くバンド」と決めつけて敬遠しがちなところがあった。というか、そういう音楽を聴き始めると上級生たちが訳知り顔でマウントをとってくるのが単純に嫌だったのかもしれない。それよりは音楽専門誌やラジオを通じて少しずつ知識を増やしながら「自分たちの世代が人気に火をつけたバンド」を応援し、そうした人たちの音楽を不器用に回り道をしながら深掘りするのが楽しかったのだ。

しかし残念ながら「三大バンド」の時代はさほど長くは続かなかった。クイーンの人気は彼らが髪を切り、シンセサイザーを使うようになってからも高い次元で安定していたが、当初から陰では「子供だまし」などと揶揄されがちだったキッスの人気は徐々に下火になっていき、エアロスミスにいたってはバンド自体がボロボロの状態になりつつあった。それが70年代終盤から80年代序盤にかけての頃のことだ。

なにしろ彼らの場合、『Rock In A Hard Place』(1982年)当時にはジョー・ペリーがすでに不在だったし、その制作過程においてブラッド・ウィットフォードも脱退。『MUSIC LIFE』の誌面を眺めていても、伝わってくるのはスティーヴン・タイラーをめぐる「ステージで倒れて公演中断」とか「バイク事故で入院」といった歓迎できないニュースばかり。少年期にはこのバンドに対して「本当はまだ手を出してはいけないもの」という煙草や酒や成人映画にも似た禁断の匂いを感じていた僕も、さすがにこの頃には大人になっていたから、彼らがドラッグやアルコールの問題を抱えていることは、ストレートに報じられることがなくても察しがついていた。

そして1984年、エアロスミスよりも先に僕自身に転機が訪れることになる。長年愛読してきた『MUSIC LIFE』の別冊として日本初のメタル専門誌『BURRN!』が創刊されることが決まり、なんとその編集部に籍を置くことになったのだ。それは、メタル史においてはジューダス・プリーストの『Defenders Of The Faith』、アイアン・メイデンの『Powerslave』、メタリカの『Ride The Lightning』が世に出た年。キッスは前年9月に『Lick It Up』をリリースすると同時に素顔で活動するようになり、クイーンは『The Works』からの先行シングルにあたる「Radio Ga Ga」をヒットさせていたが、すでにハード・ロックからはやや距離感のある存在になっていた。

そしてエアロスミスは、この年の6月に『Back In The Saddle Tour』と銘打たれた北米ツアーをスタートさせている。『Rocks』(1976年)の1曲目に収められていたあの象徴的な楽曲をそのままタイトルに掲げたこのツアーは、ジョーとブラッドの復帰を経ての、いわゆるカムバック・ツアーだった。

創刊当時の『BURRN!』はインタビューやライヴ・レポートよりもグラビアとニュースにページを割いていたため、そのツアー時の写真を掲載する機会もたびたびめぐってきた。また、当時の編集部内にキッスやエアロスミスに特に思い入れのある者が僕以外には不在だったこともあり、ごく自然に僕が双方の記事編集を担当するようになっていた。

 

1985年『Done With Mirrors』の発売

そして創刊1周年記念号にあたる1985年10月号で『特別企画 今、なぜエアロスミスなのか!?』という特集記事を担当することになる。今になって読んでみると顔から火が出るほど拙い記事なのだが、当時24歳だった僕は「どこかに不良願望を抱きながらも実際には不良になれない自分の気持ちを満たしてくれたバンド」みたいなことを書いている。そして翌月、11月号ではスティーヴンとジョーが表紙を飾っている。それは彼らの復活アルバム『Done With Mirrors』のリリースに先駆けてのことだった。

『Done With Mirrors』を初めて聴いた時の僕は、「エアロスミスがあの顔ぶれで新作を出す」という夢のような事実が信じられなくて、冷静さを完全に失っていた。1曲目の「Let The Music Do The Talking」を聴いた瞬間、「これはジョー・ペリー・プロジェクトの1stアルバムの表題曲じゃないか!」といきなり興奮が沸点に達し、その勢いのまま同作のアルバム・レビューで95点という高得点を付け、こともあろうにその文中で「酒をくれ!」なんてことを書いていたりする。完全に、若気の至りというやつである。

実際、世間的にもエアロスミスの復活を歓迎するムードはあったが、『Done With Mirrors』自体に対する反響はイマイチで、全米アルバム・チャートにおいてもどうにかトップ40入りは果たしたものの最高36位に終わり、彼らの新たな門出はさほど華々しいものにはならなかった。

ただ、1986年に入るとRUN DMCによる「Walk This Way」のカヴァーが注目を集め、スティーヴンとジョーがゲスト出演したビデオ・クリップも話題となり、むしろそれがエアロスミス再評価熱の高まりに繋がっていった。この曲に触れて「エアロスミスは1975年の時点ですでにロックにラップを取り入れていた」といった評価をする向きもあったが、単純にビデオが頻繁に流れるようになることで「エアロスミス、まだ現役だったのか!」と気付かされた人たちも少なくなかったはずだ。

 

『Permanent Vacation』華やかな色鮮やかさ

そうした幸運な出来事もあり、次作にあたる『Permanent Vacation』(1987年)は、最初から要注目作品とみられていたし、実際、「Dude (Looks Like A Lady)」をはじめとするシングル・ヒットも連発しながら、アルバム自体も全米11位を記録するヒットとなった。

ボン・ジョヴィなどとの仕事で名をあげていたブルース・フェアバーンと初めてタッグを組んで制作されたこのアルバムは、リハーサル・ルームでの演奏が生々しくパッケージされたかのような『Done With Mirrors』とは違い、コマーシャルな完成度と華やかな色鮮やかさを併せ持っていた。

そこでデズモンド・チャイルドやジム・ヴァランス、ホリー・ナイトといった外部ライターが共作者に迎えられていたことについては、当初こそ「ちょっと違うんじゃないか?」という違和感をおぼえなくもなかったが、楽曲自体の完成度が向上していること、各曲に魅力的なキャラクター性が備わっていることは疑う余地もなかった。

このアルバムを引っさげての来日公演は、翌1988年の6月に行なわれているが、それが僕自身にとって初めてエアロスミスを観る機会になった。1977年の初来日公演を見逃したことは、まさに僕自身の三大後悔のひとつといえるが、高校1年生の終盤にあたる時期に行なわれた日本武道館での公演を観られなかったのは、単純に金欠だったからだ。

念願のライヴは本当に素晴らしかったし、その来日時には初めて対面取材をする機会にも恵まれた。インタビュー場所となったホテルの部屋で彼らの到着を待つ僕の緊張した面持ちを見ながら、当時のメーカー担当者が「増田くん大丈夫? 顔が壁と同じくらい白いけど」と指摘してきたことを今もよく憶えている。

 

『Pump』ゲフィン期最強の1枚

そんな僕も時間が経つにつれ、取材経験を積んできたことで徐々に心臓に毛が生えてきたのか、現場で極度にナーヴァスになることはなくなった。次なる『Pump』(1989年)のリリース直後には、彼らにとって実に12年ぶりとなる欧州ツアーを取材するため単身でオランダに飛び、開演前にはジョー・ペリーにインタビューする機会にも恵まれた。当時の僕は通訳不在でのインタビューにはまだ不慣れだったが、質問を事前にきちんと英作文し、丸暗記したうえでその場に臨んだのだった。

当時は携帯電話もなければパソコンでやりとりをする習慣もなかったため、日本を発つ前に先方から伝えられていた時刻に会場受付に行って待機するしかなく、不安でたまらなかった。しかしありがたいことに、レコード会社の現地支社の宣伝担当者が受付近くで待ち構えてくれていて、その人物が僕をツアー・マネージャーに紹介してくれたのだった。

そして連れて行かれた取材場所は、なんとツアーバスの中。写真やドキュメンタリー映像でしか見たことのないその内部に足を踏み入れただけでもドキドキが高まったものだが、その直後、喫茶店の2人席くらいのスペースでジョーと向き合うことになった際には、おそらく僕は前年の来日取材時と同じくらい白い顔をしていたに違いない。

単なる個人の感想ではあるが、僕は『Pump』こそが彼らのゲフィン・レコード期における最強の1枚だと考えている。もちろん好きなアルバムの順位というのはたびたび変動するものではあるが、全時代を通じて常に上位5枚のひとつに挙げられるのがこの作品だ。『Done With Mirrors』が登場した際には、僕自身の興奮が先走っていた。『Permanent Vacation』の際には「この変化をどう評価すべきなのか?」と考えていたところがあった。しかし『Pump』を聴いた時には「これが今のエアロスミスだ!」と声をあげたくなるような感動をおぼえていたのだった。

そして実際、『Pump』は全米5位まで上昇し、UKチャートでも最高3位を記録。『Permanent Vacation』をも上回る成果をあげることになった。そして、70年代の活況を凌駕するような第二次黄金期とでもいうべき時代に突入していた彼らが、さらなるスケールアップに至ったのが、次なるアルバム『Get A Grip』の発表後ということになる。

 

『Get A Grip』初の全米1位作

同作がリリースされたのは1993年の4月、すでにグランジの嵐が吹き荒れ、それまでオルタナティヴと呼ばれていたものがメインストリームに取って代わっていた当時のことだ。その頃になると、80年代的なハード・ロック/メタルが前時代的なものと見做される傾向が強まっていたのも確かだが、ガンズ・アンド・ローゼズやメタリカ、そしてエアロスミスはもちろん例外だった。

当時の僕は『BURRN!』編集部を離れて、少年期からの愛読誌である『MUSIC LIFE』の編集長を務めるようになっていて、このアルバムのリリース当時には国際電話を通じてトム・ハミルトンにインタビューしている。数年前から毛が生え始めていた心臓は、すっかり剛毛に覆われていたようだ。この『Get A Grip』はエアロスミスにとって初の全米チャートNo.1獲得作となり、これまでに全世界で2,000万枚を超えるセールスをあげている。

このアルバムのヒットをめぐる景気のいい話の数々は、音楽誌編集長としても長年のファンのひとりとしても喜ぶべきものではあったが、ちょっとした違和感をおぼえ始めていたことも否定できない。誤解を恐れずに言えば、エアロスミスがあまりに巨大になり過ぎたのではないか、と僕は感じ始めていたのだ。身近だったはずのバンドが遠い存在になってしまった、というのとは違う。アルバムを出すこと、ツアーをすることといったロック・バンドの活動においてごく当たり前のことが、何もかも大ごとになり過ぎているような感覚があったのだ。

実際、『Permanent Vacation』当時は、当時の日本での発売元に試聴音源が届いたその日、こちらから出向いてその場でダビングしてもらったものだった。しかし『Get A Grip』の頃には音源の管理が厳しくなり、それを社外に持ち出すことすら許されず、レコード会社の会議室での試聴会で聴かせてもらうことしかできなくなっていた。

そうした変化は、バンドの肥大化というよりは時代の流れによるものだったと見るべきかもしれないし、むしろ80年代にはまだ70年代的なのどかさが残っていたというだけのことかもしれない。しかし、確実に何かが変わりつつあるのを僕は感じていたのだった。そして、どうでもいいことだが、初めてエアロスミスを聴いた当時に中学3年生だった僕は、この当時、その倍以上の年齢になっていた。

Written By 増田 勇一


ミニLP仕様CD復刻シリーズ発売スケジュール

第1弾発売タイトル (2025年7月30日発売)
野獣生誕[エアロスミスI](AEROSMITH) 1973年
飛べ!エアロスミス(GET YOUR WINGS) 1974年
闇夜のヘヴィ・ロック(TOYS IN THE ATTIC) 1975年
ロックス(ROCKS) 1976年
ドロー・ザ・ライン(DRAW THE LINE) 1977年
ナイト・イン・ザ・ラッツ(NIGHT IN THE RUTS) 1979年
美獣乱舞(ROCK IN A HARD PLACE) 1982年

第2弾発売タイトル(2025年9月24日発売)
ダン・ウィズ・ミラーズ(DONE WITH MIRRORS) 1985年
パーマネント・ヴァケイション(PERMANENT VACATION) 1987年
パンプ(PUMP) 1989年
ゲット・ア・グリップ(GET A GRIP) 1993年

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約13年ぶりエアロスミスの新曲

エアロスミス&ヤングブラッド『ONE MORE TIME』
2025年11月17日発売
CD&LP / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music




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