【ライヴレポ】マックス・リヒター、1曲8時間の「Sleep」ワールド・プレミア公演

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2018年3月16日の「世界睡眠デー」(World Sleep Day)を記念して、マックス・リヒターの1曲8時間の楽曲「Sleep」がストリーミングでも解禁となりました。これを記念して、マックス・リヒターのアーティスト・ページに掲載されていた2年前の3月15日にベルリンで開催された「Sleep」を丸々8時間演奏するワールド・プレミア公演の中村真人氏のライブ・レビューをuDisocverにも転載します。


3月15日の23時頃、私はベルリン・ミッテ地区の東の外れにある巨大なイヴェント会場、クラフトヴェルクに着いた。Kraftwerk(発電所)という名前からも伺われるように、ここは元々東独時代に火力発電所として使われていた建物。現在はテクノクラブ『Tresor』の拠点としてクラブのイヴェントが定期的に行われるほか、2012年にはベルリン国立歌劇場がルイジ・ノーノのオペラ『愛に満ちた偉大な太陽に向かって』をここで上演するなど、並外れた音楽イヴェントが時々開催される場所としても知られる。

© Camille Blake

この日集まったのも、そんな「並外れた」コンサートを聴きに訪れた聴衆だった。ドイツ生まれの英国人作曲家マックス・リヒターの「Sleep」が、ベルリンの現代音楽祭「メルツ・ムジーク」(3月の音楽)の一環でワールド・プレミエを迎えたのである。

「眠り」をコンセプトに作曲された「Sleep」は、単一の楽曲としては8時間というレコーディング史上最長の音楽であり、昨年(*2015年)ユニバーサルよりリリースされるやいなや大反響を呼んだ(1時間ヴァージョンの『From Sleep』も同時発売されている)。実は今回の公演に先駆けて、昨年9月にロンドンで8時間ヴァージョンが一度だけ上演され、BBCラジオにてライヴ中継されている。少数の招待客を招いて行われたその模様を私はドイツのニュース映像で見ていたが、一般客を対象にした初めての公演が一体どのような形で、またどれほどの規模で行われるのか、まったく想像がつかないままやって来たのだった。

会場の入口前に寝袋や枕、マットレスを持参して並んでいる人びとを見て、「そうだったのか」と思った。チケットを持っている人には簡易ベッドが割り当てられるが、それ以外に必要なものは各自持参することになっていたのだ。「せめて毛布でも持ってくればよかった」と私は後悔した。

中に入ると、まず大きな会場見取り図で自分のベッドの場所を確認する。プレス担当者の話によると、この夜の聴衆は410人。つまりその数だけのベッドが並んでいることになる。3日間いずれの公演も、早い段階でソールドアウトになっていた。ワールド・プレミエだけに、テレビカメラの姿も目に入る。

© Camille Blake

 

階段で2階に上がると、思わず息を飲んだ。コンクリートがむき出しのがらんとした空間に無数のベッドが並び、一番奥には青く輝いたステージが浮かんでいる。中央に垂れ下がっているのは、それとは不釣り合いな豪華なシャンデリア。妖しい美しさに気持ちが昂る一方、ベッドが並ぶ会場の雰囲気は核シェルターが現実に使われる終末の情景を思い起こさせて、いくらか恐くもある。もっとも、眠りながら音楽を聴くという未知のコンサートを前に、周囲の人びとはビールやロングドリンクを片手にリラックスモード。193と書かれた自分のベッドに腰を下ろすと、隣の20代の男性が「毛布は受付で借りられますよ」と教えてくれた。

© Camille Blake

作曲者のマックス・リヒター(この日はピアノとエレクトロニックを担当)が挨拶を述べて、0時を数分回ったとき、リヒターのピアノと共に「Sleep」の演奏が始まった。ゆったりとした下降音型のベースを持つ「Dream1」が最初の楽曲。演奏が始まった頃は、ステージの周りで立って聴いている人たちもいるが、少しずつ皆自分のベッドに戻り、照明も落とされてゆく。

0時40分ごろ、ソプラノを加えた楽曲「Path」が始まった。あらかじめ録音された歌のリフレインの上に、ソプラノのグレース・デイヴィッドソンが繊細で美しい歌を添えてゆく。リヒターのインタビューによると、「Sleep」の8時間ヴァージョンは「Dream」の主題に基づく変奏曲と「Path」に基づく変奏曲を組み合わせる形で構想されている。残りの「Space」はエレクトロだけの音楽、「Patterns」と「Return」は器楽とエレクトロの中間という位置づけだそうだ。

© Camille Blake

1時を回ったころ、弦楽五重奏のメンバーが演奏に加わった。リヒターの横には電光掲示板が置かれ、演奏開始からの時間を表示している。「ここまででまだ全体の8分の1か」と思いながら、遥かなる世界に誘われるかのような音楽を聴きながら私も眠りに落ちた。

3時40分ごろ、ピアノとヴァイオリンの演奏に導かれて目が覚めた。そのままうとうとして次に無意識から覚めたのは4時半ごろ、広大な空間にしては暖房が効いている方だと思うが、それでも毛布1枚ではやはり寒かった。1階に下りて行くと、ありがたいことに水と温かいお茶が無料で提供されていた。ベッドの上で飲むペパーミントティーが冷えた体に沁み渡る。舞台の上では、再び「Dream」の主題をピアノと弦楽器が奏でていた。2本のチェロが織りなす調べに包まれて、今度は長い睡眠の世界に入った……。

© Stefan Hoederath

うつらうつら時計を見ると時刻は7時半を回っていた。どういうわけか目が覚めるときはいつも「Dream」のメロディが流れている。最後は弦楽アンサンブルにソプラノが加わり、この上なく透明な音楽に静かな高揚がにじみ出る。終止音がピアニシモで消えゆくと、聴衆からは自然とあたたかい拍手がわき起こった。それを聞いて起きた人もいれば、そのまま寝続ける人もいる。隣の青年は、「5、6時間は寝られたよ」と笑顔で帰って行った。普通のコンサートだったらおかしな感想になるところだが、「この曲を聴きながら眠りに落ちてもらえることを望んでいる」というリヒターの策に見事にはまった一人というべきか。

ワールド・プレミエを終えた後、リヒターは次のようなコメントを残した。

「皆さんのおかげで素晴らしい「Sleep」のプレミエを迎えることができました。私たちは今回の上演を実現するために数年を費やしてきました。皆さんとの一夜の航海をついに実現できたこと、そして信じられないほどのフィードバックを皆さんから聞けたことに興奮しています。私はこれから少し休みますが、第2夜の公演を楽しみにしています」

楽器編成が少しずつ変化する8時間の公演の中で、最初から最後まで休みなく弾き続けた唯一の演奏家がリヒターだった。

マックス・リヒターだけ「No Sleep」

振り返ってみると、「Dream」の音楽が流れているときに自分が決まって目が覚めたのは何だったのだろうかという思いが残る。睡眠という無意識の時間の中でも、私の脳のどこかがこの音楽を聴いて反応したということになるのだろうか。自分の中に眠るそんな未知の感覚に気付かせてくれる稀有な体験だった。

Written By 中村真人


マックス・リヒター『Sleep』

  


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