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Classical Features

千住真理子、最新インタビュー:新作『ポエジー』を通して伝えたい “イメージ”の尊さ

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©Kiyotaka Saito

12歳でプロ・デビューを果たし、今年還暦を迎えたヴァイオリニスト千住真理子。2002年に国宝級の名器ストラディヴァリウス「デュランティ」と出会い、国内外のコンサートからボランティア活動まで精力的に活動を続けてきた。

そんな千住が歩んできたヴァイオリン一筋の人生を振り返り、その節目に深く関わりのあった作品が収録されているのが、今年9月に発売された最新アルバム『ポエジー』だ。

今でこそ「いろんな苦しみの最中にいたときに、結局音楽が私を助けてくれた」と語る千住だが、実は以前ヴァイオリンを本気で辞めた時期があったという。60歳を記念するアルバム『ポエジー』のお話を伺う中で、千住の歩んできた音楽人生を紐解いていく。



音楽人生を振り返ったアルバム

――アルバム『ポエジー』の制作を決めたきっかけや、選曲の理由を伺いたいです。

最近はニュース映像を見るたびに、苦しい気持ちになりますよね。前回リリースした『蛍の光』も皆さんに明るい気持ちになっていただけたらなぁという気持ちを込めてレコーディングしたのですが、今回はもう一歩進んだ気持ちで、何か皆さんの慰めになるような、未来に希望を感じていただけるような……、何かそういったものを作れたらいいなと思ってレコーディングを行いました。

たまたま私は今年で生誕60年なのですが、いろんな苦しみの最中にいたときに結局音楽が私を助けてくれたなぁということを随分考えるようになったんですね。じゃあどういう音楽が私にとって心に残っているかな?と考えたときに浮かんできた曲たちが、『ポエジー』には収録されています。

――アルバム名である『ポエジー』の由来も気になります。

さまざまな名前が頭の中に過ぎりはしたんですけれども、今回収録した作品の中にあるショーソンの《詩曲(ポエム)》がどうしても軸として私の心にありました。それで、何かポエムを総括するような言葉はないかなとずっと思っていて。

ポエジーはイメージやドラマを感じさせるもの……というようなね。音楽を通していろんなイメージをして、ドラマを感じて、心が柔らかくなる。多くの皆さんの心に、そんな“ポエジー”を浮かべてほしいなと思って、この名前にしました。

――お兄様の千住明さんが作曲された《夜明けの詩(ポエム)》も、題名に「ポエム」と入っています。

兄と詳しく二人で話をすることは一切なかったのですが、兄弟だから分かり合えたところがあったのかなと、後にしてみれば思ったんですけれども。兄には、「ポエムを書いてほしい」という風な言い方をしました。そしたら、兄から作品が届いて、その楽譜の上の方に「夜明けの詩」と書いてあったんですね。

――「夜明けの詩」という曲を作ろうとしたのではなく、結果的に明さんから届いた曲が《夜明けの詩》だったと。

そうです。今回のアルバムは世界中にいらっしゃる多くの皆さんの悲しみや不安、絶望や恐怖……、そういったものの夜明けとなるような、未来の希望を感じられるポエムが浮かんでくるといいなという気持ちがあったんですね。なので、兄から作品が届いたときに何だかこう、私の心の主旨を分かってくれたんだなぁと感じました。アルバム名を「夜明けの詩」にしようかな、とも思ったくらいで。

©Kiyotaka Saito

夜明けの詩と愛器デュランティ

――そうして生み出された《夜明けの詩》ですが、どのような部分がデュランティに合う作品だと思われますか。

《夜明けの詩》は低い音から高い音まで万遍なく使っていることに加えて、音そのものの響きを重視したメロディの流れになっているんですね。なので、音を1音ずつ響かせながら、次の音に繋げていくようなね。そんな音の重なり具合がデュランティの魅力を引き出してくれているんじゃないかと感じます。

――曲の冒頭から、オクターヴで上がっていくメロディも印象的でした。

ポエムを書いたり読んだりするときっていうのは、皆さんの心の中にあるさまざまなイメージをわぁっと膨らませていきますよね。その“膨らませる”という心の段階が、もしかしたらこの1オクターヴずつ響かせていくようなフレーズで表現されているのかなとも感じました。

――《夜明けの詩》を収録した際に、明さんと曲について何かお話されたことはありましたか。

あのね、不思議に思われるかもしれないんですけれども、兄と二人で兄の作品について話をすることは本当にないんですよ!お互いに触れてはいけない部分と言いますか、あえて作品の話はしないんです(笑)。その代わりに私は作品を演奏することによって、私自身の思いを託しているのですが。

兄も、自分の作品ができあがった段階で「演奏者のものだ」というような、ある意味で一線を引くような部分もあって。ですから、作品についてお互いあれこれ言わないんですね。

――そうだったのですね。これまでも一切、曲についてお話することはなかったのでしょうか。

ええ、ずっとそうなんです。しかし、だからこそよりよい理解をしたいといつも思うんです。何十回、何百回同じ曲を弾いても、もしかしたらもっといい理解の仕方がどこかにあるんじゃないかな……って。そんなことを探しながら、曲に向かっています。

苦悩の末、ヴァイオリンを辞めた過去

――『ポエジー』には人生の節目に深く関わりのある曲が収録されていると思いますが、千住さんのこれまでの人生についてもお話を伺いたいです。以前ヴァイオリンを辞めようと思ったことがあると、耳にしたことがあります。

今となってはさまざまなことが重なってしまったんだなと感じていますが……。
私は12歳でデビューした後に天才少女と言われるようになって、子供だった私はなんとかして「天才らしく弾かなければならない!」というような、一種の責任感を強く感じていたんですね。そんな気持ちでずっと10代を過ごしてきたのですが、どれだけ練習して、いくら努力を重ねても、天才らしく弾くことに大きなハードルを感じていました。学校と両立しながら演奏会をこなしていくこともものすごく大変でしたし、結果として私はプレッシャーに押し潰された形になってしまって。

それで、もうこれ以上弾けない。練習もできないし、これ以上上手くも弾けない。もう私は努力ができない!という段階までいってしまったことで自分の限界を感じ、20歳になったときにヴァイオリンを辞める決断をしました。

――長期休暇のようなものではなく、ということですよね。

そうですね。そのときは一旦辞めるとは思っていなくて、もうステージには立たないという強い決心をして辞めました。それまでの私の苦しみを家族も知っていたので、この決断には家族みんなが賛同してくれましたね。「それはそうだろう」って、みんなが言ってくれて。

――そこから再び舞台に立つきっかけとなった出来事は、どのようなものだったのでしょうか。

再び演奏するようになったのは、ボランティアでの出会いがきっかけでした。昔私のファンだった方がホスピスにいらしていて、余命幾ばくもないような状況だったのですが、「最後に聴きたい」と言ってくださって。そのことが私にとって、再びヴァイオリンを手に取る、新しい自分への第一歩だったのです。

そうして、その方のためにヴァイオリンを持っていったのですが、当然しばらくの間練習をしていなかったので、それはもうみっともない音と、キレイではない音で、その方の最後を汚してしまった……というような罪の意識を随分感じました。

リベンジしたいという思いでね。その日の夜から必死に練習したんですけれども、その方は亡くなってしまって。再び演奏を聴いていただくことは、叶いませんでした。

――そうだったのですね……。

ただ、そのリベンジしたいという気持ちだけが私の中に残ったんです。ヴァイオリニストをもう一度始める!という前向きなものではなく、何かこう居たたまれないといいますか、ただそんなような思いが残って、ひたすら練習をするようになりました。

その後も何度かホスピスに呼んでいただき、演奏をさせていただきました。「今度こそは、私の最高の音を届けたい」と思って、それはもう練習して……。そんなことが何回か続くうちに、“音楽”ってこれなんじゃないかなって感じ始めたんですね。

それまでは必死に練習して完璧に弾くことや、大人の人たちから拍手をもらうことが目標だったのが、ボランティアに行くようになってからは初めて「音楽で語り合う」ことを知ったんです。それで、これこそが“音楽”なんじゃないか、と。そうだとしたら、こういう音楽だったら、私にもできるかもしれない……と、そう思えたことが、再び音楽に惹きつけられていったきっかけでした。

そうして、ステージに立たなかったのが、2年間。ヴァイオリンを全く弾かなかったのが、10ヵ月。そんな期間を経て、再び舞台に立つことを決めたのです。

©Kiyotaka Saito

復帰後も、夜明けまでの道のりは遠かった

――復帰されてから最初のステージでは、どのようなお気持ちで舞台に立たれたのでしょうか。

実はステージに立つ直前、それはもう怖くて。私はこれまで、ステージに立つときにあがってしまうことがなかったんですよ。もちろんいい緊張を持つことはありましたが。しかし、2年間のお休みを経て舞台に立ったときには、もう体中……というか骨がガクガク震えてしまってですね。自分が骸骨になったんじゃないか!と思うくらいに手も震えたんです。そんな状態でステージに立ったときに、本当に弾けないことが初めて分かって、それはもうショックでした。

――まるで自分が別人になってしまったかのような。

毎回、以前と同じように何時間も練習して舞台に立つ。練習では弾けるのに、ステージでは弾けない状態がずっと続くわけですね。復帰後は年間40回、翌年は50回、さらにその翌年は60回……と、だんだん年間の公演回数も増えていったのですが、そのほとんどが自分にとっては全滅状態でした。4年経ってもダメ、5年経ってもダメ。

もうそこまでいってしまうと、ステージに立っても「もうダメかな」と思う気持ちの方が強くなってしまって。練習で弾けていても、もうステージに立ったら弾けないだろう……、そんな逆の確信に変わっていったようなね。

――復帰後も思うような音を奏でられなかった日々どのようにして乗り越えられたのでしょうか。

7年目のある日のことでした。今日もダメかもしれないとか、いや!そんなことは思ってはいけない、とか。いろんなことを思いながらその日もステージに出たんですね。そうして、始めの10分くらい弾いたときに、全ての感覚がパァーッと一瞬で全部戻ってきたんです。

――ええっ。そんな突然の出来事だったとは、驚きました。

私もちょっとずつ弾けるようになると思っていたんですね。ところが、まるで夢から覚めたように、いきなり一瞬で全ての感覚が戻ってきて! それは本当に驚いたと同時に、もう嬉しくて身震いしました。

そのときばかりは神様がいるような気がして、「もう二度と裏切らないから、この感覚を私から奪わないでください」と、願いながら弾いたことを覚えています。それ以降、音楽に対する感謝を、強く感じるようになりました。

――千住さんの感覚が戻られた瞬間、お客さんの中でも気づかれた方はいらっしゃったのでしょうか。

特にそういった声はいただいていませんが、私がダメだったステージも母はずっと聴いていたので、この公演が終わったあとに母が楽屋に飛んできてくれました。もう、何も言わないんですね。やっぱり目でわかるというか、何回も頷いてくれて。何も言わず、ただ母は頷いてくれましたね。私もちょっと照れて、笑いながら頷いて……みたいな。そんなことがありました。

Saint-Saëns: 《序奏とロンド・カプリチオーソ》 イ短調 作品28

『ポエジー』に込めた想い

――そのような苦悩の日々を乗り越え、60歳を記念するアルバム『ポエジー』をリリースされました。暗い話題の溢れる昨今ではありますが、『ポエジー』を通して伝えたいメッセージを教えてください

イメージをする力って、人間にしか備わっていないものだと思うんです。もっとイメージをすることができれば、命を奪ってしまった人の家族がどれだけ悲しむだろうとか、あるいはいじめたら相手がどんなに痛いと思うだろう……とか。感じられると思うんですね。

この殺伐とした世界には、どうしてもイメージが足りない。そんな中で『ポエジー』に託した私の想いというのは、やっぱりこのアルバムを通して心を柔らかくして、イメージをもっと膨らませてほしいなって。

それに、辛い世の中だけどイメージするのは自由だから。どんなにそのとき自分が不幸であっても、イメージの中では幸せなんだ!というようなこともできると思うんです。だからこそ、この『ポエジー』を通して、世界中の皆さんがさまざまなイメージを膨らませるきっかけにもなったら嬉しいなと感じます。

――今後取り組んでいきたい内容についても伺いたいです。

移ろいゆく社会情勢の中で私も今生きている自覚がありますので、そんな中でも皆さんが心をいかに自由にできるか……というような曲を選んで、発信していきたいです。それは楽しいだけの曲じゃないかもしれない。ときには慰めが必要かもしれないし、勇気が湧いて来るような曲も必要かもしれない。あるいは、力強い曲じゃなくて、非常にデリケートな曲も必要になってくるかもしれない。世の中を見ながら、これからも少しでも皆さんの心が柔らかくなるような作品を作り続けていきたいです。

Interviewed & Written By 門岡明弥


■リリース情報

『ポエジー/千住真理子』
2022年9月21日発売
CD /iTunes /Amazon Music / Apple Music / Spotify



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