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Classical Features

ユリウス・アザル、DGデビュー作『スクリャービン&スカルラッティ:ピアノ作品集』インタビュー

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©Michael Reinicke

巨匠ピアニスト、メナヘム・プレスラーから「唯一無二の美しい音色、比類ない音の響かせ方」と称賛を受けるドイツの若手ピアニスト、ユリウス・アザル。

1997年、ドイツ・フランクフルト近郊の音楽一家の長男として生まれ、幼い頃からピアノと即興演奏を独学で学び、現在クロンベルク・アカデミーの「サー・アンドラーシュ・シフの若手ピアニスト向け演奏プログラム」受講中。そんなアザルは2023年にドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、2024年5月3日(金)に革新的なデビュー作『スクリャービン&スカルラッティ:ピアノ作品集』をリリースしたばかり。20世紀現代音楽の先駆者スクリャービンと、18世紀のナポリオペラの大家スカルラッティの作品を組み合わせる独特なプログラム作りの才能を持つ、驚異のピアニストだ。

ユリウス・アザルはデビュー作にどんな思いを込めたのだろうか。サウンド&ヴィジュアル・ライター、前島秀国さんによるインタビュー。


 ――昨年2023年夏、クロンベルク・アカデミー日本ツアーのメンバーとして初来日されましたね。そこで最初に、サントリーホール ブルーローズでの公演と日本の思い出をお伺いします。

サントリーホールでは、聴衆のみなさんとスタッフに温かく迎えていただき、感銘を受けました。モーツァルトとドヴォルザークの作品を日本の聴衆と共有することができ、とても素晴らしい体験でした。それから、東京の街に衝撃を受けました。観光する時間はほとんどなかったのですが、食事はおいしかったです。僕は和食が大好きなので、まるでパラダイスのようでした。 

――和食以外にも、なにか刺激を受けましたか?

建築に興味があるので、散策しながら建築を見ているだけで楽しかったです。巨大な建築物が、空間の雰囲気をさまざまに変えています。少なくとも、東京はニューヨークや他の大都市と全く違いますね。異次元の世界のような印象を受けました。

©Michael Reinicke

――クロンベルク・アカデミーでは、現在もアンドラーシュ・シフに師事しているのですね。

はい、今年の夏までシフのもとで勉強します。疑いもなく、彼は現代における最も偉大なピアニストのひとりですね。彼はすぐれた音楽家であるだけでなく、社会、政治、文学にも精通しています。単にピアノを弾いているだけではないんです。それが、彼を特別な存在にしている理由だと思います。彼の演奏には、音楽以外の知識や洞察が深く反映されているんです。

――ドイツ・グラモフォン(DG)と専属契約を結んだいきさつを教えてください。

正直、DGとの専属契約は自分でもまだ信じられないんです。人生が新たなチャプターに突入するような、とても大きな出来事ですからね。

2023年の9月23日だったと思いますが、DGのプロデューサーが僕のエージェントに連絡をとってきたんです。「ユリウスに興味があるから、ぜひ会ってみたい」と。そして、ベルリンの演奏会を聴きに来ました。その時はバルトーク、ブラームス、ベートーヴェンを演奏しましたが、終演後にワインを飲みながら音楽について語り合い、お互いに「これなら一緒にうまくやっていけそうだ。同じヴィジョンを共有している」と気づいたんです。

ユリウス・アザル―イエローラウンジ2023

Julius Asal – Debussy + Improvisations (Live from Yellow Lounge, 2023)

――そのDGデビューとなった今回のアルバムでは、スクリャービンとスカルラッティの音楽を組み合わせていますね。僕が初めてこのアルバムを聴いた時、ウラディミール・ホロヴィッツのことを連想しました。言うまでもなく、ホロヴィッツはスクリャービンとスカルラッティの名手でしたからね。

それは実に興味深い感想ですね。僕はホロヴィッツが大好きなんです。

ホロヴィッツの演奏アプローチは、他のピアニストとは全く違います。おっしゃる通り、彼のスクリャービンとスカルラッティの演奏は有名でした。僕のアルバムに関して言えば、どうしてこのふたりの作曲家を組み合わせたのか、自分でもよくわからないんです。つまり、ある特定の作曲家を組み合わせる時、何らかのアイディアに基づいているわけですが、後から振り返ってみても、なぜそんなアイディアが思い浮かんだのか、よくわからなくなることがあるんです。何かの衝動に駆られたというか……。でも、こういう組み合わせなら、リスナーに何かを伝えることができると直感したんです。

僕の演奏から感じるものは、リスナーひとりひとりによって異なるかもしれませんね。みんな、それぞれの聴き方を持っていますから。

――もともとロシア音楽がお好きなんですね?

ええ。ロシア音楽にはなんというか、闇というか深淵のような暗さがあると思います。中を覗き込もうとしても、地面すら見えないような気がしますね。それは、ロシア音楽がある種の異世界に属していて、私たちの音楽言語と異なる語法で書かれているからだと思います。

――スクリャービンというと、後期の神秘主義的な作品のイメージが強いですが、今回のアルバムではあえてスクリャービンが20代までに書いた初期作品に絞って演奏していますね。つまり、あなた自身と同じ年代に書かれた曲に、親近感を覚えているということですか?

そう言い切ってしまってよいのかわかりませんが、後期のスクリャービンも大好きなんですよ。心に親しく訴えかけてくれる、特別な存在です。

僕はスクリャービンの後期のソナタ、それからピアノと合唱つきの交響曲第5番《プロメテウス 火の詩》のような作品を聴いて育ちましたが、本当に見事な音色で書かれた音楽です。でも、今回のDGアルバムを録音した時、実はそうしたスクリャービンの要素が、初期の作品にも含まれていると思いました。後期特有の暗い音色は、すでに初期の作品にも表れていて、まるでスクリャービンの未来を予言しているかのようです。

スクリャービンと共に収録したスカルラッティの作品についても、同じことが言えます。それぞれが生きた時代も、国も、言葉も、音楽様式も違うのに、いっしょに並べるとまるでタイムスリップのように繋がっていくんです。スクリャービンに話を戻すと、彼は何年もかけて後期の様式に到達しましたが、同時にその様式の片鱗が、すでに初期作品に表れているのも事実ですね。

ユリウス・アザル―スクリャービン:前奏曲 作品16から第1番 ロ長調

Julius Asal – Scriabin: 5 Preludes, Op. 16: No. 1 in B Major (Upright Version)

 ――もうひとつ、僕がこのアルバムでとても感心したのは、収録曲のすべてが調性の関連によて配列されている点です。つまり、スクリャービンのヘ短調の「クアジ・ニエンテ」(注:《ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品6》の第4楽章の終わりに出てくる)で始まって、同じヘ短調で書かれたスカルラッティの作品が続き、そのあと、ヘ短調の属調であるハ短調の作品に移る。そんな感じで、すべての曲が調性によって関連付けられていますね。とても素晴らしい、刺激的なアイディアだと思いました。

そう言っていただき、ありがとうございます。

調性の関係によって作品同士を結びつけていく構成は、ある意味では非常に当たり前のことかもしれませんが、実際に自分がやってみると、音楽的に意味のある“旅”にしていくのは非常に難しいですね。ヘ短調のまま音楽を留めておくことはできないし、次に曲を繋げるとしたら、どのように繋ぐべきなのか? つまり、アルバム2曲目のスカルラッティの《ピアノ・ソナタ ヘ短調 K.466》のあと、どうしたらハ短調に移れるだろう? そう考えた時、スクリャービンの《前奏曲 第20番 ハ短調》をスカルラッティのヘ短調作品のあとに置くと、見事に機能しました。

そんな感じで、パズルのピースを埋めていくように少しずつ構成を決めていきましたが、全体として美しい配列になったと思うので、とても満足しています。とても時間のかかる作業でしたが、それ自体はとても楽しかったですね。

ユリウス・アザル―スクリャービン:プロローグ(ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品6 第4楽章:葬送行進曲よりQuasi Niente)

Julius Asal – Scriabin: Piano Sonata No. 1 in F Minor, Op. 6: IV. Funebre [Prologue]

――いまの質問と関連しますが、アルバム全体の最初、真ん中、最後に登場するスクリャービンの「クアジ・ニエンテ」が、このアルバム全体のメインテーマというかライトモティーフというか、そんな役割を果たしていますね。

そうです。人間が現実の中に左、右、真ん中のようなシンメトリーを見出すように、私たちのイマジネーションと実際の現実のあいだにも、シンメトリーのようなものが存在すると思います。

あることが起きると、我々はそれをデジャヴ(既知夢)のように感じることがありますよね。それと同じで、アルバム冒頭で耳にする「クアジ・ニエンテ」は、実際にはスクリャービンの《ピアノ・ソナタ 第1番》に由来するのですが、ソナタ全曲をアルバムの真ん中で聴く時、すでに私たちは「クアジ・ニエンテ」を最初に耳にしているので、ソナタの中に出てくる「クアジ・ニエンテ」が違った形で聴こえてくる。つまり、同じことは二度と起きない、覆水盆に返らず、ということです。このように、ひとつの音楽を繰り返しながら文脈を変えていくことで、新たな光を当てたかったんです。

――しかも、その「クアジ・ニエンテ」は葬送行進曲として書かれた第4楽章の中に出てくるので、いわば人間の“ダークサイド”のテーマとも言えますね。

「クアジ・ニエンテ」は、《ピアノ・ソナタ 第1番》全体の平和な雰囲気を一変させるような役割を担っていると思います。ご存知のように、スクリャービンがこの曲を書いた頃、彼は学生時代に過度の練習がたたって右手を痛めてしまい、ピアニストとしての将来が危ぶまれる辛い時期を送っていました。このソナタのあと、スクリャービンは葬送行進曲を二度と書きませんでしたが、彼が初めて書いたピアノ・ソナタを葬送行進曲で終わらせるというのは、実に奇抜な決断だったと思います。しかし、その葬送行進曲の中に出てくる「クワジ・ニエンテ」は、まるで海に浮かぶ孤島のように、それまでの音楽とは異なる光を放っているように感じます。

――あるインタビューの中で、あなたはクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』がこのアルバムのインスピレーションのひとつになったとおっしゃっていますね。そう考えてみると、このアルバムの中で「クアジ・ニエンテ」が流れてくるのは、『インセプション』の中でエディット・ピアフのシャンソン《水に流して》が流れてくるとみんな夢から醒めるのと、似ていますね。

面白い指摘ですね。今回のアルバムを最初に構想した段階では、『インセプション』のことは全然考えていませんでしたが、あとになって、今回のアルバムに似ているところがあると気づいたんです。もちろん『インセプション』は大好きで、本当に素晴らしい映画だと思います。というのは、人生全般について人間がかかえている多くの側面を、多層的に関連付けて表現している映画だからです。今回のアルバムで僕が表現したスクリャービンとスカルラッティの旅にも、同じことが言えます。黒か白かで表現したアルバムではありません。もっとアンビバレントで、3次元的に表現したアルバムです。少なくとも、僕自身のアルバムの意図はそういうことですが、もちろん、リスナーひとりひとりによって感じ方が異なると思います。

©Michael Reinicke

――それから今回のアルバムでは、あなたが作曲した2曲のトランジション(移行曲)も収録されていますが、これはあらかじめ記譜した曲ですか? それとも即興ですか?

最初は即興で演奏しましたが、もういちど演奏した後、楽譜に書き留めました。ふだんは即興でやらないのですが、今回はスカルラッティのソナタの中の素材を意図的に用いて即興しました。あたかもスカルラッティの曲がスクリャービンの曲を導くように、次に何が起こるか予告したかったんです。

ユリウス・アザル―アザル:TRANSITION II

Julius Asal – TRANSITION II

――今回の録音で使用した楽器について教えてください。

録音場所のベルリン・テルデックス・スタジオに行き、1台のスタインウェイに絞り込もうと思いましたが、選択肢に迷ったので、最終的に2台用いることにしました。芸術の分野においては、妥協は禁物ですからね。1台はとても暗い響きを持ち、スクリャービンの後期作品のような神秘的な感じがしました。もう1台は、ステアリングのキレがいいスポーツカーのように、非常にフレキシブルなピアノ。スカルラッティのソナタの速いパッセージや、スクリャービンのソナタの第1楽章と第3楽章にぴったりです。その2台で曲を弾き分けて録音しましたが、サウンドエンジニアは違う音色のピアノをひとつにまとめなければならなかったので、非常に負担の掛かる録音だったと思います。アルバムというものは、75分間にわたって深呼吸するようなものですが、それを2種類の異なるサイン波で実現しなければいけませんからね。

 ――ちなみに1日にどのくらい練習されますか?

その日によりますね。いつも頭の中で練習していますし、音楽もよく聴きますし、音楽に関係するすべてのことを考えています。ですから、今日みたいにピアノの練習をしない日もあれば、何時間も練習する日もあります。

ユリウス・アザル―スカルラッティ:ピアノ・ソナタ ヘ短調 K.466

Julius Asal – Scarlatti: Sonata in F Minor, K. 466 (Upright Version)

――音楽のほかに、何かインスピレーションを得るものがありますか?

文学と建築ですね。フランツ・カフカとゲオルク・ビューヒナーの愛読者だったんですが、このところ時間がなくて、もっと読書に時間を割きたいのですが、残念です。建築に関しては先ほども述べましたが、東京で何よりも感動したのは、度肝を抜かれるような建築物です。街のシステムとか、通りの並びとか、まるでクリストファー・ノーランの映画を観ているみたいで、ちょっとシュールにも感じました。

――クラシック以外の音楽も聴きますか?

若い頃はマイケル・ジャクソンばかり聴いていました。最近またマイケル・ジャクソンを聴くようになりましたが、デビュー・アルバムからラスト・アルバムまで全部聴いてみると、実にさまざまなスタイルが聴こえてくるのと同時に、その中で何かが起こっているような印象を受けます。

――今後の録音予定は決まっていますか?

次のアルバムについては、いくつかの選択肢はあるのですが、具体的な内容は決まっていません。アルバムは自分自身を表現しますから、今回のアルバムに続く道がつながるといいですね。

――また日本に来たいですか?

もちろん!すぐにでも行きたいくらいです。

――では最後に、日本のリスナーにメッセージを。

日本、そして世界中のみなさんにこのアルバムを聴いてもらえたら、とてもうれしいです。ぜひ、アルバムの最初から最後まで通して聴いてください。すべての曲が意味をなし、しかも全体として大きなサスペンスを生み出すように演奏しています。僕が録音スタジオで味わった体験を、リスナーのみなさんとも共有できると思うと、本当に嬉しく、また貴重に感じます。そして、できるだけ早い時期に再び日本を訪れ、日本のみなさんと演奏会場で繋がれたらよいなと、心より願っています。

Written & Interviewed by 前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)


■リリース情報
ユリウス・アザル『スクリャービン&スカルラッティ:ピアノ作品集』

2024年5月3日(金)発売
CDiTunes / Apple Music / SpotifyAmazon Music


 

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