プッチーニの聴くべき作品ベスト10:イタリアオペラ界の大御所による珠玉の名曲選

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偉大な作曲家、プッチーニが残した最高傑作、ラ・ボエーム、トスカ、蝶々夫人、そしてトゥーランドットを始めとする10作品

ジャコモ・プッチーニ(1858年12月22日~1924年11月29日)は、ジュゼッペ・ヴェルディに続くイタリア・オペラの偉大な作曲家である。彼はオペラを20世紀芸術へと誘い、その作品には最も有名なオペラ《ラ・ボエーム》《トスカ》《蝶々夫人》《トゥーランドット》がある。

プッチーニは、イタリアのルッカに何代も続く宗教音楽家の一族に生まれ、父親の死後は叔父から音楽を学んだ。1876年、ヴェルディの《アイーダ》を見るためにピサまで歩いて行き、この時のオペラとの出会いがプッチーニの人生を決定づけることとなった。この時以来、彼はオペラ作曲家になりたいと強く考えるようになったのである。


 

Gianni Schicchi
ジャンニ・スキッキ

《ジャンニ・スキッキ》は13世紀のフィレンツェが舞台。物語はダンテの『神曲‐地獄篇』の一説に由来しており、プッチーニにとって唯一の喜劇である。物語は、ジャンニ・スキッキが遺族から彼らが遺産を相続できるように遺言書を作り直してほしい、と依頼を受けるが、ずる賢い彼は自分と娘で財産のほとんどを相続してしまう、というもの。

このオペラには有名なアリア〈O Mio Babbino Caro(ああ、私のお父さん)〉がある。

La Bohème
ラ・ボエーム

《ラ・ボエーム》は、1830年代のパリに住む、その日暮らしの若い芸術家の物語である。これはミラノでの作曲家自身の学生生活の体験と重なる部分もあるようだ。プッチーニの音楽が伝える感情には偽りがなく、細かな動きと刻一刻と変わる登場人物の気持ちが見事にドラマ化されている。オペラ《ラ・ボエーム》は1896年の初演で聴衆の心をとらえ、それは今日にいたっても変わることがない。

このオペラの初演を指揮したのはトスカニーニであり、紛れもなくプッチーニの最高傑作と言えよう。崇高なメロディにあふれ、贅沢で華やかなオーケストレーション、どこの街で上演されてもチケットは大人気だ。

La Fanciulla Del West (‘The Girl Of The Golden West’)
西部の娘

《西部の娘》はニューヨークのメトロポリタン・オペラから委嘱され、同劇場で初演を迎えた。その後、長い間上演の機会に恵まれなかったが、今では正しい評価を得て、人気オペラの1つとなっている。また、カリフォルニアを舞台としたところが生かされた叙事詩的な性格を持った作品であり、スケール感もあるオペラとなっている。

なお、メトロポリタン歌劇場における《西部の娘》の初演チケットはプラチナ・チケットとなり、闇市場では1910年当時ではかなり高額の150ドルで取引された。

La Rondine (‘The Swallow’)
ロンディーヌ(つばめ)

おおらかな雰囲気の漂う喜歌劇《ロンディーヌ(つばめ)》は、プッチーニの絶妙、かつ巧みな感情表現が光る作品。中でも一度聞いたら忘れられない〈Chi Il Bel Sogno Di Doretta(ドレッタの美しい夢)〉には、作曲家の卓越した細部への気配りがいきわたっている。プッチーニの高揚感ある音楽からは、最後の心張り裂けるような結末は到底想像できるものではない。

Madama Butterfly
蝶々夫人

信じがたいことだが、プッチーニの最高傑作の1つ《蝶々夫人》は、スカラ座での初演の折に野次とブーイングの口笛、そして劇場にそぐわない騒音を浴びることとなった。全てはプッチーニの成功を妬んだライバルたちの仕業であった。プッチーニは黙ってオペラを引っ込め、数ヵ月後に改訂版を上演し、今度は大きな成功を収めた。

日本を訪れたアメリカの海軍士官に裏切られる日本の芸者を描いた悲劇は、プッチーニによる心打つ音楽を通して語られ、どこか異国情緒のあるメロディは長崎の情景をデリケートに描き出している。

Manon Lescaut
マノン・レスコー

崇高なオペラ《マノン・レスコー》はプッチーニの世界的な名声を確立し、確固たるものとした。

このオペラを見たジョージ・バーナード・ショウ(*アイルランドのノーベル文学賞受賞者、劇作家、音楽評論家、政治家、1856~1950)が「今やプッチーニは、他のライバルの追随を許さない、ヴェルディの後継者だ、と言ってもよいだろう」と明言したのだ。主人公のマノンは愛よりも贅を選び、大きな代償を払うこととなる物語である。

‘Nessun Dorma’ from Turandot
トゥーランドットより〈ネッスン・ドルマ(誰も寝てはならぬ)〉

〈ネッスン・ドルマ(誰も寝てはならぬ)〉は、プッチーニ作曲の東洋を舞台としたオペラ《トゥーランドット》の中で最も有名なアリアであるだけでなく、あらゆるオペラ・アリアの中で最も有名なアリアと言ってもよいだろう。特にパヴァロッティが数多くのイベントやアリーナで歌い、さらにはBBCが1990年FIFAワールドカップのテーマ曲として採用したことも大きく貢献している。

1972年にズービン・メータ指揮で録音されたパヴァロッティの熱唱は今でも他の全ての解釈を評価するときの基準となるほどの名録音、名解釈である。

O Mio Babbino Caro’ from Gianni Schicchi
ジャンニ・スキッキより〈ああ、私のお父さん〉

プッチーニの手による愛を告白する素晴らしいアリアの数々と同様の愛の響きを持ったアリア〈‘O Mio Babbino Caro’(ああ、私のお父さん)〉。これは、実は愛の告白でなく、遺言書に出てくる相続人のために娘が父親に優しく懇願する美しいアリアだ。

Tosca
トスカ

《トスカ》は、政治不安に包まれた1800年代のローマを舞台に陰謀と過酷な運命が繰り広げられる厳しい物語である。最初から確実に高まっていく緊張感の中で、暴力、モダニズム的インパクトを持ったハーモニーとオーケストレーションが、聴衆をとらえて離さない劇的なオペラである。

なお、1900年にローマで行われた《トスカ》の初演はセンセーショナルなイベントであった。それは作品の素晴らしさはもちろんのこと、開演直前に一階正面の一等席に爆弾を仕掛けられる騒ぎが勃発したからでもあった。

Turandot
トゥーランドット

《トゥーランドット》を作曲しているときのプッチーニは、自分の気力がとても充実しているのを実感していた。実際のところ、このオペラは壮大な構成を持ち、大規模なオーケストラを土台に、合唱が大きな役割を担っている。《トゥーランドット》は、東洋を舞台としたメロドラマを描いたオペラで、紛れもなくプッチーニの最高傑作の1つと言っていいだろう。

物語は、氷の心を持つ北京の姫が出した3つの謎を解いたカラフが姫を手に入れ、自らの処刑を免れる、というもの。プッチーニは実際に存在する中国のメロディをオペラで用いており、これは彼が日本を舞台にした《蝶々夫人》を作曲したときと同じ手法であった。

Written By uDiscover Team



 

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