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200人以上の死者がでた火災の中で観客を落ち着かせるために歌ったウォルター・バーンズとハウリン・ウルフの「The Natchez Burnin」

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1940年にミシシッピ州ナチェズで起きた火災は、200人以上の死者を出す惨事となった。その直後から、この事件はレコードの題材として何度も採り上げられるようになった。ハウリン・ウルフがこの悲劇について歌った曲を録音したのは1956年7月19日のこと。それはのちにシングル「The Natchez Burnin」としてチェス・レーベルから発売された。

火災が起きた場所はリズム・クラブというナイトクラブだった。店内の天井から垂れ下がっていた植物(サルオガセモドキ)に火が付いたのである。窓は釘で打ち付けられ、出口はひとつだけ。その結果かなりの人数が将棋倒しとなり、圧死または焼死する人が多数にのぼった。この火事は全国ニュースとなり、死者の中にはバンド・リーダーのウォルター・バーンズと彼の率いるダンス楽団のメンバー9人も含まれていた。

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火事が発生したとき、バーンズ(1920年代にロイヤル・クレオーリアンズを率いてレコードを出していた)は楽団のメンバーと共に「Marie」という曲を演奏し続けることで店内の客を落ち着かせようとした。それゆえ彼は英雄として讃えられることになった。バーンズがコラムを執筆していたシカゴ・デイリー・ディフェンダー紙は、彼の葬儀に1万5,000人が参列したと報じている。

Natchez Burnin

そして火事の発生から2週間のうちに、ルイス・ブロンズヴィル・ファイヴが「Mississippi Fire Blues」と「Natchez Mississippi Blues」を録音。続いてピアニストのレナード・”ベイビー・ドゥー”・キャストンが「The Death of Walter Barnes」を、さらには(ジーン・ギルモアという歌手名義で)「The Natchez Fire」をレコード化している。

1956年7月19日のレコーディング・セッションで、ウルフはハーモニカとヴォーカルを担当。バックにはウィリー・ディクスン(ギター)やアール・フィリップス(ドラムス)などが参加していた。ウルフは何人かの犠牲者の名前を読み上げることで、この追悼の歌をより痛切なものにしている。「あそこにはシャーロット・ジョーンズもいた。ルイーザもいた。ローザ・メイもいた。ルイーズもいた。あそこから離れて振り返ると、建物全体が崩れ落ちた」。

Barnes

この音源がチェスからシングルで出たのは3年以上あとの1959年11月だった。カップリング曲には、もっと以前の1954年に録音された「You Gonna Wreck My Life」が選ばれた。この「Natchez」という曲はその後たくさんのアーティストにカヴァーされている。たとえばジョン・リー・フッカーやキャプテン・ビーフハートも採り上げているし、ルイジアナ出身のギタリスト、ロバート・ギルモアやナチェズ出身のブルースマンふたり、エルモ・ウィリアムズやヘゼカイア・アーリーもカヴァーしている。

Written By Paul Sexton

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