20世紀のソウルを代表する声:ボビー・”ブルー”・ブランドの生涯

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1930年1月27日、20世紀のソウルを代表する声の持ち主が誕生した。ロバート・”カルヴィン”・ブランド、後にリズム・アンド・ブルース界の歴史の重要人物となるボビー・”ブルー”・ブランドが、メンフィスから北へ25マイル、テネシー州シェルビー・カウンティの小さな集落で産まれたのだ。

「私は綿を摘む仕事をしていた」、これは生前最後のインタビューと思われる、2010年にクラシック・ロック・ブルース・マガジンが行った取材で彼が語った言葉である。「でも一度だって楽しいと思ったことはなかった。まだ8歳か9歳だったが、とにかく一日中炎天下の中で、とにかく暑かった。絶対にこれよりマシなことが他にもあるはずだと、ずっと思っていた」。

ボビー・ブランドの知名度は決して高いとは言えないかもしれないが、半世紀に渡りレコーディングを続けてきた彼の独特の声を知っている者は、ボビー・ブランドがいかに偉大な先駆者だったかを認識しているはずだ。彼の熱心な信者には、英国ブルーアイド・ソウルのスター、ポール・キャラックとミック・ハックネル、そして後にボビー・ブランドと出会ったアメリカのブルース・ロック界の巨匠、ボズ・スキャッグスもそのひとりであった。

「何年かかけて彼と知り合うことが出来たんだ。とは言え、彼のことをよく知ってるとは言えないけど」と、同じ雑誌にボズ・スキャッグスはこう語っている。「僕たちが『Memphis』を作っている時に何度かスタジオに遊びに来たんだ。彼はコントロール・ブースに座り、プレイバックを数曲聞くと、父親のように‘君が行きたいのはこっちの方だな’とトラックに合わせて歌い出す。それから、やっと彼と話ができたんだ」。

「彼の人生の大部分を占めた音楽は健在だったし、躍動的で、彼自身の初期の影響に関する話も鮮明ではっきりしていた。もちろん脆い部分もあり、とても辛かったようだったけど、少し落ち着けば自分の作品や人生について語ることを楽しんでいたよ」。

ボビー・ブランドの数々の名作シングルで度々聴かれる、ユニークでソウルフルな泣きを、人々は通称‘Squall(悲鳴)’と呼んだ。そのシングルの中には1950年代の「Farther(もしくはFurther On)Up The Road」や「I’ll Take Care Of You」など、ボビー・ブランドが長く所属したデューク・レコーズからリリースした1960年代の名曲である「I Pity The Fool」「Lead Me On」「Two Steps From The Blues」や「That’s The Way Love Is」「Ain’t Nothing You Can Do」そして「Share Your Love With Me」などが含まれる。

1970年代には、ABCからリリースされ、後にホワイトスネイクによってカヴァーもされた「Ain’t No Love In The Heart Of The City」、「This Time I’m Gone For Good」での旧友B.B.キングとの共演などで大変注目された。すると、サザン・ソウル系のインディ・レーベルであるマラコ・レコーズへ移籍し、「Members Only」といったソフト・ソウル曲で実りある新たな冒険を始めたボビー・ブランドは、2000年代初頭までレコーディングを続け、2013年に83歳で亡くなる直前までパフォーマンスを続けた。

素晴らしきサザン・ソウルのシンガー・ソングライターであるダン・ペンはボビー・ブランドに関し「彼は特別な表現方法と理解がありました。自分にとってこの曲がどう意味を成しているのかを人々に理解させることが出来たのです。ただ歌っただけじゃなかったんです。彼にとっては血であり肉だったのです」

Written by Paul Sexton


ボビー・ブランド『The Definitive Collection: Bobby “Blue” Bland』

   

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