アトランタ・リズム・セクション初のチャートデビュー作『Third Annual Pipe Dream』

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メロディックなサザン・ロックのスペシャリスト、アトランタ・リズム・セクション(以下、ARS)は必ずしもスーパー・グループと言われることはなかったが、1970年代初頭に彼らが集まった時、そのラインナップはやはり経験の豊富さを誇っていた。メンバーのうちの2名、ジェイムス・コブとディーン・ドートリー、さらにバンドのマネージャー兼プロデューサーのバディ・ビューイは1968年「Spooky」のヒットメーカーであるクラシックス・フォーのメンバーであり、さらにディーン・ドートリーとロバート・ニックスはロイ・オービソンのバンド、キャンディメンのメンバーでもあった。

ARSはビルボードのアルバムチャートTop200に入ることができなかったセルフ・タイトル・アルバムで1972年にデビューした。彼らのセカンドアルバム『Back Up Against The Wall(邦題: 非情の壁)』はレーベルがデッカ・レコードからポリドールに変わって発売。そして彼らのチャート上での正式なデビューは1974年9月14日、いつものようにバディ・ビューイがプロデュースしたアルバム『Third Annual Pipe Dream』が166位にチャートインしたときだった。

アルバムはその後チャートに12週間残り、最高74位まで上昇。そしてオープニング曲の「Doraville」がシングルチャート入りを果たし、35位まで上昇するというもう一つの急進展があった。その曲のタイトルはほとんどのバンドメンバーが当時住んでいたアトランタの外れの街から名付けられたものだ。

アルバムからのその次の心地よいシングル曲で、1975年初頭に79位に登場したビューイ、ニックス、ギタリストのバディ・ベイリーの共作だった「Angel (What In The World’s Come Over Us)」は、バンドの南部っぽく、うまくコマーシャル化したギター・ロックのサウンドを象徴していた。

『Third Annual Pipe Dream』はARSの地元にも近い場所、アトランタのニュー・エレクトリック・ボールルームで7月、一週間に渡って開催されたライブや南部でのライブを含めた頃に発売された。アトランタでの一夜をレビューしたビルボード誌は、このアルバムを「ソフトタッチで優れた軽快なブギー作品がアトランタで勢いよく売れ、ボールルームのイベント開催週の午前中は、その曲がラジオからひっきりなしに流れていた」と評している。

バンドの友人、ジョー・サウスはその南部で行われたARSのライブに足を運び、当時また新しかったスティーリー・ダンの「Rikki Don’t Lose That Number(邦題: リキの電話番号)」やプロコル・ハルムの「A Salty Dog」、さらにはウィングスの「Live and Let Die(邦題: 007死ぬのはやつらだ)」といった曲の驚きのカバーはもちろん、ARSのアルバムからの曲もセットリストに含まれていたライブを鑑賞している。

Written By Paul Sexton



アトランタ・リズム・セクション『The Best of Atlanta Rhythm Section』   

 

 

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