ザ・ビートルズのオーラを彷彿とさせるリンゴ・スターのソロ・アルバム『Ringo』

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ザ・ビートルズのドラマー、リンゴ・スターは3作目のソロ・アルバムでやっとそのソロ・キャリアが軌道に乗り始め、1970年に発売された奇抜な1作目と2作目の『Sentimental Journey』と『Beaucoup Of Blues(邦題:カントリー・アルバム)』とはまた違う作品を作れることを証明した。3年後の1973年11月2日に発売された『Ringo』は期待よりも遥かに上出来な作品であり、制作にあたり十分な予算が用意されたお陰で、一流の素晴らしいバック・ミュージシャンたちが参加した。

ローリング・ストーン誌はアルバムについて、「リンゴ・スターのこの作品は、ザ・ビートルズのオーラを彷彿とさせる初めての作品」と評している。それはジョン・レノンジョージ・ハリスン、そしてポール・マッカートニーがそれぞれ作曲者、ヴォーカリスト、楽器奏者として参加していることが影響している。レコーディング・セッションは1973年3月に始まり、同年の夏にアルバムは完成した。

ザ・ビートルズのメンバーが出したソロ・アルバムで4人全員がフィーチャリングされているのはスターの作品だけである。しかし、同じ曲で4人が参加したものは存在しない。ジョージ・ハリスンはジョン・レノンが作曲した「I’m The Greatest」でギターを弾き、ジョン・レノンがピアノを弾きながらハーモニーを歌っている。ジョン・レノンはリンゴ・スターのためにこの曲を書き直し、アルバムのオープニング・トラックとして収録された。ジョージ・ハリスンはその他にも「Sunshine Life For Me」、「Photograph(邦題:想い出のフォトグラフ)」、そして「You And Me (Babe)」で参加しており、「Photograph」と「You And Me (Babe)」では共作も行っている。

1973年6月にリンゴ・スターはロンドンへ飛び、そこでポール・マッカートニーと当時の妻リンダと共に、アルバム用に書かれたポール・マッカートニーの「Six O’clock」のレコーディングに参加した。しっかりとした構造と詩的な優美さで、アルバムの中で引き立つトラックとなっている。ポール・マッカートニーは、ジョニー・バーネットの1960年のナンバー・ワン・ヒット「You’re Sixteen」(シャーマン・ブラザーズ作曲)のカヴァーに参加し、それはアルバムの最もヒットしたシングルとなった。ザ・ローリング・ストーンズの作品に定期的にセッション・ミュージシャンとして参加しているニッキー・ホプキンズが生き生きとしたバック・ピアノを提供し、ポール・マッカートニーはカズーの真似を披露している。リンゴ・スターはポール・マッカートニーに「仲間外れはイヤでしょ?」と言って作品制作に参加するよう説得したそうだ。

 

しかしリンゴ・スターの成功は、ゲスト・ミュージシャンたちのお陰だけではない。彼自身もアルバムのトップ10シングルの内2曲を共作しており、「Photograph」は1位になり、「Oh My My」ではモータウンのスターであるマーサ・リーヴスがバック・ヴォーカルとして参加している。リンゴ・スターとヴィニ・ポンシア共作の「Devil Woman」もヒット・シングルと同等に素晴らしい曲に仕上がっている。リンゴ・スターの声域が特に広い訳ではないが、曲を通してずっと気持ちを込めて歌うその歌声は哀愁を漂わせている。

『Ringo』のハイライトは、優れた作曲家ランディ・ニューマンの「Have You Seen My Baby」のカヴァーだ。リンゴ・スターのヴァージョンには活気があり、T.レックスのフロントマン、マーク・ボランの感動的なブギー・ギターとニューオーリンズの伝説的存在ジェームズ・ブッカーの素晴らしいホンキートンク・ピアノがそれを助長している。アルバム自体はロサンゼルスのサンセット・サウンド・スタジオにてレコーディングされたが、マーク・ボランのギターはA&Mスタジオにてオーバーダブで追加された。

リンゴ・スターの最高で最も一貫性のあるスタジオ・アルバム『Ringo』は、ドラマー/シンガーであるリンゴ・スターの劇的カムバックと、彼の商業的成功のピークを象徴している。1位の座は、エルトン・ジョンの『Goodbye Yellow Brick Road(邦題:黄昏のレンガ路)』により1973年11月に奪われた。10トラック収録した1973年のアルバムは、13トラック収録したCDとして1991年に再発盤が発売され、ボーナス・トラックにはリンゴ・スターの興味深いザ・ビートルズの解散について歌った「Early 1970(邦題:1970年代ビートルズ物語)」が選ばれた。

『Ringo』は、ジョン・レノンの友人ハリー・ニルソンと過去にコラボレーションを行ったリチャード・ペリーにプロデュースされた。リンゴ・スターはこう話している:「彼とはハリーのアルバム制作のセッションで知り合ったんだ。演奏するために参加したんだけど、そこでリチャードと僕は一緒に何かをやろうってお互いをそそのかした。そしてなぜかクラブへ行くことになり、帰る時にまた会うことを約束した」。リチャード・ペリーをプロデューサーに選んだのは正しい選択で、ハリー・ニルソンはお礼にと「You’re Sixteen」でバック・ヴォーカルを歌った。

その他にも一流ゲスト・ミュージシャンとしてジミー・カルバート(5曲でギター)、スティーヴ・クロッパー(ギター)、ビリー・プレストン(ピアノ)、ジム・ケルトナー(ドラム)、ミルト・ホーランド(パーカッション)、そしてザ・バンドのガース・ハドソン(アコーディオン)とロビー・ロバートソン、リヴォン・ヘルム(マンドリン)が参加した。

ジャケット・デザインを手掛けたティム・ブラックナーは、ビバリーヒルズで宝石職人の見習いとして働いており、フリーとしてアルバムのアートワークを行うためにリチャード・ペリーに売り込みをした。ブラックナーはロンドンへ飛びリンゴ・スターにコンセプト・アイディアを見せ、雇われることになった。2015年にティム・ブラックナーはBeatlesbible.comにこう語っている:「バルコニーには26人の人間が描かれていて、残りの人は僕が想像で生み出した人。リンゴ・スターの隣にいるのは智天使で、このアイディアはアメリカに戻ってから思い付いたんだ。リンゴ・スターと会う機会を与えられ、時間を一緒に過ごしたことで、彼にとってユーモアと仲の良い仲間たちがどれだけ大切なのかを知った。面白くて少しだけいたずら好きな智天使は彼のキャラクターに相応しいと思ったんだ。」

上の方に書かれているラテン語”Duit on mon dei”(月曜日にやれ)はハリー・ニルソンのアイディアだった。「ハリーはラテン語でジョークを入れることを望んだ。あれが追加されたのは、彼らが面白いと思ったからで、僕はそれを付け加えるように頼まれただけだった」とティム・ブラックナーは話す。

『Ringo』には素晴らしいキャストが出演している。それは楽しくて、予測できないもので、エンターテイメントである。そしてザ・ビートルズと離れたところでリンゴ・スターのミュージシャンとしての才能を証明している。

Written By Martin Chilton


『Ringo』

キャピトル・レコードの75周年を記念して選ばれた75枚の傑作アルバムの一つに『Ringo』が選ばれた。



 

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