ハード・ロック/ヘヴィ・メタル界で先陣を切った9組の女性たち

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Photo: GAB Archive/Redferns

ハード・ロック/ヘヴィ・メタル界をその手で切り拓いていった女性たちは両手で数えられるほどしかいない。例えば、ランナウェイズ、ヴィクセン、故ウェンディー・O・ウィリアムズといったアーティストたちは、後進が活躍するための舞台を整えると同時に、後進に求められる水準を高めた。そして、数多くの女性アーティストたちがそのあとに続いてきた。

ブッチャー・ベイビーズ、ヘイルストームのリジー・ヘイル、オーテップのオーテップ・シャマヤ、アーチ・エネミーのアンジェラ・ゴソウやアリッサ・ホワイト=グラズ、ウィズイン・テンプテーションのシャロン・デン・アデル等々。そして、その数は現在も増加し続けている。

かつてはフォーク・ミュージック ―― 座ったまま、大抵は慎ましやかにアコースティック・ギターを弾く音楽だ ―― が、若い女性の演奏する音楽として“無難な”選択肢だった。だが60年代後半になると、“女性解放運動” (いまとなっては”パンティー・ストッキング”と同じくらい古臭く聞こえる言葉だ) が巻き起こった。すると、ジェファーソン・エアプレインのグレイス・スリックのように、よりヘヴィで荒々しい音楽に深く傾倒する女性もわずかながら現れ始めた。しかし70年代に入りヘヴィ・ロック/メタルが誕生しても、ミュージシャンとしてその世界に足を踏み入れる女性はほとんどいなかった。

現在でもヘヴィ・メタル/ハード・ロック界のバンドにおける男女比率には相当な偏りがあるが、下記に挙げた先駆的な女性たちのおかげで、その門戸は大きく開かれている。現在のシーンは、女性としてのアイデンティティを持つ人がヘヴィ・ミュージックを志すことに対し、かつてないほど好意的な環境になっているのだ。

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1. ランナウェイズ / The Runaways

5人の少女たちから成り、70年代中盤のロサンゼルスから現れたランナウェイズ。そのキャリアは、まるで映画のような物語だ。実際、彼女たちの歩んだ軌跡は2010年に『ランナウェイズ』として映画化されている。

1977年のアルバム『Queens Of Noise』から“クイーンズ・オブ・ノイズ”とも呼ばれる彼女たちは、グループの代表曲となった「Cherry Bomb」などの楽曲で世間に衝撃を与えた。当初はプロデューサーであるキム・フォウリーの意のままに操られていた彼女たちだったが、のちに確かな演奏能力と独自の音楽性を確立。

シンガーのシェリー・カーリー、ギタリストのリタ・フォード、そして「I Love Rock & Roll」のヒットで知られるジョーン・ジェットなど中心メンバーは現在に至るまでアーティストとして活躍しているが、それもなんら不思議なことではない。

 

2. スージー・クアトロ / Suzi Quatro

デトロイト出身のスージー・クアトロは、姉妹たちとともに参加したポップ・グループ、プレジャー・シーカーズとして本格的なキャリアをスタート。60年代中期には、小さな体でベースを、ピックを使用せず指で弾きながら歌うクアトロは珍奇な存在だった。

だがソロ・デビューを果たした彼女は、パワフルかつキャッチーなロック・ナンバーでその姿やサウンドを世間に定着させていく。特に彼女は、「Can The Can」や「48 Crash」などグラム・ロック調の曲で世界的な名声を手にした。

ミュージシャンとしては本国アメリカより海外での人気が高かった彼女だが、70年代後半にはテレビ・ドラマ『ハッピーデイズ』にレザー・トスカデロ役で出演。それにより、アメリカでもお茶の間の人気者になった。また、ローリング・ストーン誌の表紙を飾ったこともある彼女は、『The Hurricane』や『Unzipped』などの著書も出版している。

 

3. バン・バン/ティナ・ベル / Bam Bam/Tina Bell

パール・ジャムやニルヴァーナが登場する以前のシアトルには、“グランジ・パンクの女王”と呼ばれたティナ・ベルが率いる、バン・バンというグループがいた。

バン・バンが1984年に制作した「Villains (Also Wear White)」のデモ音源では、パンキッシュな演奏に乗せて、ベルがブルージーでエネルギッシュなヴォーカルを披露している。また、猛スピードの演奏が展開される「It Stinks」を含むその他の楽曲は、様々なストリーミング・サービスでも配信されている。

2012年、シアトルのザ・ストレンジャー紙は「アフリカ系アメリカ人の女性パンク・シンガーという存在がリスナーからの支持を得られなかったことも、バン・バンが苦戦を強いられた一因だ」と分析。また、ベル本人はすでにこの世を去っているが、彼女の息子によれば「何の意味もなさないのに、メディアは母をティナ・ターナーと比較していた」のだという。グループとしての活動は短命に終わり、その後ベルはこの世を去ってしまったが、時代を先駆けたバン・バンの影響力や、彼らの残した楽曲が消えることはない。

 

4. ドロ・ペッシュ / Doro Pesch

ドイツ出身のシンガーであるドロ・ペッシュ。多くの人は、ウォーロックが1987年に発表したシンガロング必至のアンセム「All We Are」で彼女の存在を知ったことだろう。そんな彼女は、カナダ出身のリー・アーロンと同じく“メタル・クイーン”と呼ばれている。感じのよい性格で、常に精力的な活動を続ける彼女にぴったりの異名である。

彼女は地元のデュッセルドルフとニューヨークを行き来しながら、ウォーロック時代と“ドロ”名義のソロ・キャリアを合わせてこれまでに18作ものアルバムをリリースしてきた。また、クールで魅力的な人柄の彼女は、近年も休みなくツアー活動に勤しんでいる。

新型コロナウィルスによるパンデミックのさなかには、彼女のキャリアを代表するバラード「Fur Immer」を再録し、その作曲能力の高さを世のリスナーに再認識させた。

 

5. ガールスクール / Girlschool

モーターヘッドのレミー・キルミスターは、人を見る目が厳しい人物だった。だから、そんな彼と度々コラボレーションしていたという事実だけでも、女性のみで構成されるイギリス出身のバンド、ガールスクールが実力あるグループだということはわかってもらえるだろう。

そのうち、中心メンバーであるシンガー/ギタリストのキム・マコーリフとドラマーのデニス・デュフォートは、1978年の結成時から現在までバンドに在籍している。同じNWOBHMのムーヴメントから登場したアイアン・メイデン同様、ジーンズやレザーのファッションがトレードマークだった彼女たちは、1981年に発表したアルバム『Hit And Run』でブレイク。代表曲には、モーターヘッドと共演した「Please Don’t Touch」や、「Race With The Devil」、「C’mon, Let’s Go」などがある。

 

6. プラズマティックス / Plasmatics

モヒカン・ヘアのシンガー、ウェンディー・O・ウィリアムズは、プラズマティックスを率いて強烈なパンク・メタルを展開した。ステージでアリス・クーパーに似た存在感を放っていた彼女は、ロックの限界を超えたサウンドで世間のリスナーに衝撃を与えたのだ。

彼女はプラズマティックスとして6作、ソロとして5作のアルバムをリリースしたほか、演技の世界にも進出。出演作にはジョン・キャンディらと共演したスケッチ・コメディ番組『SCTV』 (1981年) や、いわゆるエクスプロイテーション映画の『監獄アマゾネス/美女の絶叫』 (1986年) などがあるが、それもこれも、彼女の功績のほんの一部でしかない。

多方面で活躍したウィリアムズは、どの分野においても力強く勇ましい女性像をみせてくれた。そうして業界でも異彩を放つ独自の立ち位置を確立したにもかかわらず、彼女は48歳の若さで自ら命を絶ってしまった。

 

7. ヴィクセン / Vixen

ヴィクセンは同世代の多くの男性グループと同様、髪をヴォリューミーにセットし、きらびやかでぴったりとした衣装に身を包み、ロサンゼルスのサンセット・ストリップで腕を磨いてきた。

もともとミネソタ州出身の彼女たちは、メジャー・レーベルであるEMI/マンハッタンとの契約を獲得すると、1988年にセルフ・タイトルのデビュー作をリリース。同作は惜しくも米チャートのトップ20入りを逃したものの、ゴールド・ディスクに認定されるほどの売上を記録した。

そんなヴィクセンの代表曲の一つが、キャッチーなメロディが魅力のシングル「The Edge Of A Broken Heart」(1988年) だ。Spotifyで約2000万回、YouTubeでも1700万も再生されている同曲は、「Cryin’」などの名曲とともにいまなお高い人気を誇っている。

なお、2019年現在、グループのヴォーカルはロレイン・ルイスが務めているが、彼女は同じくロサンゼルスを拠点にするファム・ファタル (こちらも現在はメンバー全員が女性で構成されている) のメンバーとして活動してきたベテラン・シンガーである。

 

8. ロック・ゴッデス / Rock Goddess

ドラマーのジュリー・ターナーは10歳にもならないうちから、当時13歳の姉、ジョディ・ターナー (ヴォーカル/ギター) と曲作りをしていたという。2人は1977年ごろまでに、ロック・ゴッデスというトリオを結成。“ロックの女神”を意味するそのグループ名はまさに彼女たちに相応しいものである。

やがて彼女たちは、ジューダス・プリーストやガールスクールらとともにNWOBHMの一翼を担うようになった。特に「Hell Hath No Fury」や「The Party Never Ends」といった代表曲は、巧みなギター・ソロを含んだ名曲「Raiders」など激しいロック・ナンバーとともに、80年代のリスナーの心を掴んだ。

その後の長い活動休止期間を経て、ロック・ゴッデスは現在もターナー姉妹とベーシストのジェニー・レインから成るトリオとして活動。そんな彼女たちが2019年に発表したアルバム『This Time』は、古き良きメタル・サウンドに回帰した痛快作となった。

 

9. リー・アーロン / Lee Aaron

カレン・リン・グリーニングは、レッド・ツェッペリン、ストローブス、フリートウッド・マック、ハート、ランナウェイズらの音楽を聴いて育った。

若いころから多才だった彼女は、10代半ばで“リー・アーロン”というバンドへの加入の誘いを受ける。そして、同グループにシンガー/キーボーディスト/アルト・サックス奏者として加わると、そのバンド名を自らの芸名にしたのだった。

そんな彼女にはもう一つの呼び名がある。それは、彼女が1984年にヒットさせたアルバム/楽曲にちなんで付けられた“メタル・クイーン”というインパクトの強い称号である。とはいえアーロンは、1982年から2018年までにリリースした12作のアルバムを通して、ジャズやブルースをも含む多様なスタイルを披露してきた。実際、2016年作『Fire And Gasoline』は、彼女が20年ぶりに全編ロック・サウンドで作り上げたアルバムだったのである。

 

ハード・ロック/ヘヴィ・メタル界を切り拓いてきた女性たちの中で、名前の漏れているアーティストがいると感じたら、ぜひ下のコメント欄から教えてください。

Written By Katherine Turman



 

 

 

 

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