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マイク・オールドフィールドの『Tubular Bells』とヴァージン・レコード

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1973年5月25日には、2つの名前が新たに、レコード・バイヤーたちの会話にあがってきた。それは、ヴァージン・レコードとマイク・オールドフィールドである。この日はマルチ・インストゥルメンタリストが、彼のデビュー・アルバムであり、新たに設立されたレコード・レーベルが初めてレコードを発表した日だ。両方が勝者として始まった言えるのは、とても控えめに言っても世界的に人気の高い『Tubular Bellsによるものだ。

この大胆な音楽的声明が登場したのは、マイク・オールドフィールドが初めて参加した作品のリリースから4年、レコーディングから5年後のことだ。それは、彼の姉のサリーと共に始めたフォーク・デュオ、サリアンジーの『Children Of The Sun』で トランスアトランティックから1969年にリリースされた。マイク・オールドフィールドは、兄のテリーと共に彼自身のバンド、ベアフィートで活動した後、ケヴィン・エアーズのバンドに参加し、ケヴィンのアルバム『Shooting At The Moon(邦題:月に撃つ)と『Whatevershebringswesing(邦題:彼女のすべてを歌に)』に参加。そして、彼のソロでのゴールを追い続ける時が来た。

tubular bells

1972年、ヴァージン・レコード・ショップからレーベルを立ち上げようとしているリチャード・ブランソンの経済的な援助を得て、19歳のミュージシャンは後に、「Tubular Bells」となる独創的で、創意に富んだ大作に取り組んだ。多くの作業は、マナー・スタジオで行われた、これはオックスフォード北部にある17世紀建築のマナーハウスをもとにしたヴァージン所有のスタジオ施設である。

Mike+Oldfield+Tubular+Bells

たとえ、マイク・オールドフィールドがその結果に不満を抱いていたと自身に告白したとしても、ロック・プレスは『Tubular Bells』の音のスケールと一般人からの反応に確実に不意を突かれていた。「技術的に見て、マイク・オールドフィールドが行ったのは、単に演奏し、それをまとめ上げ、様々な楽器で多様性に富んだメロディックなテーマをオーヴァーダブしたというだけだ」とレット・イット・ロック誌でサイモン・フィリスは書いた。

「多くの批評家は、マイク・オールドフィールドの技術と本当に美しいその音楽に恐れをなして、そのことを脇において満足している。しかし、問題なのはこの綿密に作られた作品がどうしてこんなにも人の心をつかむのか?そして、これは果たしてロックというべきものなのか?ということである」と続ける。サイモン・フィリスはさらに続けて、このアルバムは「魅力的な壁紙以上のもので、ネイチャー・ムーヴィーのスコア以上のものであり、それはマイク・オールドフィールドには、自給自足で人を満足させることができる音楽を作る能力があるからだ」と書いた。

『Tubular Bells』は翌年の7月にUKチャート31位に入り、発売から17か月後の1974年10月に1位を獲得。しかし1977年までぶっ通しでチャートにとどまり続け、トータルで286週100位以内に在位した、加えておくと、世界で何百万枚のセールスを記録している。

Written By Paul Sexton



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