プリンスを振り返る:ポピュラー音楽の世界で唯一無二の独特な存在

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Photo: Ross Marino/Getty Images

2016年4月21日、プリンスは自らのレコーディング・スタジオ、ペイズリー・パークで亡くなった。彼の死によって、かけがえのないワールド・クラスのアーティストがこの世から奪われてしまった。

この多大なる影響力を持っていたアーティスト/ソングライター/プロデューサーは、35年以上にわたってポピュラー音楽の世界で唯一無二の独特な存在であり続けていた。彼の作品は膨大な数に上り、スタジオ・アルバムだけでも39枚リリースされていた。今でも、彼について過去形で語ったり、彼が57歳で亡くなったことを思い出したりするのはどこかショッキングなことのように感じられる。

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米ビルボード社のニールセン・ミュージックのデータによれば、死後1年間に売れたプリンスのアルバム枚数と楽曲のダウンロード数は、アメリカでは合計770万枚にのぼった。このうち230万枚が従来のアルバム販売枚数で、540万枚が楽曲のダウンロード販売数だった。しかも770万枚のうち565万枚は、訃報が流れた後の1か月間の売り上げである。こうした販売数を合計した結果、驚くべきことに、プリンスは2016年のアメリカで最も売れたアルバム・アーティストとなった。

この世界的に賞賛されてきたスターは、亡くなる直前までオーストラリアとニュージーランドで「ピアノ&マイクロフォン」ツアーを行っていた。当時の最新作だった2枚のスタジオ・アルバム『HITnRUN Phase One』と『HITnRUN Phase Two』は、それぞれ2015年の9月と12月にリリースされていた。その後2018年9月には遺作となった『Piano and a Microphone 1983』が発表され、2019年にはデモ音源集『Originals』も出ている。

トレードマークとなった官能的なファンキーさ

1958年6月7日、ミネアポリスでプリンス・ロジャース・ネルソンとして生まれたプリンスは、1978年のデビューアルバム『For You』で初めて全国的に名が知られるようになった。ここに収められていた「Soft & Wet」は、全米チャート・トップ15入りのR&Bヒットとなっている。この曲は彼のトレードマークといえる官能的なファンキーさが前面に出た作品であり、ジェームス・ブラウンやスライ・ストーンといったソウルの先人たちの影響を強く受けていた。そうしたファンキーさは、1年後にリリースされた彼の最初のR&B作品「I Wanna Be Your Lover」でさらに増幅されている。

1982年にリリースされたアルバム『1999』はマルチ・プラチナ・ディスクに認定される大ヒット作となり、プリンスがトップクラスのR&Bアーティストとして自らを確立したことを紛れもなく示していた。彼は、自らのバンド「レボリューション」をはじめとする一流ミュージシャンたちと共に、映画界にも進出。主演作『パープル・レイン』のサウンドトラックも手掛けていた。

自分のレーベル「ペイズリー・パーク」をスタートさせ、同名のスタジオも設立したプリンスは、自身の精力的なレコーディング活動に加え、プロデュースと曲作りを幅広くこなしていった。彼はさまざまなアーティストに楽曲を提供している。たとえば彼の「Manic Monday」はバングルズがヒットさせていた。またシニード・オコナーも「Nothing Compares 2 U」を吹き込んでいる。この曲は、もともとペイズリー・パークのバンド、ザ・ファミリーが録音した作品だった。

 

過激なほど大胆に

プリンスは、アーティストとしても『Sign O’The Times』『Lovesexy』『Diamonds and Pearls』といった画期的な作品を次々に発表していった。彼は創作活動での自主性を求めた結果、契約先のレコード会社ワーナー・ブラザーズと対立するようになり、やがて通常のレコード・リリース活動から離れるという大胆な決断を下した。こうした側面は非常に注目を集め、一部の人間はそれが作品そのものに影を落としていると考えていた。評論家たちの中には、彼の作品が質より量を重視していると評する者もいた。

とはいえプリンスは、比類のないカリスマ性とエネルギーを持ったライヴ・パフォーマーとしての評判を築き、高い人気を保っていた。ライヴ・パフォーマンスが数時間に及ぶことも日常茶飯事だった。多くの人は、プリンスの驚異的なライヴ活動が2007年のアース・ツアーで頂点に達したと見ている。このツアーでは、ロンドンにある2万人収容の02アリーナで21回ものコンサートが行われた。

 

“彼の才能には限界がなかった”

プリンスの早すぎる訃報を受け、さまざまな音楽ジャンルのアーティストたちが悲しみあふれるコメントを残していた。たとえばレニー・クラヴィッツは、プリンスを「俺の音楽的兄弟……俺の友人……自分の中に可能性があると俺に教えてくれた人」と表現している。またミック・ジャガーはツイッターで次のように書いていた。

「プリンスは革命的なアーティストであり、素晴らしいミュージシャン/作曲家であり、独創的な作詞家であり、驚くべきギタリストだった。彼の才能には限界がなかった」

さらにビヨンセはこう語っている。

「実のところ“アイコン”という言葉は、プリンスが私にとって今までどういう存在だったのか、そしてこれからもどういう存在であり続けるのかということを、ごく表面的にしか表していない」

彼の一周忌イベントのひとつとして、ペイズリー・パークでは4日間に及ぶフェスティヴァルが企画された。そこでは、彼のバンドであるレボリューションやニュー・パワー・ジェネレーション、さらにはモリス・デイ&ザ・タイムがパフォーマンスを披露した。

また元のバンド・メンバーで後にレコード・デビューを果たしたウェンディ&リサによるパネル・ディスカッションなども行われた。2019年のレコード・ストア・デイでは、『The Versace Experience: Prelude 2 Gold』がLPで再発されている。また2020年には、彼の代表作である『Sign O’ The Times』の3種類のデラックス・エディションが発売された。これらはすべて、プリンスが残した強烈な影響を脳裏に蘇らせるものだった。

Written By Brett Milano



 

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