スケート・パンク/ポップ・パンク特集:ハードコアなスピードとユーモアを持った90年代のメインストリーム

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ハードコアなスピードとクセのあるユーモアでパンクをスーパーチャージし、ブリンク182、サム41、グリーン・デイといったグループが、スケート・パンク/ポップ・パンクを1990年代のメインストリームに押し上げた。


パンクはロサンゼルスに2波に分かれてやって来たが、どちらもほぼ都市部のみでの現象だった。第1波はパンク初期と言ってよい1977年から78年頃にかけてのもので、ハリウッドの中心部になだれ込んだ。ザ・マスクを始めとするダウンタウンのライヴ・ハウスではXやジャームズなどの伝説的なバンドがのしていた。

そして第2波となって激しく盛り上がったのが、南カリフォルニアの郊外を発信地とする、現在ポップ・パンクやスケートパンク(「スケート・ロック」や「スケート・コア」とも呼ばれる)として知られる潮流だ。場所をより具体的に言えば、ハンティンドン・ビーチ、フラートン、コスタ・メサなどの、カリフォルニア州で3番目に人口の多いオレンジ・カウンティ郊外の保守的なミドルクラスが集まるエリアだ。多種多様な文化からなる広大なロサンゼルスからは50キロほど南に離れた位置になる。

そこはディズニーランドの本拠地であり、将来性のある世帯向けに作られた住宅街だが、そんな”幸せな”住宅地で鬱々と暮らしながら1970年代後半のセックス・ピストルズザ・ダムド、ザ・クラッシュなどの英国パンクの旗手たちに惹きつけられた地元の若者たちにとっては、その居心地の良さは全く魅力のないものだった。1980年代に入りパンク、サーファー、スケートボードのイデオロギーがぶつかり合ってブラック・フラッグやサークル・ジャークスなどの精力的なハードコア・パンク・グループのみならず、ポップ・パンク/スケートパンクというサブジャンルが生まれたのは、実にこの恵まれた郊外エリアでのことだった。

 

アメリカでのスケートボード文化とポピュラー音楽との関わりは古く、1964年にはカリフォルニアのデュオであるジャン&ディーンが「Sidewalk Surfin’」を早くもレコーディングしている。この曲は当時北米で新しい遊びとして大ブームになっていたスケートボードに因む歌詞をザ・ビーチ・ボーイズの「Catch A Wave」に新たに載せたものだ。

しかし、1980年代前半から半ばにかけての、JFA(ジョディ・フォスターズ・アーミー)、ホーガンズ・ヒーローズ、スイサイダル・テンデンシーズ、アグレッション、オフスプリング、そしてNOFXなどの、スケートボードに乗るようなパンク/ハードコア・アクトは、パンクのベーシックな3コードをハードコアのスピードと大騒ぎの学生パーティー的なユーモアで武装したスタイルの音楽をプレイし、かなりの数のフォロワーを生み出している。

 

「ポップなハードコア」

ローリング・ストーン誌がポップ・パンク/スケート・パンク・サウンドを「いわばポップなハードコア」とシンプルに定義していたが、確かに、このジャンルの主立ったバンドはどれもがスピーディーで激しいギター・リフをユーモアとラジオフレンドリーなメロディーで中和させていた。それが、世界規模での忠実なファンとマルチ・プラチナムのセールスを彼らにもたらした特徴だ。

1980年代のポップ・パンク/スケート・パンクはまだアンダーグラウンドでの現象で、スケートボード関連を扱う雑誌スラッシャーがスポンサーとなって呼び名「スケート・パンク」の生みの親ともよく言われているモフォ(ドランク・インジャンズのシンガー兼スケートボーダーのMörizen Föche)が編集したカセットを配ったりしていた。しかし、1990年代初期のグランジの爆発をきっかけに再びパンクの株が上昇したことで、1990年代中頃には主要なスケート・パンク・バンドの多くがメインストリームでの成功を手にするようになっていった。

ブーム一気に加速させたバンドで、長年LAシーンの周縁部で活動していたものが2つある。NOFXは1983年の結成で、1994年に5枚目のアルバム『Punk In Drublic』がアメリカで50万枚を売り上げ、ゴールド・ディスクを受賞した。また、地元ハンティントン・ビーチを愛してやまないオフスプリングは、同じく1994年にリリースした3番目のアルバム『Smash』が世界中で1,100万枚もの売り上げを記録し、1996年にコロンビア・レコードとの契約を獲得することになった。

 

厳密にはスケート・パンクには括られないが、スケートボーダーから高く評価されている強力なパンク・ポップ・アクトであるグリーン・デイとランシドも、その後の1年以内に商業的に大きく飛躍を遂げた。ティム・アームストロングとマット・フリーマン(ともにかつてスカ・パンク・バンド、オペレーション・アイビーのメンバーだった) を擁するカリフォルニア州バークレー出身のランシドは、エピタフ・レーベルからリリースした彼らの3枚目のアルバム『… And Out Come The Wolves』がゴールド・ディスクを獲得し、彼らとはお隣付き合いのあるグリーン・デイは、キャッチーなフックが満載の彼らの3枚目のアルバム『Dookie』で、アメリカ国内だけで1,000万枚以上を売り上げた。

 

スケート・パンク絶頂期

1990年代後半から21世紀に入って間もなくの期間、スケート・パンク/ポップ・パンクは商業的なピークを迎えた。オフスプリングが依然として権勢を保ち続け『Ixnay On The Hombre』や1998年の『Americana』などのマルチ・プラチナム・タイトルをリリースする一方で、カリフォルニアのトリオ、ブリンク182や、カナダ出身の5人組サム41など、才能のある若いバンドが次々と台頭して覇を争った。

バンド結成メンバーの一人に魅力溢れるベーシスト兼ヴォーカリストのマーク・ホッパスを擁するブリンク182は、1992年に結成され、1995年のデビュー作『Cheshire Cat』のリリース前後に精力的なツアーを行った。MCAと契約した後に1997年の『Dude Ranch』でブレイクを果たしたが、アメリカでトリプル・プラチナムを獲得した3枚目のアルバム『Enema Of The State』(1998)によって、グループはアリーナ級ロック・バンドとして堂々たる地位を築いた。

 

1996年に結成されたオンタリオ州エイジャックス出身のサム41は、1999年にクリス・ブラックウェルのあのアイランドとインターナショナル契約を結んだ。彼らのデビュー作『All Killer No Filler』(彼らの代表的ヒット「Fat Lip」を収録)は、そのタイトルに相応しく2001年にアメリカ、カナダ、そしてイギリスでプラチナム認定に輝いた。この年は、ブリンク182のMTVフレンドリーな『Take Off Your Pants And Jacket』が1,400万枚を売り上げ、またオフスプリングの『Conspiracy Of One』が、リリースされたのと同じ週にアメリカのビルボード200で1位を記録してもいる。

 

止まらない勢い

ニュー・メタルやエモなどの新たに出現したジャンルとの厳しい競争にもかかわらず、ポップ・パンクは2000年代に入っても独自の存在を保持し続けた。2000年、OPMの人を病みつきにさせるようなヒット「Heaven Is A Halfpipe」が大西洋の両岸でトップ20に入った。その2年後にはフランス系カナダ人のアヴリル・ラヴィーンの「Sk8er Boi」が世界的ヒットを記録してポップス界がポップ・パンクを認めたことを証明し、メリーランド州のグッド・シャーロットは2枚目のアルバム『The Young And The Hopeless』で一攫千金の500万枚のセールスを上げた。同じ時期にフロリダ出身の5人組ニュー・ファウンド・グローリーも、MCAからリリースした3番目のアルバム『Sticks&Stones』が全米アルバムチャートで4位を記録し、当然ゴールド・ディスクに輝いた。

 

これらに負けてなるものかと、サム41も『Does This Look Infected?』(2002) と『Chuck』(2004) の2枚のアルバムでまたもやのゴールド・ディスクを獲得した。そしてブリンク182の方だが、よりダークさを増して批評家からも高く評価されたアルバム『Blink-182』が全米アルバムチャートで最高位3位を記録した後、2005年からは長い活動休止期間に入っていった。オクラホマ出身のカルテット、オール・アメリカン・リジェクツは、2003年にゲフィンが出資するレーベルであるドリームワークスと契約した直後に、ヒット・シングル「Swing Swing」を収録したデビュー・アルバムがプラチナム・ディスクに認定される大成功を収めた。

オール・アメリカン・リジェクツはその後も「Dirty Little Secret」や「It Ends Tonight」などの記憶に残るヒットを連発し、インタースコープからリリースしたアルバム『Move Along』(2005) もダブル・プラチナムになり、バンドはメインストリームで快進撃を続ける。2008年のシングル「Gives You Hell」はアメリカでクアドロプル・プラチナを獲得し、2012年のアルバム『Kids In The Street』は全米アルバムチャートのトップ20位圏内にまで上昇した。

 

他にも、『Good Mourning』、『Crimson』、そして2010年リリースのハードエッジな、全米チャートで11位というバンド史上最高位をものにした『The Addiction』などのアルバムを軒並みアメリカでトップ30位圏に送り込んで非常に高く評価されているイリノイ州出身のアルカライン・トリオが参戦するなど、スケーター御用達のポップ・パンクは依然として勢いを失っていない。

ニュー・ファウンド・グローリーもまた、2004年の『Catalyst』でキャリア最高のゴールド・ディスクを獲得したし、シカゴを拠点とするメロディセンス抜群のフォール・アウト・ボーイは、2005年にリリースして絶賛されたアルバム『From Under The Cork Tree』のダブル・プラチナムという大成功を手にした。その後彼らは2007年の『Infinity On High』で全米1位という栄冠をも手に入れている。

 

 

スケート・パンク/ポップ・パンクのレガシー

どんなジャンルであれキャッチーでアンセミックな音楽は滅びることはないのだと証明するかのように、スケート/ポップ・パンクは進化し続けメインストリームに影響を与え続けている。オフスプリング、グリーン・デイ、オール・アメリカン・リジェクツなどのレジェンド級のアクトが世界規模で数多くのファンを楽しませ、チャートを賑わせる。さらに、惜しまれながらも解散してしまったブリンク182が2009年に待望の再開を果たし、2016年7月にリリースして幅広い層から評価された『California』で2度目のビルボードNo.1に輝いてもいる。

ここ5年間ほど、上に挙げた全てのバンドから影響を受けて誕生したバンドがプライドと使命感を持ってスケート・パンク/ポップ・パンクのバトンを引き継いでいるようだ。プロデューサーのスティーヴ・アルビニや元ブラック・フラッグ/サークル・ジャークスのヴォーカリスト、キース・モリスなど影響力を持つ友人やファンたちと既に仕事をした経験のあるサクラメント出身のトリオ、トラッシュ・トークは、有名なLAのヒップホップ集団オッド・フューチャーと手を組み制作した『Eyes&Nines』で高く評価されているし、ブラック・リップスやハイヴスなどとツアーを行ったLAのとびきり活きの良いスケート/サーフ・パンク・バンド、フィドラーもいる。

あの画期的なブラック・フラッグで有名なアーティスト、レイモンド・ペティボーンにアルバムのスリーヴ・デザインを依頼し、自らのジャンルのルーツを辿ってみせたニューヨークの若さみなぎる5人組セレブラル・ボールジーは、スケートボードに対する彼らの情熱を全世界で1,100万人いると言われているボーダーたちと共鳴させている。来るの東京オリンピックの競技種目にスケートボードが認められたこともあり、これからの数年、いったいどんな新しい世代のスケート・パンク/ポップ・パンクのヒーローがリハーサル・スタジオから踊り出てくるのか、乞うご期待といこう。

Written By Tim Peacock



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