シン・リジィ『Nightlife』:スコット・ゴーハムとブライアン・ロバートソンが加わった名作

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シン・リジィは1974年秋の段階ではまだヒット・シングルを「Whisky In The Jar」の1枚しか出しておらず、全英アルバム・チャートには一度も入ったことがなかった。しかし同年11月8日に4枚目のアルバム『Nightlife』を発表し、彼らはスーパー・スターの座に至る大きな一歩を踏み出した。ここで少なからぬ役割を果たしたのが、入ったばかりの新メンバーふたりだった。

1973年に「Whisky In The Jar」がヒットしたあと、シン・リジィはアルバム『Vagabonds Of The Western World(邦題:西洋無頼)』を発表。このアルバムは名曲「The Rocker」を収録し、レヴューでも評判になった。そのあとはバンドのメンバーが目まぐるしく入れ替わっていくが、そうした動きは結果的には良いかたちで落ち着くことになった。

まず1974年初頭にギターのエリック・ベルが脱退すると、ゲイリー・ムーアが加入する。しかしゲイリー・ムーアはわずか4カ月でジョン・ハイズマンのコロシアムIIに移籍。5月に予定されていた西ドイツ・ツアーではその代役としてアンディー・ジーとジョン・デュ・カンが起用される。やがて6月、ふたりの新しいギター・ヒーローがフィル・ライノットの脇を固めることになった。

このとき加入したのが、グラスゴー出身のブライアン・ロバートソンとアメリカのサンタモニカ出身、元ファスト・バックのスコット・ゴーハムである。スコット・ゴーハムがシン・リジィのオーディションを受けたのは、義理の兄弟だったスーパートランプのボブ・ベンバーグの勧めによるものだった。

こうしてシン・リジィは、フィル・ライノット、ブライアン・ロバートソン、スコット・ゴーハム、それに結成当初からのドラムスを担当してきたブライアン・ダウニーという顔ぶれになった。四人編成となったシン・リジィはすぐに勢いに乗り、ヴァーティゴ・レーベルと新たに契約。1974年のレディング・フェスティヴァルで初舞台を踏んだ。ポスターでは「Thin Lizzie」と誤表記されていたものの、彼らはこのフェスティヴァルでトラフィック、ロニー・レインズ・スリム・チャンス、ジョージィ・フェイム&ザ・ブルー・フレイムズなどと同じステージに立っている。10月、シン・リジィはイギリスのライヴ・ハウスや大学をまわるツアーを行い、新曲をいくつか披露する。そうして発表されたのがアルバム『Nightlife』だった。

 

このアルバムで最も有名な曲「Still In Love With You(邦題:それでも君を)」には、ゲイリー・ムーアもリード・ギターでゲスト参加。ここでは有名なスコットランド人歌手フランキー・ミラーもフィル・ライノットと共にリード・ヴォーカルを担当している。またフィル・ライノットはこのアルバムと同時に詩集『Songs For While I’m Away』を発表し、表現者としての名声も高めている。アルバム『Nightlife』も結局は全英チャート入りを逃しているが、この四人編成のシン・リジィはまもなく人気を爆発させることになる。

Written by Paul Sexton



シン・リジィ『Nightlife』

   

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