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エルトン・ジョンが自叙伝『Me』で語るバンド、フレディ、マイケル、レイ・チャールズとの思い出

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エルトン・ジョンがずっと夢中になっているものが2つある。サッカーと音楽だ。幼い頃から家ではいつも音楽を聴いて育ったエルトン・ジョンの自叙伝『Me』には、ロンドン北部郊外の小さな会場でライヴ活動を始めた駆け出しの頃から、世界の名だたるスタジアムでコンサートを開催するに至る現在まで、その壮大な音楽キャリアからの魅惑的なエピソードが満載だ。

自身がレコードを集めていたアーティスト達との共演について振り返る場面では、彼の真の情熱を感じることができる。「僕の一番のお気に入りはチェス・レコードと契約していたワシントンD.C.出身の巨漢、ビリー・スチュワートでした。彼は素晴らしい歌手で、その体重の問題でさえも自らの武器に変えてしまうんです」と記し、ボ・ディドリーと同時代に活躍したブルース歌手そしてブルース・ピアニストの先駆者である彼への敬意を表している。

「それはまるで誰かが光を灯してくれているかのようでした」

さらに、エルトンは、作詞家バーニー・トーピンとの共作がもたらした人生を一変させるような思いがけない幸運、そして、そのルーツ音楽に根差したアメリカーナが彼らに絶大な影響を与えたザ・バンドの重要性についても延々と綴っている。「僕たちは彼らの最初の2作のアルバムを何度も何度も演奏しました。彼らの曲を聴いていると、まるで誰かが光を灯して、僕たちができることややりたかったことへの道を照らしてくれているかのような気分になりました。僕たちは ‘Chest Fever’、‘Tears Of Rage’、 ‘The Weight’のような曲を書きたかった。バーニーは彼らの歌詞に夢中でした」と記し、エルトン・ジョンは、とても誇らしげに、1970年に行なった彼の初期のコンサートを観るためにアメリカを横断してきたロビー・ロバートソンと出会った時の喜びについて語っている。

The Weight (Remastered)

 

彼はロッド・スチュワート、レオン・ラッセル、ジョン・レノン、そしてジョージ・マイケルなど、ミュージシャン仲間との微笑ましいエピソードも披露している。クイーンの大ヒット曲「Bohemian Rhapsody」を最初に聞いた時には批判していたことは認めているものの、とりわけフロントマンのフレディ・マーキュリーに対しては特別な思い入れがあるという。フレディに会った瞬間に大好きになったというエルトン・ジョンは、彼がギタリストのブライアン・メイについて、「僕はどうしてステージでスリッパを履くギタリストとバンドをやることになったんだろね?」とふざけてジョークを飛ばしていたことを思い起こす。

フレディ・マーキュリーはマイケル・ジャクソンのことを、ゴスペルの女王(マヘリア・ジャクソン)にちなんで、“マヘリア”と呼び、2人が交流した時に起こった出来事についてのフレディの解説に大爆笑したことがあったと振り返る。「マイケルは、フレディの気を引くために彼の動物園へ招待したことがあって、結果フレディの怒りを買ってしまったんです。フレディは、その時のことをステージでのパフォーマンスに匹敵するくらいの傑作エピソードに作り変えてしまう」とエルトンは記している。その時のフレディはこんな感じだったそうだ。「なあ、あの恐ろしいラマだよ。遠方からはるばるカルフォルニアにあるジャクソンさんの家に行ったら、庭に案内してくれて、そこにラマがいるんだ。そして僕にラマを檻に戻すのを手伝ってくれって言うんだ。僕は白いスーツを着ていたから、泥まみれになってしまって、結果マイケルに向かってこう叫んだ。“冗談じゃないぜ、マヘリア!お前のくそラマをどっかにやってくれ”って。そしたら彼は“まあ…”って漫画みたいな震えた声を出すんだ。まったく悪夢のようだったよ」

また、エルトン・ジョンは、自身のマイケル・ジャクソンに対する思いをありのままにこう記している。「本当に心が病んでいて、一緒にいると心をかき乱された」

「まるでエリザベス王妃みたいじゃないか」

フレディ・マーキュリーとのさらなる興味深い逸話が続く。1985年にウェンブリー・スタジアムで開催されたライヴエイドでのクイーンの圧巻のパフォーマンス後に、「フレディが彼らしい皮肉を込めて、僕のステージ衣装の帽子をこう言って茶化しました。“おいおい、その頭の上に乗っかっているのは何なんだ?まるでエリザベス王妃みたいじゃないか”とね」

Elton John – Rocket Man (Live Aid 1985)

 

さらにエルトンは、ボブ・ディランのジェスチャーゲームの下手さに激昂したという素晴らしいエピソードを披露し、「絶望的に下手で、僕は彼にオレンジを投げてしまいました」と明かしている。自身の母親を連れて晩年の疲れ切ったエルヴィス・プレスリーに会いに行った時の悲しいエピソードについては、「母が帰る間際に“来年はもう亡くなっているだろうね”と言っていたんですが、まさにそうなってしまいました」と振り返っている。

「ユーモアに溢れ、私生活をも赤裸々に明かす」

『Me』というタイトルからも連想できるように、この自叙伝は、エルトン・ジョンのユーモア溢れる真情が詰まった非常にパーソナルな内容になっている。彼は、おまるの中で用をたさないと母親に金ブラシで血が出るまで叩かれたというトイレ訓練や、「おそらく僕が学校の制服を正しく脱がなかったので父親に殴られたことがある」といった家庭崩壊の中にあった幼少期についても暴露している。

今作にはその他にも、彼がバンドとともにマーガレット王女からケンジントン宮殿での夕食へ招待された時、スノードン伯爵が「俺の夕食は一体どこなんだ」と彼女を文字通り罵っていた、などという愉快なエピソードも多数詰まっている。また、彼は自身のアルコールや薬物中毒の問題、自殺未遂、激しく乱れた恋愛、そしてレネーテ・ブリューエルとの結婚生活の破綻などについても赤裸々に告白している。ザ・サン紙が彼の乱れた私生活についての暴露記事を掲載した当時、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが彼に助言するために電話をかけてきたこともあったという。

ただ、この自叙伝の中ではっきりと伝わるのは、エルトン・ジョンの様々なミュージシャンたちへの賞賛と感謝の念だ。彼は、初めて訪れたアメリカで、レイ・チャールズとテレビで共演し、「Heaven Help Us All」をデュエットした時のことも振り返っている。

Ray Charles, Andy Williams, Cass Elliot, and Elton John – Heaven Help Us All

 

「レイ・チャールズはずっと憧れの存在で、子供の頃、ベッドルームでこっそり彼のアルバムを聴きながら物真似をしていたものです」。親切で、優しく、励みになる存在だったレイ・チャールズからの物事に対して真剣に取り組むことへの教えは、エルトンのキャリアにおいて大きなステップアップとなった。そして、友人だったウェールズ公妃ダイアナの追悼式での「Candle In The Wind」のパフォーマンスへと導いた、というハッピー・エンドに繋がっている。

自身の冒険談を描いた伝記映画『ロケットマン』を楽しんだというエルトン・ジョンは、「並はずれた人生を生きてきた」と語っているが、自叙伝『Me』では、そんな彼の人生を垣間見ることができる。

Written By Martin Chilton


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