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ラッシュのデビュー作『Rush (閃光のラッシュ)』の制作舞台裏

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デビュー・アルバム『Rush (邦題: 閃光のラッシュ)』が1974年3月1日にリリースされ、カナダ出身の3人組はロック・ミュージックの最も長く残り、かつ成功したレコーディング・キャリアの道を歩み始めた。

ラッシュが最初に結成されたのは1968年。ドラマー、ジョン・ラトジーの兄、ビルが「もっといいバンド名をつけた方がいいよ、例えばラッシュとかどうだ?」と提案するまで、グループはザ・プロジェクションという名前で活動していた。ラッシュとして、最終的にジョン・ラトジー(ドラム)、ゲディー・リー (リード・ヴォーカルとベース)、アレックス・ライフソン (ギターとバックヴォーカル) から成る3名のトリオとしてスタートを切ったが、70年代前半は、バディ・ホリーの1957年の曲「Not Fade Away」のカヴァー曲など彼らのレコード作品は数枚に限定されており、そのB面にはラッシュ初のオリジナル・ソングとしてリリース予定だった「You Can’t Fight It」が収録されていた。

1973年までに、地元トロントのミュージック・シーンに不可欠な存在として成長したグループは、彼らの能力を確信し、ラッシュのデビュー・アルバムをセルフ・プロデュースで作ることを決定。その年の3月、トロントのイースタン・サウンドでレコーディングを開始した彼らだったが、当初の結果は散々たるものだった。アルバムには「You Can’t Fight It」を収録しないことを決め、彼らは再びトロントのサウンド・スタジオにてレコーディングを再開。アレックス・ライフソンはこの場所を「タバコの煙が充満した非常に小さな16トラックのスタジオ」と覚えている。

それはミュージシャンにとって異常なまでに多忙な時間だった。ゲディ・リーはこう振り返る。「その日の夜にバーで4セット演奏して夜中の1時には機材を持って出て、レコーディング・スタジオに搬入してそのまま一晩中レコーディングを行う。そして自宅に戻り数時間の仮眠を取ったらまたバーに戻ってライヴの準備。この繰り返しさ。こんな感じで最初のアルバムをレコーディングしたんだ」。

アルバムの完成後にバンドを脱退したジョン・ラトジー (彼の代わりに、長年にわたってドラマー兼作曲家となるニール・パートが加入) は当時、バンドの主要な作詞家だったが、彼が自分で書いたものに満足がいってないこと、ラッシュのデビュー・アルバムのために書いた曲も最後にビリビリに破ってしまったことを事あるごとにゲディ・リーとアレックス・ライフソンに言い続けていた。スタジオの時間を確保できるお金が残り僅かとなり、彼らは苦肉の索を取る事になった。「要するに、残りの2日間で歌詞を書き上げなければいけなかった。そして歌詞が完成したら速攻、歌わなければいけなかった」とゲディ・リーは言った。不安なムードはアルバムのオープニング曲「Finding My Way」に反映されている。

この状況を救ったもののひとつに、ゲディ・リーとアレックス・ライフソンの間には個人的、そして音楽的な強い繋がりがあった。彼らは共に20歳で、同級生だった中学校から付き合いのある友達だった。また、双方ともカナダへと移民してきた家庭の出身であることも絆を強いものにしていた (アレックス・ライフソンの両親はセルビア生まれ、ゲディ・リーの両親はアウシュビッツ強制収容所を耐え抜いてきた夫婦だった)。

見事なギター・ソロを伴う「Working Man」という曲は、もしかするとラッシュのデビュー・アルバムにおいてキー的な存在かもしれない。この曲はクリームの影響を受け、ブルージーなジャムのノリで、その後何年もの間、ラッシュのコンサートの終わりを飾る最後の一曲としてあり続けた。彼ら自身によるムーン・レコードからオリジナル・アルバムは2、3千枚しかリリースされなかったが、シングル曲「Working Man」はクリーブランド出身のDJ、ドナ・ハルパーを感動させ、何度もオハイオのオンエアされ、アメリカのオーディエンス、そしてマーキュリー・レコードのボスたちの目を向けさせるきっかけとなった。

"Working Man" by Rush (Time Machine Tour: Live In Cleveland) [OFFICIAL]

 

他の注目すべき点は、ゲディ・リーのエネルギッシュなヴォーカルが見られる2分間の速いテンポの「Need Some Love」だ。ロバート・プラントとスモール・フェイセスのスティーヴ・マリオットに影響を受け、トロントの聖歌隊でソプラノだったころから歌を歌ってきた。1971年にゲディ・リーが書いていた「In The Mood」の一曲を除き、ラッシュのデビュー・アルバムに収録された8曲すべての曲をゲディ・リーとアレックス・ライフソンは共同で制作。7分にも及ぶ「Here Again」は、40分間のレコードの中で最も長い曲である。

Billboard誌は注目を集めたラッシュに対するレヴューが1974年8月に公表された。「ゲディー・リーによるしばしロバート・プラント風のリード・ヴォーカル、アレックス・ライフソンによるパワフルなギターワーク、ジョン・ラトジーによる堅実なドラムによって強調された良質のハード・ロックを味わせてくれる。AMでもFMでも聴ける良き音」とトリオを絶賛した。

ゲディ・リーはラッシュのデビュー・アルバムを “即席” と説明した。しかしそれは何年たっても古びることなく、なぜバンドが『Rush (邦題: 閃光のラッシュ)』のリリースから6ヶ月と経たたない間に、ジョン・ラトジーの代わりに加入したニール・パートと共に、その続作『Fly By Night』のレコーディングをスタートさせ、スターの座にのし上がったのかを教えてくれるだろう。

Written by Martin Chilton


 

 

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