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ソフト・セルのデイヴ・ボールが66歳で逝去。その功績を辿る

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Photo: Fin Costello/Redferns

シンセポップデュオ、ソフト・セル(Soft Cell)の一員として名声を博したエレクトロニック・ミュージシャンのデイヴ・ボール(Dave Ball)が逝去した。ボールの代理人はガーディアン紙に対し、同ミュージシャンが「水曜日にロンドンの自宅で睡眠中に安らかに息を引き取った」と語った。66歳だった。

ソフト・セルのバンドメイトであるマーク・アーモンドは、木曜日の朝、自身のインスタグラムにてボールに追悼の意を表し、ボールが「長きにわたり病を患っており、近年その健康状態はゆっくりと悪化していた」と記している。彼に対して「素晴らしく卓越した音楽の天才」と偲び、アーモンドは次のように綴った。

「彼の音楽を愛したファンから、彼は永遠に愛されるだろう。月並みな言い方だが、音楽は生き続け、世界のどこかでいつでも誰かがソフト・セルの曲を聴き、演奏し、踊り、そして喜びを得ているのだ」

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Soft Cell – Tainted Love (Official Music Video)

その生涯

1959年にイングランドのチェスターで生まれたボールは、幼少期に養子としてブラックプールで育てられた。ボールはザ・クワイータスとのインタビューで、ブラックプールを「ビーチやたくさんのゲームセンターがあったので、本当に育つのに最高の場所だった」と回想している。彼は早くから音楽に興味を抱き、クラフトワークの1975年のアルバム『Autobahn』に触発された後、リーズ工芸学校で学び、そこでアーモンドと出会い、二人は1979年にソフト・セルを結成した。

最初の数枚のシングルは大きな成功を収めなかったが、3枚目のシングル「Tainted Love」が世界的なヒットとなった。グロリア・ジョーンズが1964年に発表した楽曲のカバーである「Tainted Love」は、グループをスターダムに押し上げ、その後の「Bedsitter」「Say Hello, Wave Goodbye」「Torch」「What」を含む、UKにおける一連のヒットのきっかけとなった。

Soft Cell – Torch

しかし、それら成功は二人の若きミュージシャンに大きな負担となり、彼らは1984年にグループを解散した。だが、彼らは2000年に再結成し、最近では2023年にもソフト・セルとして共にパフォーマンスを行っていた。

ソフト・セルの解散後もボールは音楽制作を続け、1988年にはリチャード・ノリスとデュオ「ザ・グリッド」を結成し、レイヴ・シーンやアシッド・ハウスのジャンルにも足を踏み入れた。1990年代には、カイリー・ミノーグの1997年のアルバム『Impossible Princess』に収録された「Breathe」など、他のアーティストの楽曲プロデュースも手掛けた。この曲はイギリスでトップ20ヒットとなった。

2020年、デイヴ・ボールは自身キャリアを振り返り「自分がやってきたことには、かなり満足している」と語っていた。

Written By Sam Armstrong



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