1956年1月のバディ・ホリーのレコーディング・デビュー

Published on

1956年1月26日、バディ&ザ・トゥー・トーンズが初めてのレコーディングを行った。「バディと誰だって?」そんな風に思う向きもあるかもしれない。当時は誰も気づいていなかったが、これこそがのちの伝説的歌手バディ・ホリーのスタジオ初録音だった。

チャールズ・”バディ”・ホリーとその友人たちはエキサイティングなかたちで1956年のスタートを切った。前の年、このメガネをかけたバディ・ホリーは、まだ高校生でありながら数々のライヴをこなしていた(たとえば故郷のテキサス州ラボックでは、新進気鋭の歌手エルヴィス・プレスリーの前座も務めている)。やがて高校を出たバディ・ホリーはデッカ・レーベルと1年契約を結ぶ。それとほぼ同時に、彼はチェダーウッドという音楽出版社と3年間の著作権契約も結んでいた。

こうして1956年の1月末、バディ&ザ・トゥー・トーンズ(他のメンバーはソニー・カーティスとドン・ゲス)は、ナッシュヴィルでプロデューサーのオーウェン・ブラッドリーの自宅納屋に入り、初めてのレコード録音に臨んだ。録音された曲の中には「Midnight Shift」や「Don’t Come Back Knockin’」も含まれていた。やがて到着したバディ・ホリーの契約書では、苗字の「Holley」が誤って「e」が抜けたスペリングで記されていた。しかし彼はあえて訂正しないことに決め、その日から「Buddy Holly」と名乗ることになった。

この年はさらにライヴを重ね、デッカでのレコーディング・セッションも7月と11月にもう2回行われた(7月のレコーディングでは、「That’ll Be The Day」の最初のヴァージョンも録音されている)。しかし1957年初め、デッカは契約を更新しないという決定を下し、バディ・ホリーのレコード契約は1年で終わってしまう。

そんななかではあるが、バディ・ホリーは自分の才能を何とか花開かせようと固く決意していた。そしてニューメキシコ州クローヴィスにあったノーマン・ペティのスタジオで、再びレコーディングに挑戦した。そこで新たに吹き込んだ「That’ll Be The Day」こそが、やがて大ヒットとなるヴァージョンだった。法律上の問題を考慮した結果、バンドの名前はクリケッツに変更。さらに新しく録音されたマスター・テープは、デッカの子レーベル、コーラルが買い取ることになった。こうしてバディ・ホリーの再出発の準備は整った。それから生み出された数々の名曲のおかげで、彼とクリケッツの名はロックン・ロールの伝説となっていくのだ。

Written by Paul Sexton



Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
Exit mobile version