ブライアン・アダムスの人生:熟練のカナディアン・ロッカーの経歴と名曲

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Photo: Fin Costello/Redferns

2026年1月26日から来日公演が行われるブライアン・アダムス(Bryan Adams)。そんな彼の経歴にそって名曲が生まれた歴史をご紹介。

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カナダ人ロッカーの略歴

カナダ人ロック・シンガーのブライアン・アダムスは、1978年にA&Mレコードと契約。翌年にリリースした1stシングル「Let Me Take You Dancing」は本国でマイナー・ヒットを記録した。その後1980年にデビュー・アルバム『Bryan Adams』を発表した彼は、1987年の『Into The Fire』までに、さらに3作のアルバムをリリース。その中には1981年の『You Want It You Got It』や1983年の『Cuts Like A Knife』なども含まれるが、後者には彼にとって初の全米トップ10シングルとなった「Straight From The Heart」も収録されていた。

そんな彼がイギリスなどヨーロッパ諸国でのブレイクを果たしたのは1985年のこと。ラジオ向きの名アンセム「Run To You」が全英11位をマークしたほか、多くの国のヒット・チャートに入ったのだ。同曲はアメリカでも6位に入ったが、あとから同じ年にリリースされた「Heaven」はそれをも上回る人気を博し、全米チャートを制した。しかし意外なことに同曲は英国をはじめとするほかの地域でそれほどヒットしなかった。

とはいえ、そうしたシングルの好評も助けとなって「Run To You」と「Heaven」のほか、「Summer of ’69(想い出のサマー)」を含むシングル曲の数々を収録したアルバム『Reckless』はアメリカで1位、ほかの多くの国でもトップ10に入った。逆に、次作『Into The Fire』はアメリカでのチャート成績こそ7位と前作を下回ったが、ヨーロッパの多くの国々では大ヒットを記録。

しかしこれも、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ドイツなどでいずれも首位を獲得した1991年作『Waking Up The Neighbours』の成功には及ばない。このアルバムには、ビルボード・ホット100チャートで彼にとって二度目の首位獲得を果たすなど記録的なヒットとなった「(Everything I Do) I Do It For You」も収録。映画『ロビン・フッド』の主題歌に起用された同曲はフランス、オーストラリア、ドイツ、イギリスなど世界各国のチャートを制したが、特に全英シングル・チャートでは実に16週も連続で1位の座を守り続けた。ブライアンのアルバム群が大きな成功を収めてきたのは、よく作り込まれ、演奏の質も高い楽曲が世界中のファンたちの心を動かし続けてきた結果なのである。

 

生い立ちと初期のバンド活動

アダムスはオンタリオ州キングストンで、1950年代にイングランドから移住してきたイギリス人の両親のもとに生まれた。彼の父はカナダ陸軍に入隊したのち、国際連合の平和維持監視員やカナダの外交官としても勤務。外交官としてヨーロッパや中東にも駐在したため、ブライアンは幼少のころから両親と世界中を転々としながら育った。その中でイギリスや中東諸国にも滞在したほか、ポルトガルのリスボンでは4年以上、オーストリアのウィーンでも1年を過ごしたという。

アダムスは14歳のとき、上等なギターの購入資金を貯めるために皿洗いのアルバイトを開始。その仕事を1年で辞めると、ギタリストとしてオーディションを受けつつ、母が借りたノース・ヴァンクーヴァーの地下室で自身のバンドのリハーサルも行うようになった。彼はシンガーが見つかるまでのつもりで歌も担当していたが、結局適任が見つかることはなかった。

また、彼はオーディションを通じてショックやスウィーニー・トッドなどいくつかのバンドにも参加。特に後者は1976年、当時15歳のアダムスがヴォーカルで参加した『If Wishes Were Horses』をリリースしてもいる。そうして彼は学校を中退し、ナイトクラブで演奏したり、ツアーを回ったりするようになった。

ツアー生活から戻るとヴァンクーヴァーでスタジオ・ミュージシャンとして活動し始め、CBC(カナダ放送協会)でバック・ヴォーカルを務めたり、キーボーディストのロビー・キングと仕事をしたりした。アダムスによれば、初めて報酬が出るセッションの仕事をくれたのはキングだったという。

 

ジム・ヴァランスとの出会いと1ドルの契約金でのデビュー

1978年、18歳になったアダムスは、ヴァンクーヴァーの楽器店で共通の友人に紹介されてジム・ヴァランスと知り合う。ヴァランスはもともとヴァンクーヴァーを拠点とするロック・バンド、プリズムでドラムを叩きながら作曲の中核を担っていたが、同グループを抜けてスタジオ・ミュージシャン/ソングライターとしての活動に専念し始めたところだった。

2人は数日後にヴァランスの自宅スタジオで会う約束をし、これが現在まで続くパートナー関係のスタートになった。そしてアダムスは同年のうちに、たった1ドルの契約金でA&Mレコードと契約。1978年当時に作られた最初期のデモもこれまでに発掘されており、その中には「I’m Ready」(『Cuts Like A Knife』のほか『MTV Unplugged』でも取り上げられた)や1stアルバムに収録された「Remember」も含まれる――いずれも1stアルバムのリリース前からほかのアーティストにカヴァーされていた楽曲だ。

同じくこの時期には、1979年3月にカナダのRPMチャートにランクインした「Let Me Take You Dancing」や同シングルのB面に配された「Don’t Turn Me Away」も録音。また、「Straight From The Heart」が作曲されたのもこのころのことで、同曲は1983年になってアダムスの3rdアルバム『Cuts Like A Knife』に収録。シングルとしてリリースされると、1983年の全米チャートで彼の楽曲として初のトップ10入りを果たした。

アダムスは1980年2月にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリース。同作を皮切りに、ジム・ヴァランスと長きに亘って共同で作曲をするようになった。また、「Remember」と「Wastin’ Time」を例外として、その収録曲の大半は1979年10月29日から11月29日までのあいだにトロントのマンタ・スタジオで録音されたもの。アダムスとヴァランスが共同プロデュースした同作は、1986年にカナダでゴールド・ディスクの認定を受けている。

一方、ニューヨークにて2週間で録音された2ndアルバム『You Want It You Got It』は、アダムスが初めてボブ・クリアマウンテンを共同プロデューサーに迎えた1作になった。1981年発表の同作にはFMラジオで評判になった「Lonely Nights」も収められていたが、本国以外での彼の認知度、人気、セールスを一気に向上させたのは次の3rdアルバムだった。

このころ、アダムスはほかのアーティストの楽曲の作曲にも関わるようになっていた。その中にはボニー・レイットの「No Way To Treat A Lady」、プリズムの「Don’t Let Him Know」、38スペシャルの「Teacher, Teacher」、ジョー・コッカーの「Edge Of A Dream」など、ビルボード・チャートに入ったヒット曲も多く含まれる。

 

『Reckless』の大ヒットと世界的ブレイク

1983年1月発表の『Cuts Like A Knife』は、シングル曲の成功も追い風となってアダムスにとってのブレイク作になった。特に、その中で最大のヒットを記録した「Straight From The Heart」は米ビルボード・ホット100チャートで10位まで到達。同じくシングル・カットされた「Cuts Like A Knife」も15位をマークし、「This Time」もこのチャートにランクインした。

そんな同アルバムのシングルのうち4曲にミュージック・ビデオが作られたが、中でも一番の知名度と人気を誇る楽曲となったのが「Cuts Like A Knife」だ。同曲のミュージック・ビデオはテレビの音楽専門チャンネルでひっきりなしに流れていたのである。結果としてアルバム自体も米ビルボード200チャートで8位まで上昇。カナダではトリプル・プラチナ、アメリカでもプラチナ、オーストラリアでもゴールドの認定を受けた。

アダムスとボブ・クリアマウンテンが共同プロデュースした次作『Reckless』はビルボード200チャートで首位を獲得。1984年11月にリリースされたこのアルバムからは、「Run To You」「Summer of ’69」「Heaven」「One Night Love Affair」「Somebody」、ティナ・ターナーとデュエットした「It’s Only Love」がシングル・カットされた。いずれのシングルにもミュージック・ビデオが作られ、すべてビルボード・ホット100チャートに入ったが、中でも「Run To You」「Summer of ’69」「Heaven」の3曲はトップ10に食い込んだ。

特に「Heaven」は、リリースされるや否や各種ヒット・チャートで『Reckless』のシングルの中での最高成績をマーク。ビルボード・ホット100では1位、同メインストリーム・ロック・チャートでは9位まで到達した。

また、「It’s Only Love」はグラミー賞の最優秀ロック・パフォーマンス賞(ヴォーカル入りデュオまたはグループ部門)にノミネートされたほか、1986年のMTVアワードでは最優秀ステージ・パフォーマンス賞に選ばれている。さらにはアルバム自体もグラミー賞の最優秀男性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞にノミネートされ、アメリカでは5×プラチナに認定されるなどアダムス最大のヒット作になった。

アダムスは同作のプロモーションのため、1984年12月から2年に及ぶ凄まじい規模のワールド・ツアーを開催。同ツアーではまずカナダとアメリカを回り、それから日本、オーストラリア、イギリスで演奏したのちカナダへ凱旋した。そして母国のジュノー賞で4部門を手にした彼は、次にアメリカ西海岸へと南下。その一連の公演は、ロサンゼルスのハリウッド・パラディアムで華々しく行われた2回のライヴでクライマックスを迎えた。

このアメリカ・ツアーのあと、アダムスはカナダの有名アーティストが集結したプロジェクト、ノーザン・ライツに参加し、アフリカの飢饉に対する救済活動の一環として「Tears Are Not Enough」を録音。その後ヨーロッパでロック・シンガーのティナ・ターナーとともに50都市を回り、4月にロンドンのハマースミス・オデオンで行われた満員御礼の3公演でこの欧州ツアーを締め括った。

続いて彼は”World Wide In ’85″と題したツアーの前半戦をオクラホマからスタートさせ、こちらは同年10月に終了。そのあとカナダのヴァンクーヴァーでのコンサートを挟んでアメリカ東海岸に戻り、ニューヨークでは会場いっぱいの観客に向けて2公演のステージを披露した。

その『Reckless』に続くアルバム『Into The Fire』がリリースされたのは1987年のこと。同作はブリティッシュ・コロンビア州ヴァンクーヴァーのクリフハンガー・スタジオで録音されたあと、ロンドンのAIRスタジオとヴァンクーヴァーのウェアハウス・スタジオでミキシングされた。そして「Heat Of The Night」や「Hearts On Fire」といったヒット曲を収めたこのアルバムは、英米両国のチャートでトップ10入りを果たしたのだった。

そのほか、1989年にアダムスはモトリー・クルーのアルバム『Dr. Feelgood』やベリンダ・カーライルの「Whatever It Takes」(アルバム『Runaway Horses(輝きのままで)』に収録)にバック・ヴォーカルで参加してもいる。

 

歴史的ヒット「(Everything I Do) I Do It For You」と90年代の全盛期

アダムスがマット・ラングと共同プロデュースした次作『Waking Up The Neighbours』は、ビルボード200チャートで6位をマーク。一方、アメリカ以外でもそれ以上の好成績を残し、市場規模の大きいイギリスとドイツのチャートではいずれも首位を獲得した。1991年9月発表の同作の目玉は、ビルボード・ホット100チャートで彼にとって2曲目のナンバー・ワン・ヒットとなった「(Everything I Do) I Do It For You」である。

この曲は、ケヴィン・コスナーやアラン・リックマンが出演した映画『ロビン・フッド』の主題歌にも起用。アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、ドイツなど主要市場を含む世界中の多くの国でチャートの首位に立った。特に全英シングル・チャートでは16週連続で1位を獲得し、スリム・ホイットマンが1955年に「Rose Marie」で樹立した記録を更新。そんな同曲はアメリカでも同様に記録的なセールスを上げている。

また、国内の音楽を一定時間以上流すことがラジオ局に義務付けられているカナダでは、このアルバムの収録曲をその法定時間に算入できるよう1991年にコンテンツ規制が改正された。そして「(Everything I Do) I Do It For You」は、1991年のグラミー賞でアダムスに最優秀楽曲賞(映画もしくはテレビ向け)の栄冠をもたらした。

このアルバムを引っ提げて行われたツアー”Waking Up The World”は、1991年10月4日に北アイルランドのベルファストで開幕。同年12月17日と18日にはアダムスがアイスランドのレイキャヴィークで初めて演奏し、そのあと彼はアメリカで一連のコンサートをこなした。中でも翌1月10日にニューヨークのリッツ・シアターで行われたコンサートのチケットは20分足らずで完売したといい、当日はベン・E・キングやノナ・ヘンドリックスといった業界のレジェンドも会場に足を運んだ。

そのあと”Waking Up The World”ツアーでは1月13日のノバスコシア州シドニー公演を皮切りに、1月31日にヴァンクーヴァーで行われたオール・スタンディング公演までカナダ全土を回った。1992年2月にはシドニーで会見を行ったのち、ニュージーランドとオーストラリアで7公演を開催。そして2月21日からこのツアーの舞台は日本へと移り、6都市で12公演ほどが行われた。

同ツアーでは1992年6月にもイタリア、ドイツ、オランダ、スカンディナヴィア諸国など欧州のいくつかの国々を回り、同7月にはハンガリーとトルコ(「Do I Have To Say The Words?」のビデオはこのとき同国で撮影されたものだ)におけるアダムス初の公演も行われた。

また、こうした長いツアーの期間にも『Waking Up The Neighbours』からの新たなシングルがリリースされており、ロック・サウンドの「Can’t Stop This Thing We Started(愛は止められない)」は全米2位、「Do I Have To Say The Words?」も同じく11位をマーク。

さらにイギリスでは「Thought I Died And Gone To Heaven」がトップ10に入り、「(Everything I Do) I Do It For You」に次ぐ好成績を残した。そののち1992年の9月から12月にかけてはアメリカでツアーが行われ、翌1993年2月にはタイ、シンガポール、日本、香港とアジア各国でライヴを開催。最後は3月から5月まで再び米国で一連の公演が行われた。

 

コラボレーションと2000年代以降の活動

アダムスは1993年11月、『So Far So Good』と題したベスト・アルバムをリリース。こちらもイギリス、ドイツ、オーストラリアなど多くの国のチャートを制した。そして同作に収録された唯一の新曲である「Please Forgive Me」もオーストラリアで首位を獲得したほか、アメリカ、イギリス、ドイツでもトップ3入りを果たした。

翌1994年、彼はロッド・スチュワート、スティングの2人とコラボしたシングル「All For Love」を発表。映画『三銃士』の主題歌として書き下ろされたこの曲も、世界中のチャートを席巻した。

同様に、1995年発表の「Have You Ever Really Loved a Woman?」(映画『ドンファン』のサウンドトラック盤に収録)も米豪で首位を獲得し、英独でもトップ5入りを果たした。また、1996年6月リリースのアルバム『18 Til I Die』からは、シングル曲の「The Only Thing That Looks Good On Me Is You(君しか見えない)」と「Let’s Make A Night To Remember」がいずれも全英トップ10入り。アルバム自体は、アメリカのビルボード200チャートでは31位止まりだったが、この順位を3週に亘って守り続けた。

他方、ヨーロッパやオーストラリアではそれ以上の好成績を残し、全英アルバム・チャートではアダムスにとって3作連続となる首位を獲得。アメリカでも時を経てプラチナ・ディスクに認定されたが、同作以降、アダムスのスタジオ・アルバムはRIAA(米国レコード協会)によるゴールド以上の認定を受けるには至っていない。他国での記録を見ると、『18 Til I Die』はカナダとオーストラリアでトリプル・プラチナ、イギリスでもダブル・プラチナを獲得している。

同年7月27日、アダムスはロンドンのウェンブリー・スタジアムで約7万人の観客を前に演奏。彼がウェンブリーを満員にしてライヴを行うのはこれで二度目だったが、特にこの日は彼のキャリアにおける最大規模のコンサートになったと言われている。というのも、このステージは世界25ヶ国に生中継されたほか、会場にも世界中からファンが詰めかけていたのだ。そしてその演奏自体も、批評家やファンから軒並み絶賛されるほどの出来だった。

翌1997年の12月、アダムスは「Back To You」「A Little Love」「When You Love Someone(誰かを愛する時)」という3つの新曲を含むライヴ盤『MTV Unplugged』を発表。そのうち「Back To You」は同作からの1stシングルとしてリリースされ、続いて『Cuts Like A Knife』収録曲のアコースティック・ヴァージョンである「I’m Ready」もシングル・カットされた。それらのシングルは英国でともにトップ20入りを果たし、ドイツではアルバム自体がトップ10に入る成功を収めた。

1998年にリリースされた『On A Day Like Today』は、現時点で1981年作『You Want It You Got It』以来初めてRIAAの認定を逃したスタジオ・アルバムとなっている。同作の発売とちょうど同じ時期に、彼のレコード契約はインタースコープ・レコードに売却されていた。そのためインタースコープがどこまで関与していたかは分からないが、そうした中でも『On A Day Like Today』は世界的な大ヒットを記録し、独チャートではトップ5入り。イギリスでもプラチナ・ディスクに認定された。

また、「Cloud Number Nine」と「When You’re Gone」(スパイス・ガールズのメラニー・Cとのデュエット曲)という2作のシングルも英シングル・チャートでトップ10に食い込んだ。

続いてアダムスは2000年の到来を間近に控えたタイミングで『The Best Of Me』をリリース。以前のベスト・アルバムよりもさらに網羅的な内容となった同作にも、表題曲の「The Best Of Me」と全英1位を獲得した「Don’t Give Up」という2つの新曲が収められた。

そしてこの編集盤自体も独チャートでトップ10入りしたほか、カナダではトリプル・プラチナ、イギリスでもプラチナ・ディスクに認定。「The Best Of Me」はシングルとしても各地で大ヒットを記録したが、インタースコープがシングル/アルバムともにリリースしなかった米国はその例外となった。

https://youtu.be/KF-F_Jlk9HQ?si=9OgjxEto3REOptrW

2000年、アダムスはシケインのアルバム『Behind The Sun』に収録された1曲「Don’t Give Up」で作曲とヴォーカルを担当。電子的な加工が施されてはいたが、それでも彼の特徴的な歌声は一聴してそれと分かるものだった。なお、アダムスはこの曲の公式ミュージック・ビデオにも出演している。

2002年には、ドリームワークスが制作したアニメーション映画『きれいな涙 スピリット』の劇中歌をアダムスが作曲し、自ら演奏。それらの楽曲は同映画のサウンドトラック盤にも収められた。その中でも「Here I Am」はシングルとして成功を収め、英チャートでトップ5、独チャートでトップ20入りを果たした。さらに同曲は米ゴールデン・グローブ賞にて、アダムスのキャリアで四度目となる主題歌賞へのノミネートを受けた。

 

2004年、米ARCウィークリーは過去25年間に活躍したポップ・アーティストのランキングを発表。このころまでに全米1位に4曲、同トップ5に10曲、トップ10に17曲を送り込んでいたアダムスは、13位にランクインした。そして彼は2004年9月、前作『On A Day Like Today』から6年ぶりとなるスタジオ・アルバム『Room Service』をリリース。ドイツとスイスのチャートで1位、イギリスで4位を記録した同作は、ヨーロッパで初週に44万枚を売り上げたことで、米ビルボードの欧州アルバム・チャートでも初登場1位をマークした。

また、同作最大のヒット・シングルとなった「Open Road」も母国カナダで1位、イギリスでは21位の好成績を残している。他方、アメリカでは2008年5月になってようやく『Room Service』が発売されたが、ビルボード200チャートでの成績は134位止まりだった。

このあとアダムスは2005年、初の2枚組コンピレーションである『Anthology』をリリース。同作にも2つの新曲が含まれていたほか、米国盤にはパメラ・アンダーソンを迎えた「When You’re Gone」の新ヴァージョンも収録された。そして同じく2005年、彼はパメラが主演を務めたフォックス放送のコメディ・ドラマ『Stacked』のシーズン2の放送開始に合わせ、そのテーマ曲を再録してもいる。

翌2006年にアダムスは、ケヴィン・コスナーとアシュトン・カッチャーが出演した映画『守護神』の主題歌を作曲/録音。その「Never Let Go」は、映画のエンド・クレジットで使用された。また、彼が映画『Bobby(ボビー)』のテーマ曲である「Never Gonna Break My Faith」の作曲に関わったのもこの時期のこと。R&Bシンガーのアレサ・フランクリンとメアリー・J・ブライジが歌った同曲は、2007年のゴールデン・グローブ賞にもノミネートされた。

2008年3月17日、アダムスは11作目となるアルバムを世界各国でリリース。ズバリ『11』と名付けられたこのアルバムは、アメリカでは同年5月13日に小売店のウォルマートとサムズ・クラブ限定で発売された。そして彼は1stシングルに選ばれた「I Thought I’d Seen Everything」などを収める同作のプロモーションのため、11日で欧州11ヶ国を回るアコースティック・ツアーを敢行。その効果もあってか、『11』は母国カナダで初登場1位を獲得(同国での首位獲得は1991年作『Waking Up The Neighbours』以来)したほか独チャートでも2位につけたが、米アルバム・チャートでの成績は80位に終わっている。そののちの2009年5月、アダムスはTwitter(当時)を通じ、パリにて新作アルバムの作曲とレコーディングを進めていることを公表した。

2010年11月、アダムスはアコースティック・アルバムの『Bare Bones』をリリース。これは、彼が”Bare Bones Tour”の中で同年に入ってから各地で録音したライヴ音源をまとめたものだった。そして同作が翌年にインドでゴールド・ディスクに認定されると、彼は同国のファンに向けて多大なるサポートへの感謝を伝えた。

Written By uDiscover Team


ブライアン・アダムス2026年来日公演日程

1月26日(月)日本武道館 18:00開場/19:00開演
1月27日(火)日本武道館 18:00開場/19:00開演
1月28日(水)Asueアリーナ大阪 18:00開場/19:00開演
来日公演公式サイト




 

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