ザ・ローリング・ストーンズ、1970年代のベスト・ソング・ランキングTOP20

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ザ・ローリング・ストーンズは、1970年代にロックン・ロールの潮流を決定づけた。そしてその10年間に彼らが残した作品の中でも特に優れた楽曲群を聴くと、彼らがなぜあれほど特別視されたのか容易に理解できる。


一つのバンドとして、1970年代のザ・ローリング・ストーンズは唯一無二の存在だった。この時期、彼らはライヴ・バンドとして他の追随を許さない圧倒的な評価を確立し、やがて“世界最高のロックン・ロール・バンド”とされるまでになっていた。また、1970年代の彼らは、レコーディング・スタジオでも『Sticky Fingers』『Exile On Main St (メイン・ストリートのならず者)』、Goats Head Soup (山羊の頭のスープ)』といった傑出したアルバムを残している。ローリング・ストーンズの1970年代の最高の楽曲群は、グループの最高の瞬間の記録であると同時に、1970年代のロックン・ロールが進むべき指標にもなった。

以下に列記したのは1970年代のローリング・ストーンズをそんな比類なき存在にした時代を超えた名曲である。漏れている曲があるだろうか?そんな風に思われるなら、是非コメント・セクションを通じてあなたのチョイスを私たちに知らせてください。


 

20位: Memory Motel (1976年) – アルバム『Black And Blue』収録

ミック・ジャガーとキース・リチャーズが共作した総尺7分を超えるバラード「Memory Motel」は、その発表以来、ローリング・ストーンズのステージでもたびたび取り上げられてきた。かつてグループの面々は、アンディ・ウォーホルらとともにイースト・ハンプトンはモントークにあるメモリー・モーテルという名のモーテルを訪れている。この曲はその経験から生まれたものだ。

ミック・ジャガーとキース・リチャーズをこのモーテルに案内した写真家のピーター・ベアードによれば、モーテルのオーナーである老夫婦は、この曲に不快感を示したという。しかし、メモリー・モーテルの名前が気に入ったジャガーはどうしても、これをタイトルにせずにはいられなかった。そして榛色の瞳の独立心のある”愛らしい娘”の歌が生まれたのだった。この曲のレコーディングでは、トップ・クラスのセッション・ミュージシャン、ビリー・プレストンがアコースティック・ピアノを担当した。

 

19位: Dance Little Sister (1974年) – アルバム『It’s Only Rock ‘n’ Roll』収録

1974年に発表された「Dance Little Sister」は、疑問の余地なく1970年代のローリング・ストーンズのベスト・ソングのひとつに数えられるが、それまでの10年間のいつ作られていたとしても不思議ではない。そんな曲だ。ミック・ジャガーは、トリニダードでビアンカ・ジャガーと休暇を過ごしていたが、この曲は、彼の地でビアンカとダンスを楽しんだ思い出から生まれたと言われている。 今もなおファンの人気が高く、ストーンズのコンサートでこの曲が披露されると観客は歓喜の声を上げる。

 

18位: Sweet Virginia (1972年) – アルバム『Exile On Main St. (メイン・ストリートのならず者)』収録

自作の荒々しいロック・ナンバーとブルース・ナンバーのカヴァーに定評のあるローリング・ストーンズだが、「Sweet Virginia」ではシャッフル・ビートのカントリー・ミュージックにもその魅力を発揮できることを証明してみせた。ジャガーの奏でるクールなハーモニカ・ソロ、ボビー・キーズのサックス・ソロ、そしてドクター・ジョンとシャーリー・グッドマンによる生き生きとしたバック・ヴォーカルをフィーチャーした楽しげなこのトラックを、面々は実に楽しげに演奏している。

 

17位: Sway (1971年) – アルバム『Sticky Fingers』収録

ミック・テイラーのすばらしいボトルネック/スライド・ギター・ソロと、演奏をリードするチャーリー・ワッツのパワフルなドラミング、暗い歌詞 (… broke up your mind/Destroyed your notion of circular time  | 酷く憂鬱で/時間の感覚さえ失っている)を特徴とした、ジャガーとリチャーズの共作による、ゆったりとしたテンポのブルージーばナンバー。スモール・フェイセスのロニー・レインとザ・フーのピート・タウンゼントがバック・ヴォーカルで参加している。

 

16位: Happy (1972年) – アルバム『Exile On Main St. (メイン・ストリートのならず者)』収録

1972年に米チャート最高位22位のマイナー・ヒットを記録した「Happy」は、ローリング・ストーンズの作品の中で、最もスピーディに完成したもののひとつだ。ある日の午後、キース・リチャーズは、南フランスの自身の別荘でこの曲の歌詞の大部分を書き上げ、自らのリード・ヴォーカルでレコーディングに臨んでいる。ローリング・ストーンズ・モバイル・スタジオを使用してレコーディングされたこの曲は、リチャーズによれば、「4時間もかからずに完成した」のだという。この陽気で楽観的な曲ではニッキー・ホプキンスがピアノを演奏している。続けてリチャーズが説明する。「この曲の仕上がりに俺はとても満足していた。で、そのときの気分をそのままタイトルにしたんだ」。

 

15位: Fool To Cry (愚か者の涙) (1976年) – アルバム『Black And Blue』収録

1976年のアルバム『Black And Blue』のレコーディングを前にミック・テイラーがグループを脱退してしまったため、ストーンズの面々は新しいギタリストの候補を物色しながらレコーディングを進めていった。マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオのレギュラー・ミュージシャンの一人として、その演奏に定評のあったウェイン・パーキンズも、机上に名前の挙がったギタリストの一人で、「Fool To Cry (愚か者の涙)」に彼ならではのムーディなサウンドで貢献している。この甘美なバラードはテレビ界のスターで作家のレナ・ダーラムのお気に入りの1曲で、彼女は自身が主演を務めるテレビ・シリーズ「Girls」のためにこの「Fool To Cry」のニュー・ヴァージョンの提供を依頼している。

 

14位: Fingerprint File (1974年) – アルバム『It’s Only Rock ‘n’ Roll』収録

ミック・ジャガーとキース・リチャーズが(”ザ・グリマー・トゥインズ”の変名で)プロデュースを担当した、1974年のアルバム「It’s Only Rock ‘n’ Roll」のクロージングトラック「Fingerprint File」はロックとダンス/エレクトロニック・ミュージックの融合を試みた実験的な作品である。そのサウンドは、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの影響を滲ませたものになっており、リチャーズは、狙い通りのギターの音色を獲得するためにワウ・ワウ・ペダルを使用している。歌詞は、リチャード・ニクソン大統領の過剰な統治を反映したものになっており、「Listening to me/On your satellite (人工衛星を使って/電話を盗聴している)」といったフレーズでFBIと腐敗した政府を批判している。

 

13位: Dancing With Mr D (1973年) – アルバム『Goats Head Soup (山羊の頭のスープ)』収録

「Dancing With Mr. D」は『Goats Head Soup (山羊の頭のスープ)』(同作のレコーディング・セッションの一部はジャマイカはキングストンのダイナミック・サウンド・スタジオで行われている)のオープニングを飾る、危ういムードを漂わせたファンキーなナンバー。ガーナのミュージシャン、リーバップ・クワク・バーの秀逸なパーカッション・プレイを得たパワフルなビートをバックに「Down in the graveyard where we have our tryst/The air smells sweet, the air smells sick (俺たちは墓場で会う/吐き気を催すような/甘たるい匂いが漂うあの場所で)」と言う歌詞が歌われる。

 

12位: Angie (悲しみのアンジー) (1973年) – アルバム『Goats Head Soup (山羊の頭のスープ)』収録

1973年に発表されたアコースティックバラード「Angie (悲しみのアンジー)」も同じく『Goats Head Soup (山羊の頭のスープ)』の収録曲のひとつで、こちらはアメリカのチャートで首位を獲得している。それは多くの人たちが「アンジーとは誰?」という疑問の答えに好奇心をそそられ、この曲に魅了された結果だった。女優のアンジー・ディキンソン、同名のデヴィッド・ボウイの最初の妻だったアンジェラ・ボウイ、グループのギタリスト、キース・リチャーズの娘(ダンデライオン・アンジェラ・リチャーズ)、アンジーの正体についてはさまざまな憶測が乱れ飛んだ。この曲のプロモーション・ビデオは、ロニー・バーカーのコメディ・ショーでそのキャリアをスタートさせたサー・マイケル・リンジー・ホッグによって撮影されている。

 

11位: Torn And Frayed (1972年) – アルバム『Exile On Main St. (メイン・ストリートのならず者)』収録

ローリング・ストーンズが1970年代に残した名曲の多くがそうであるように、「Torn And Frayed」もまた南フランスでレコーディングされた1曲で、ここではテキサス生まれのミュージシャン、アル・パーキンスがペダル・スティール・ギターを演奏している。ストーンズの作品の中で、この「Torn And Frayed」ほどグラム・パーソンズ(このトラックがレコーディングされたころはまだ健在だった)の影響が強く感じられる曲はないだろう。カントリー・ソウル風の曲調は彼のバンド、フライング・ブリトー・ブラザーズ(アル・パーキンズはこのグループで演奏していた)の作品、特に1969年のデビュー・アルバム『The Gilded Palace Of Sin (黄金の城)』を彷彿させる。

 

10位: Before They Make Me Run (1978年) – アルバム『Some Girls (女たち)』収録

「Before They Make Me Run」は、キース・リチャーズが書いた最も私的な歌のひとつであり、1973年のグラム・パーソンズの薬物の過剰摂取による死後に書かれている。1977年2月、リチャーズはヘロインの不法所持を理由に逮捕されたが、友人だったパーソンズと同様に長く薬物の問題を抱えていた彼は、そのころまさに依存症を脱するための治療法を探っていたところだった。「Before They Make Me Run」は、このギタリストが5日間不眠で過ごしていたそんな時代に作られた曲で、当初は「Rotten Roll」というタイトルが付けられていた。スティーヴ・アール、グレート・レイク・スイマーズらがカヴァー・ヴァージョンを残している。

 

9位: Doo Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker) (1973年) – アルバム『Goats Head Soup (山羊の頭のスープ)』収録

ジャガーとリチャーズの共作曲に、これほど強い怒りを滲ませたものは見当たらない。1973年4月、クリフォード・グローヴァーという名の10歳の少年が、武装強盗の容疑者と間違えられ、ニュー・ヨークで私服警官に拳銃で胸を撃ち抜かれた。この忘れ難い事件を受けて作られたのが、「You heartbreaker, with your .44 / I want to tear your world apart (44口径の銃を持った無情な連中/お前たちの世界をバラバラにしてやりたい)」という一節を含むこの「Doo Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker)だった。

 

8位: Miss You (1978年) – アルバム『Some Girls (女たち)』収録

キース・リチャーズは、「Miss You」について、”ディスコ・ナンバー”として成功させるべく、周到に組み立てられたトラックだと語っている。この曲のビートはきわめてキャッチーで、キーボード奏者のビリー・プレストンとジャム・セッションを行っていたときにミック・ジャガーが書いたという歌詞はいたってシンプルだ。結果的に、「Miss You」は1970年代のローリング・ストーンズの傑作のひとつに数えられるトラックになるわけだが、ビル・ワイマンは、その成功の要因のひとつにもなった印象的なベース・ラインを常以上の苦心の末に生み出したことを認めている。

彼は自身の成果に心から満足しており、「世界中のありとあらゆるバンドが翌年に備えて(あのパターンを)コピーした」と語っている。この曲はアルバム『Some Girls (女たち)』のハイライトに違いなかったが、タイトル・トラックもまた秀逸なトラックだった。『Some Girls』は米チャートで首位をマークし、グラミー賞の” Album Of The Year (最優秀アルバム賞)”にもノミネートされている。

 

7位: It’s Only Rock’n’Roll (But I Like It) (1974年) – アルバム『It’s Only Rock ‘n’ Roll』収録

「この曲は、あのころ、世間の連中が俺たちに特定のイメージを抱いてたことに着想を得て、それを端緒に生まれたんだ。」「It’s Only Rock’n’Roll (But I Like It)」について、ジャガーはそんな風に語っている。「俺たちは、新作を出すたびに“前のレコードの方が良かった”と言われ続けていた。で、そういう物言いにいい加減うんざりしていたんだ。“t’s Only Rock’n’Roll (But I Like It)”の7インチ盤のジャケットのイラストには、まるで剣のようにペンが胸に突き刺さった俺の姿がある。ジャーナリズムを軽く批判し経って感じだね」。このロック・クラシックのレコーディングは、ある晩、リッチモンドに位置するロニー・ウッドの自宅スタジオで行われた。ベースを演奏しているのはウィリー・ウィークス、またデヴィッド・ボウイがバックアップ・シンガーとして加わっている。

 

6位: Dead Flowers (1971年) – アルバム『Sticky Fingers』収録

キース・リチャーズとミック・テイラーによる痛切なギター・プレイをフィーチャーした陰鬱で如才ないナンバー「Dead Flowers」は、ロンドンでレコーディングされたカントリー調の作品だ。ローリング・ストーンズのオリジナルの中でもとりわけ多くのアーティスト/グループに取り上げられてきた楽曲のひとつで、タウンズ・ヴァン・ザントによるカヴァー・ヴァージョンは、コーエン兄弟が監督を務めた映画『ビッグ・リボウスキ』に使用されている。

 

5位: Wild Horses (1971年) – アルバム『Sticky Fingers』収録

「ミックと俺の古典的な共作手法ってものの成果があるとするなら、“Wild Horses”がまさにそれだろうな」多くの聴き手が、文句なしに1970年代のローリング・ストーンズの傑作のひとつに挙げるであろう「Wild Horses」について、リチャーズはそんな風に語っている。「リフレインとコーラスのフレーズは俺のアイディアだった。そこにミックがヴァースを加えたんだ。“(I Can’t Get No) Satisfaction”がそうだったように、“Wild Horses”もありふれた思いを歌にしたものだ。ツアーに出て、本来、自分が居たい場所から遠く離れることのつらさを歌っている」。

聴く者の心を揺さぶらずにはおかないこの曲の公式ヴァージョンは、グループが1969年の北米ツアーを終えようとしていたころ、アラバマ州はシェフィールドのマッスル・ショールズ・スタジオでレコーディングされている。リチャーズとジャガーの音楽に対する造詣の深さを印象付けるこのトラックには、ジム・ディキンソンがピアニストとして加わっている。かつてディキンソンは、バーボンのボトルを回し飲みしながら1本のマイクで一緒に歌うキースとミックの姿をよく覚えていると語っている。

 

4位: Brown Sugar (1971年) – アルバム『Sticky Fingers』収録

「Brown Sugar」もまた、かのマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオでレコーディングされた傑作だ。「歌詞はドラッグを歌ったものとも女を歌ったものとも取れるものになっていて、それ以上でもそれ以下でもない。完成までに時間はかからなかった」。同じころ、歌手/女優のマーシャ・ハントとのあいだに娘をもうけようとしていたジャガーはこう回想する。

歌詞の一部が問題視され、議論を呼んだが、長年に亘ってステージで取り上げられる中で、そうしたフレーズの一部は取り除かれていった。ジャガーのエネルギッシュな歌唱、ボビー・キーズの奏でるパンチの効いたテナー・サックス、チャーリー・ワッツの刺激的なドラミング、リチャーズの秀逸なギター・プレイ(ライ・クーダーから受けた助言も物を言っている)などが一体となって、この「Brown Sugar」をローリング・ストーンズの1970年代の最高傑作のひとつにしている、

 

3位: Can’t You Hear Me Knocking (1971年) –  アルバム『Sticky Fingers』収録

ミック・テイラーは、「Can’t You Hear Me Knocking」を1970年代のローリング・ストーンズのベスト・ソングに数えられるとするのみならず、グループのすべての楽曲の中でも特に好きな曲のひとつとしてこれを挙げている。実際、リチャーズが奏でるギター・リフは屈指のすばらしさだし、情熱的でパワフルなジャガーのリード・ヴォーカルもまた然りだ。後半のジャム・セッションは、レコーディング・スタジオにおける完全な即興で、このパートが延々と続いたために、「Can’t You Hear Me Knocking」は総尺7分強の大作になっている。

パーカッションを担当しているのは、「You Can’t Always Get What You Want」などの1960年代のストーンズ・ナンバーにも参加しているロッキー・ディジョンで、彼の奏でるコンガは、この名曲をいっそう魅力的なものにしている。

 

2位: Beast Of Burden (1978年) – アルバム『Some Girls (女たち)』収録

ミック・ジャガーによれば、「Beast Of Burden」は「ひとつの姿勢を表した歌」だという。1970年代半ばにさまざまな問題を抱えていたキース・リチャーズは、その数年のあいだ一人で重荷を担ってくれた音楽的なパートナーであるミックに対して、この曲を通じて寓話的に謝意を伝えたというわけだ。同時にこれは、彼が、このころまさに破綻しようとしていたアニタ・パレンバーグの関係に思いを巡らせた悲痛な歌でもある。

そして、「Beast Of Burden」は、グループの2人のギタリストであったキース・リチャーズと、その演奏の引き立て役を新たに担うことになったロニー・ウッドのコンビネーションのすばらしさを端的に伝えるトラックでもあり、実際、リチャーズ自身も以下のように語っている、「俺たちが一緒にやると最高の演奏が生まれる。この曲を聴くとそれがよくわかると思うね」。

 

1位: Shine A Light (ライトを照らせ) (1972年) – アルバム『Exile On Main St. (メイン・ストリートのならず者)』収録

「Shine A Light (ライトを照らせ)」の起源は、ミック・ジャガーが亡くなったブライアン・ジョーンズに向けてその歌詞の一部を書いた1960年代にまで遡るが 、最高のスタジオ・ヴァージョンがロンドンでレコーディングされたのは1971年も終わろうとするころのことで、それが最終ヴァージョンになっている。

レオン・ラッセルのピアノをフィーチャーしたこの秀逸な楽曲は、マーティン・スコセッシが監督を務めた2008年のドキュメンタリー映画のタイトル (『Shine A Light (ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト)』) にもなっている。ジャガーは、あのすばらしい『Exile On Main St.』の収録曲の中で特に気に入っているのが「Shine A Light」だと言う。その事実ひとつとっても、これは1970年代のローリング・ストーンズの最高傑作とするに相応しい1曲だろう。

 

Written By Martin Chilton


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