エルトン・ジョン名曲ランキング・ベスト20:映画『ロケットマン』で聴ける代表曲

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Photo: Sam Emerson

Tiny dancer  a、スケールの大きな活動を続けてきた。現在彼は3年規模の壮大な引退ツアーを行っている最中だが、現在は銀幕にも登場している。近眼でシャイなレジナルド・ドワイト少年がいかにして世界的なミュージシャンになったかを描く映画『ロケットマン』の公開は、彼の不朽の名曲の数々をさらに広く知らしめることになるだろう。そうしてエルトン・ジョンの代表曲はこれからも聴き継がれていくのだ。

以前からエルトン・ジョンの音楽は我々の文化、我々の共通言語の一部になっている。デクスター・フレッチャー監督による『ロケットマン』(主演はタロン・エガートン、脚本はリー・ホール)は、彼の伝説や、愛され続ける彼の楽曲に光を当てる。uDiscoverでは、彼の音楽の魅力を再認識できるエルトン・ジョンの名曲ランキングを作成した。

 

20位:「Sorry Seems To Be The Hardest Word (悲しみのバラード)」(1976年)

エルトンの過小評価されたアルバムのひとつ『Blue Moves (蒼い肖像)』からのファースト・シングル。涙を誘うラヴ・ソングで、彼のバラードの中でも存在感を放っている。この曲はエルトンと長年タッグを組んでいる作詞家のバーニー・トーピンの楽曲でもめずらしい1曲だ。というのも、トーピンの歌詞にエルトンがメロディをつけるという初期からの分業プロセスとは逆で、先にエルトンが聴かせたメロディから歌詞が生まれたのだ。

上品なアコーディオン・ソロは、カール・フォルティナによるもの。2002年のエルトンとヴォーカル・グループ、ブルー(Blue)のコラボ・ヴァージョンはイギリスのチャートで1位となったほか、レイ・チャールズがエルトン本人とともにカバーした『Genius Loves Company (ジーニアス・ラヴ〜永遠の愛)』に収録された「Sorry Seems To Be The Hardest Word」は、レイ・チャールズが生前最後にレコーディングした楽曲ともいわれる。

19位:「Mona Lisas And Mad Hatters」 (1972年)

エルトンの数々のヒット曲はほかの誰にも劣らないが、半世紀に亘りアルバムを作り続けてきた中で、シングル・カットされなかった名曲も数多くある。バーニー・トーピンがニューヨークの街に抱いた印象を歌詞にしたこの曲はアルバム『Honky Château』に華を添えただけでなく、エルトン自身のお気に入り曲のひとつでもある。

また、同曲の歌詞に登場する「Spanish Harlem」とは、ベン・E・キングとアレサ・フランクリンという、エルトンとトーピンにとってのソウル界のヒーローふたりが歌った曲名であり地名でもある。エルトンはアルバムのリリース前の1972年1月、ロイヤル・フェスティバル・ホールでこの曲を初披露。2018年になっても、ラスベガスのシーザーズ・パレスで行った『Million Dollar Piano』ライヴで演奏している。

 

18位:「Crocodile Rock」(1972年)

1970年代前半のエルトンはハイペースで作品を発表していた。アルバム『Don’t Shoot Me I’m Only The Piano Player (ピアニストを撃つな!)』のリード・トラックとしてノスタルジックなロック・ナンバー「Crocodile Rock」をリリースしたのも、『Honky Château』からの2枚目のシングル「Honky Cat」がリリースされたたった3ヶ月後のことだった。

「Crocodile Rock」はエルトンが初めて全米1位を獲得した楽曲としても重要だ。それも全米シングルチャートから、スティービー・ワンダーの「Superstition」を引きずり下ろし、3週間首位を守り続けた。ポップやロックに典型的な4ピース・バンド (ギターにデイビー・ジョンストン、ベースにディー・マレイ、ドラムにナイジェル・オルソン)のタイトな演奏の好例である。

 

17位:「Circle Of Life」(1994年)

1994年の壮大なディズニー映画『ライオン・キング』向けにエルトンが手がけたサウンドトラックは、同年だけで500万枚を売り上げてアメリカの映画史で最も売れたアニメーション映画のサントラ盤になった。やるときは徹底的にやるという彼の性質がよく表れたエピソードである。

作詞を担当したティム・ライス (彼はその年にイギリス王室から叙勲され、エルトンは4年後に叙勲されている)もエルトンの生産性の高さには驚くばかりだったという。ライスがある日の午後2時に歌詞を渡すと、その1時間半後には見事なメロディがついたデモが仕上がっていて唖然としたらしい。2019年にディズニーが映画『ライオン・キング』をリメイクして、同曲もよみがえっている。

 

16位:「I Want Love」(2001年)

正当な賞賛を受けたアルバム『Songs From The West Coast』からグラミー賞にもノミネートされた1曲。エルトンの名曲の進化を感じられる楽曲だ。トーピンが自分自身を投影した痛切なほど正直な歌詞は、エルトンのシンプルな演奏としっかり繋がっている。

さらに俳優のロバート・ダウニー・ジュニアが出演するビデオが、その世界をうまく可視化している。同曲でエルトンは久しぶりにイギリスのチャートのトップ10圏内に返り咲いた。カントリー音楽をテーマにした2018年のトリビュート・アルバム『Restoration: Reimagining The Songs Of Elton John And Bernie Taupin (RESTORATION)』ではクリス・ステイプルトンがこの「I Want Love」をカヴァーしている。

 

15位:「Saturday Night s Alright (For Fighting) (土曜の夜は僕の生きがい)」 (1973年)

アルバム『Goodbye Yellow Brick Road (黄昏のレンガ路)』からのファースト・シングル。エルトンのキーボードとデイビーのギターが両者一歩も譲らず進んでいく代表的なロック・ナンバー。闘争的で派手なサウンドは、暴力沙汰が多かった60年代のパブやクラブなどの夜の喧騒を描いたトーピンの歌詞にピッタリである。同曲で初めてイギリスのロックンロールらしい歌詞を書こうと思ったと、トーピン自身がのちに明かしている。

 

14位:「Philadelphia Freedom」(1975年)

エルトン・ジョン・バンド名義の1曲で、バリー・ホワイトのヒット曲を手がけたことで知られる売れっ子のジーン・ペイジが見事なオーケストラ・アレンジを施している。「Philadelphia Freedom」は、エルトンに宿る先天的なソウルフルさが顕著に表れた楽曲だろう。

同曲はエルトンの友人でテニス界のスター、ビリー・ジーン・キングに向けて書かれた。彼女は男子選手のコーチを務めた女子選手の先駆けとなり、テニスのプロ・チーム、フィラデルフィア・フリーダムズを率いた。

 

13位:「Levon (リーヴォンの生涯)」(1971年)

ザ・バンドの明確なアメリカらしさはエルトンとトーピンに大きな影響を与えたが、アルバム『Madman Across The Water』に収録されたこの曲の名前は、ザ・バンドのドラマー/ヴォーカリストのリヴォン・ヘルムから直接取られた訳ではない。トーピンによれば、彼がリヴォンという名前を単純に好きだったらしい。

同曲はイギリスでシングルにはなっていないが、ほかの大ヒット曲と並んで1970年代前半のエルトン・ジョンの作品を代表する曲である。エルトンもこの曲を気に入っており、夫のデヴィッド・ファーニッシュとの息子のフル・ネームは、ザッカリー・ジャクソン・リーヴォン・ファーニッシュ・ジョンと名付けた。

 

12位:「Guess That’s Why They Call It The Blues (ブルースはお好き?)」 (1983年)

知られているように80年代のエルトンは、精神のバランスを崩し生死に関わるほどまでになっていた。それでもこのような楽曲を世に送り出していたことで、ポップ・ミュージック界の砦としての地位は揺るがなかった。

「Guess That’s Why They Call It The Blues」は、エルトンが原点回帰を果たした名作『Too Low For Zero』からのファースト・シングルで、アメリカで久しぶりのプラチナ・シングルに認定された。すばらしいハーモニカ・ソロにはスティーヴィー・ワンダーを迎えている。

 

11位:「Don’t Go Breaking My Heart (恋のデュエット)」 (エルトン・ジョン&キキ・ディー) (1976年)

エルトンが初めて全英1位を獲得した楽曲 (ソロ・アーティストとしての初ての1位獲得曲はあとで登場する)が「Don’t Go Breaking My Heart」だった。エルトンのほかの名曲と比べると重みに欠けるように聴こえるが、彼のキャリアの中でも人気の高い1曲だ。

キキ・ディーとのヴォーカルの化学反応が聞きどころだが、彼女はエルトンの古くからの友人というだけでなく、彼が設立したロケット・レコードに長らく在籍したアーティストでもあった。2019年3月、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた2夜連続公演の初日には、キキもステージに駆けつけた。

 

10:「Daniel」(1973年)

この感動的な1曲はトーピンによれば「僕らが書いた中で一番誤解されている曲」だという。実際は、ベトナム戦争の帰還兵が以前の生活を取り戻そうともがく内容だ。勘違いによってその情緒を理解していないファンがいたとしても、「Daniel」は全米チャート2位まで上昇した (首位獲得を阻んだのはポール・マッカートニー率いるウィングスの「My Love」)。フルートのようなサウンドの繊細なメロトロンが、曲の魅力を大きく高めている。

 

9位:「Someone Saved My Life Tonight (僕を救ったプリマドンナ)」 (1975年)

エルトンとトーピンの作品で当時最も自伝的な性格を持っていた『Captain Fantastic & the Brown Dirt Cowboy』に収録されている重要な1曲。同曲はエルトンとトーピンが同居していた1968年に、エルトンが半分本気で起こした自殺未遂が題材になっている。下積み時代の彼は、当時の恋人との不幸な関係に気を病んでいたのだ。

歌詞の中で彼を救う「シュガー・ベア」とは、彼がかつて在籍したブルーソロジーのリーダー、ロング・ジョン・ボルドリーのことである。アルバム『Captain Fantastic & the Brown Dirt Cowboy』では、1967年のエルトンとトーピンの出会いから、1969年の『Empty Sky (エルトン・ジョンの肖像)』のレコーディングまでのふたりの物語を描かれている。

 

8位:「Bennie And The Jets (ベニーとジェッツ)」 (1973年)

エルトンはチャート・アクションへの執着を自認している。そんな彼に自慢したい出来事を聞けば、今でも彼は「Bennie And The Jets」が全米ポップ・チャートの1位を獲得しただけでなく、R&Bチャートのトップ20にも入ったことを挙げるだろう。

実際、この曲がシングルになったのも、デトロイトの黒人向けラジオ局WJLBのリスナーからのリクエストが殺到したことがきっかけだ。エルトン・ジョンの代表曲であり続ける同アンセムは、1985年のライヴ・エイドを含め、文字通り何千もの彼のステージのハイライトになってきた。

 

7位:「I’m Still Standing」(1983年)

エルトンとトーピンの最強の協力関係は一見苦労なく映るが、アルバム『Too Low For Zero』に収録されている「I’m Still Standing」は、ふたりの復活を示した楽曲だ。それは彼らの私生活にも言えるし、すでにパンクやニュー・ロマンティックなどの台頭を切り抜けてきたエルトンのキャリアにも言えることだ。

それは「looking like a true survivor, feeling like a little kid / 真の生き残りに見えても、中身はまるで子供だよ」という歌詞にも表れている。同曲はラッセル・マルケイが監督したビデオが助けとなって、エルトンのことをMTV世代にも知らしめた。

 

6位:「Don’t Let The Sun Go Down On Me (僕の瞳に小さな太陽)」(1974年)

エルトンの名作群の中で、カヴァーも含み2度以上大ヒットした曲はいくつかあるが、これもそのひとつだ。『Calibou』収録の「Don’t Let The Sun Go Down On Me」ついては、ジョージ・マイケルとデュエットしたライヴ・ヴァージョンが1991年にヒットし、イギリスのチャートで首位をマークした。

絢爛なオリジナル・ヴァージョンには、ビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンとブルース・ジョンストンや、キャプテン&テニールのトニ・テニールがバック・コーラスに参加。パーカッションは疲れ知らずのレイ・クーパーによるものだ。

 

5位:「Tiny Dancer (可愛いダンサー)」(1972年)

アルバム『Madman Across The Water』のハイライトに数えられる「Tiny Dancer」の評価は、今でも高まり続けており、2018年には米レコード協会によりトリプル・プラチナ・シングルに認定された。

エルトンも感謝を示しているように、この曲の人気が再燃したのは2000年のキャメロン・クロウ監督作『あの頃ペニー・レインと』の劇中で目立って使用されたことが大きな要因だ。歌詞の題材はトーピンが初めてアメリカを訪れた1970年秋の実体験で、そのときに彼らが降り立ったのは西海岸だった。

 

4位:「Rocket Man (I Think It’s Going To Be A Long, Long Time)」(1972年)

英米両国で人気が出始めた頃、エルトンはイギリスで発表するシングルが次々とヒットすることにプレッシャーを感じていた。そんな中で発表したのが大ヒットを記録した「Rocket Man (I Think It’s Going To Be A Long, Long Time)」だった。

宇宙計画に世の中が湧いた時代の潮流をこのシングルがいかにうまく捉えたかを実感するのは、若いリスナーには難しいだろう。同曲はジョン・ヤング船長率いるアポロ16号が、史上5度目(最後から2番目)の月面着陸を果たそうとする頃にリリースされた。

 

3位:「Sacrifice」(1990年)

自作のチャート・アクションに無頓着なアーティストもいるが、エルトンは違う。「Sacrifice」でソロ・アーティストとして初めてのイギリスのヒット・チャートで首位を獲得したとき、彼は人生のハイライトのひとつとしてこの偉業を喜んだ。最近では忘れられがちだが、同曲はそのリリースの7ヶ月前に一度リリースされており、そのときは55位止まりだった。そのことを知れば彼の喜びも理解できるだろう。

同曲ではエルトンが弾くローランドのデジタル・ピアノと、円熟した大人の感情を表現したトーピンの歌詞が印象的。後者についてトーピン自身は、本ランキングの1位として後述する初期の楽曲とは「百万マイルほどもかけ離れている」と語っている。

 

2位:「Candle In The Wind (風の中の火のように)」(1974年)

エルトンとバーニー・トーピンがマリリン・モンローに捧げた「Candle In The Wind」は、1987年にもライヴ盤『Live In Australia (エルトン・スーパー・ライヴ 〜栄光のモニュメント〜)』に収録されたヴァージョンがヒットしている。

その後の1997年、ダイアナ元英皇太子妃の逝去という悲しい出来事が起きた際には、歌詞を改めてリリースされた。ジョージ・マーティンがプロデュースしたこのヴァージョン(この1997年版の邦題は、「キャンドル・イン・ザ・ウインド〜ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ」に改められている)は、全世界のレコード業界の歴史で最多の売り上げを記録したシングルになった。

オリジナル・ヴァージョンはアメリカでシングル・カットされなかったものの、イギリスでは不朽の名作『Goodbye Yellow Brick Road (黄昏のレンガ路)』からのサード・シングルとして発表。以後、世界中で愛される楽曲になった。

 

1位:「Your Song (僕の歌は君の歌)」(1970年)

エルトン・ジョンの名曲ランキングの第1位にふさわしいのは、やはり彼にとって初めてのヒット曲となった「Your Song」だろう。この曲は、彼の存在を世に知らしめ、ライヴでもどの曲より演奏されている。心を揺さぶるほどの純真さは、同曲を書いた1967年当時のトーピンが弱冠17歳 (エルトンは20歳)だったことから来ている。

トーピンは、下宿していたエルトンの母の家で朝食を食べながらこの歌詞を書き、エルトンは20分でそれにメロディをつけた。こうして名曲が生まれ、世界最高の作曲家たちのキャリアがスタートしたのだ。

 

Written By Paul Sexton


『ロケットマン(オリジナル・サウンドトラック)』
2019年5月24日発売(輸入盤CD / 配信
2019年 8月7日発売(日本盤CD

 

映画『ロケットマン』8月23日(金)全国ロードショー
公式サイト


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