過小評価されているソングライター、ベイカー・ナイトを知っていますか

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ベイカー・ナイトは、たとえ有名人でなくともヒット曲満載のカタログに恵まれることもあることを示す良い例だ。アラバマ州バーミンガム出身、1933年のアメリカ独立記念日と同じ日に生まれたこの作曲家兼ミュージシャンは約30年にわたり成功し続け、1,000曲以上の著作権を所有しているのだ。

ベイカー・ナイトの楽曲は、エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセント、フランク・シナトラ、ディーン・マーティンなど数多くのアーティストにレコーディングされており、リッキー・ネルソンの主要なヒット曲のいくつかも彼によるものだ。エルヴィス・プレスリーの数あるナンバー・ワン・ヒット曲の中の一つである「The Wonder Of You」を書いたのも他ならぬ彼だ。uDiscoverでは、そんな彼のためのプレイリストを特設してある。

トーマス・ベイカー・ナイトは、空軍に在籍していた3年間の間にギターの弾き方を覚えた。1950年代半ばに自身のロカビリー・グループであるナイトメアズを率いて音楽活動を始め、その後コクランと彼の恋人であるソングライター、シャロン・シーリーと知り合う。一説によれば、コクランがナイトに「Summertime Blues」の作曲の手助けを依頼したのだがベイカーは居眠りしてしまい、彼が目を覚ました時には既に楽曲はコクランと彼のマネージャーのジェリー・ケープハートの手によって完成していたともいう。

それにもかかわらず、コクランとシーリーは当時大人気のティーンポップ・アイドルであったリッキー・ネルソンのためにナイトを招き入れて大いに力を発揮してもらうことにした。彼が提供した1958年のシングル「Lonesome Town」とそのB面「I Got A Feeling」はどちらもアメリカでトップ・テン入りするヒットになった。「Lonesome Town」は、ボブ・ディランによるものやポール・マッカートニーの1999年リリースのアルバム『Run Devil Run』に収録されたものをはじめ、その後もカヴァーされており、ネルソンのオリジナル・ヴァージョンも1994年の映画『パルプ・ディクション』のサウンドトラックで起用されている。

ネルソンが続けてリリースしたシングルのA面で大人気曲になった「Never Be Anyone Else But You」もまたナイトの手によるもので、さらには1959年にヒットした「Sweeter Than You」や「I Wanna Be Loved」も手がけている。しかし、彼が自身のために用意しておいた「Just Relax」は、コクランがギターで参加したのにもかかわらず、チャート入りすることはなかった。

ナイトは1995年のNow Dig This誌でのインタビューで次のように語った。「オジー(ネルソンの父親でネルソンのマネージャーを務めた)は、10,000ドルでリッキー・ネルソンに”Just Relax”をレコーディングさせてほしいと提示したんだ。リッキーはその曲を欲しがっていたね。あの時提供していたらと本当に後悔するけど、僕にはコーラル・レコードとの契約があってどうにもならなかったんだ」。

「One Minute To One」という曲はコクランとネルソンの両名によってレコーディングされている。ネルソンがレコーディングしたナイト作品は合計18曲だ。やはり元祖ロックン・ロールの一人であるジーン・ヴィンセントも、ナイトが作曲した「Ain’t That Too Much」をリリースしている。

「The Wonder Of You」は、テキサス出身の歌手レイ・ピーターソンによるシングルで25位という控えめな成績を残したのがオリジナルであったが、ラスベガスで録音されたライヴ・ヴァージョンが1970年にシングルリリースされて以来、エルヴィスにとっての名刺代わりの1曲となっている。英国では1位を記録し、米国ではトップ10圏内のエントリーを果たした後にゴールド・ディスクに認定された。

フランク・シナトラのコンピレーション・アルバム『Sinatra ’65』にもナイトの作品は収録されている。アメリカではトップ50入りしたシングルで、めったに耳にすることのない「Anytime At All」だ。更に、ディーン・マーティンもまた彼の作品を11曲レコーディングしている。1966年のアメリカでのトップ40ヒットの「Somewhere There’s A Someone」「One Lonely Boy,」「If I Ever Get Back To Georgia」、そして同年秋にリリースされて全米シングルチャートでは下位層止まりだった「Nobody’s Baby Again」といった楽曲だ。ディーン・マーティンとの仕事に関して、ナイトは以下のように回想している。「ディーンが来たのは夜8時ぐらい、自分のアストン・マーチンを玄関前に停めてね。そして1、2テイク歌ってさよならだったね」。

その他ナンシー・シナトラやサミー・デイヴィス・Jrも彼の楽曲を採り上げていた。フランク・シナトラのレーベルであるリプリーズと契約を交わしたサイケデリック・バンドという珍しいケースのウエスト・コースト・ポップ・アート・エクスペリメンタル・バンドも「Shifting Sands」をレコーディングしている。

更に、パット・ブーン、ノエル・ハリソン、ティミ・ユーロ、ボビー・ヴィントン、コニー・スミス、ハンク・スノウなど、実に多種多様な顔ぶれが彼の楽曲を採り上げているのだ。うら若きキム・カーンズが参加していた架空バンドのザ・シュガー・ベアーズは、1971年にナイト提供の「You Are The One」で全米シングルチャートで51位を獲得した。

この多才なソングライターはまた、デイヴ・ダドリーが1963年にリリースして3位を記録した「Cowboy Boots」や、アーネスト・アシュワースによる1964年の10位を記録した「A Walk In The Country」などでカントリー畑でも大成功を収めていた。その後も、デイヴ・デイヴ&シュガーによって3位を記録した「I’m Gonna Love You」や、1976年にカントリー・チャートで1位を記録してACMのソング・オブ・ジ・イヤーを受賞した「Do not The Girls Closing Time」などによって、カントリー・チャートでの栄誉に輝いている。1977年にもジェリー・リー・ルイスが「I Don’t Want To Be Lonely Tonight」をレコーディングしているし、ハンク・ウィリアムズ・ジュニアも同年に「One Night Stands」を中ヒットさせた。

ナイトはロサンゼルスからアラバマに戻った後に慢性疲労症候群と診断されたが、彼自身のアルバム数枚のレコーディングを行ない、そして2005年に心不全で72歳の生涯を終えた。彼のヒット・ソングライターとしての評価は不当なほどに低いままだ。

By Paul Sexton


 

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