ギャップ・バンドの創設メンバー、ロニー・ウィルソンが73歳で逝去。その功績を辿る

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Ronnie Wilson (左) with Charlie Wilson(右) - Photo: David Corio/Redferns

R&B/ファンク界のパイオニアとして知られるギャップ・バンド(The Gap Band)の創設メンバー、ロニー・ウィルソン(Ronnie Wilson)が73歳で逝去した。彼の訃報は、妻であるリンダ・ブールウェア・ウィルソンのフェイスブックから次のように伝えられた。

「最愛の夫が、今朝、午前10時1分に天へと召されました。彼の死を悼みつつ、どうかウィルソン家、ブールウェア家、コリンズ家のためにお祈りください。ロニー・ウィルソンは、幼い頃から70代前半に至るまで、音楽の創作やプロデュース、そしてフリューゲルホルン、トランペット、キーボードなどの演奏においても天才的でした」

彼の妻によると、ロニー・ウィルソンは先週、脳卒中を起こし、半昏睡状態に陥ったまま、その後回復することはなかったという。彼はこれまでにも何度か脳卒中に見舞われていたと報じられている。

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グリーンウッド、アーチャー、パイン、3つのストリートの頭文字から誕生

米オクラホマ州のタルサで生まれたロニー・ウィルソンは、60年代後半に彼の弟であるチャーリーとロバートと共にギャップ・バンドを結成。グループ名は、彼らの故郷タルサの黒人居住区にあったグリーンウッド(Greenwood)、アーチャー(Archer)、パイン(Pine)という3つのストリートの頭文字をとったもので、1921年のタルサ人種虐殺の際に白人暴徒に襲撃された場所でもある。

ギャップ・バンドは、70年代から80年代にかけて、ザ・ローリング・ストーンズといった大物バンドのオープニング・アクトや、ウィリー・ネルソンやレオン・ラッセルらサポートを務めながら急速に名を馳せていく。1974年にリリースされた同じオクラホマ出身のレオン・ラッセルのアルバム『 Stop All That Jazz』でバック・バンドに抜擢されたことがきっかけとなり、彼らは大ブレイクを果たした。

初期のギャップ・バンドは、70年代初頭に流行したファンク・サウンドを取り入れていたが、1974年にレオン・ラッセルが所有する歴史的なチャーチ・スタジオで録音され、彼のレーベルであるシェルターからリリースされた『Magicians Holiday』、1977年のタトゥー・レコードからの『The Gap Band』(1979年のアルバムとは別作品)という最初の2作のアルバムはチャート入りを果たせず、全米R&Bチャートにおいて「Out Of The Blue (Can You Feel It) 」と 「Little Bit Of Love」の2曲がTOP40圏外を記録するに留まった。

その後、ロサンゼルスのプロデューサー、ロニー・シモンズと知り合った彼らは、彼の制作会社である“Total Experience Productions”(クレンシャー・ブールバードのナイトクラブで成功したことから命名された)に所属し、マーキュリー・レコードとのレコード契約を獲得。1979年に発表したロニー・シモンズとの最初のアルバム『The Gap Band』からのシングル「Shake」が全米R&BチャートでTOP5入りを果たす成功を収めた。

同年末に発表した続編アルバム『The Gap Band II』からのシングル「I Don’t Believe You Want to Get Up and Dance (Oops!)」は、ビルボードHot 100入りは叶わなかったものの、R&Bチャートで4位まで急上昇し、アルバムはゴールドに認定。同曲をはじめ、R&BのTOP10入りした「Steppin’ (Out)」など、この時期のギャップ・バンドの音楽性は、シンセサイザーを多用し、曲中にモノローグを取り入れるなど、Pファンク に近いスタイルになっていった。

「I Don’t Believe You Want to Get Up and Dance (Oops!)」は、イギリスでのリリース時に「Oops Upside Your Head」と改名され、全英チャート6位のヒットを記録しただけでなく、クラブのダンスフロアにダンサーたちが列を作って座り、そのグルーヴに合わせて“ボート”を漕ぐようなったことから“ボート・ソング”として広く知られるようになった。モバイルDJにとっては欠かせないアンセムとなった同曲は、1987年にはミックスがTOP20入りするなど、イギリスではその根強い人気が高く評価されている。

ギャップ・バンドの名声は、1980年にR&Bチャート1位、ビルボード200で16位を記録したアルバム『The Gap Band III』でさらに高まり、同アルバムは、R&Bチャートで5位を記録したロマンチックなミッドテンポの「Yearning for Your Love」をはじめとするソウルのバラード曲や、R&Bチャートで首位に輝いた「Burn Rubber On Me (Why You Wanna Hurt Me)」や「Humpin’」といったファンク・ソングを収録。

さらに、1982年にR&Bアルバム・チャートで1位を獲得した『Gap Band IV 』(ロニー・シモンズが新たに設立したトータル・エクスペリエンス・レコードからリリースされた最初の作品)でも、再び「Early In The Morning」(R&Bで1位、Hot 100で24位)、「You Dropped A Bomb on Me」(R&Bで2位、Hot 100で31位)、「Outstanding」(R&Bで1位)という3曲のヒット・シングルが生まれ、1983年にゴールド・ディスクに輝いた『Gap Band V: Jammin’』の最後を締め括る「Someday」(ダニー・ハサウェイのソウルの名曲「Someday We’ll All Be Free」のカヴァー)には、スティーヴィー・ワンダーがゲスト・ヴォーカルとして参加している。

1986年には「Big Fun」が全英TOP5入りし、チャートには振るわない曲もありながら、1990年には英国人ソウル・シンガーのケニー・トーマスによるカヴァーが大ヒットした「Outstanding」など、彼らは1980年代までイギリスで確固たる人気を保っていた。

80年代後半から90年代にかけてもレコーディングを続けたギャップ・バンドは、1988年の『Straight From The Heart』や1989年の『Round Trip』などのアルバムをキャピトル・レコードからリリースし、高い評価を獲得した。さらに、2005年の第57回BMIアーバン・アワードでは、“何世代にも亘って音楽の作り手に、ユニーク且つ忘れがたい影響を与えたクリエイター”のみに授けられる“BMIアイコン賞”を受賞。

90年代以降も、ギャップ・バンドのヒット曲の多くは、ブランド・ヌビアン、タイラー・ザ・クリエイター、アシャンティ、ブラックストリート、メアリー・J. ブライジ、アイス・キューブ、ジャーメイン・デュプリ、ナズ、シャキール・オニール、スヌープ・ドッグといった多彩なR&Bやヒップホップのアーティストたちによってサンプリングやカヴァーされている。

Written By Tim Peacock



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